女はつれなし喚けよチェリー

Askew(あすきゅー)

第1話 いつか別れるその日まで


 僕と童貞は同い年です。


 生まれた時からそばにいて、それは29年経った今でも変わりません。共に歩き、共に探し、共に笑い、共に誓った彼女との日々はかけがえのないものです。100万枚撮りのフィルムでも撮り切れないほどの思い出を共有しています。


 彼女の存在抜きにいまの僕はありえません。誰よりも僕のことを理解し、誰よりも僕に影響を与え、いつも寄り添って笑いを与えてくれていた彼女の一途さには何度救われたでしょうか。また、心無い言葉に傷つき、自暴自棄になってしまうその弱さも含めて、分かちがたい僕の半身です。


 先日、高校の友人とZoomで飲んだ時、「まだ一緒なの?」という質問を受けて、約10年前のことを思い出し、これまで歩んできた二人のあしあとを辿ってみようと思いました。


 ○


 彼女を意識し始めたのは高校生のころ。それまでは一緒にいるのが当たり前すぎて、特段考えたこともありませんでした。もちろん、中学生のころから少しずつ成長していく彼女の変化には気付いていましたが、僕は気にも留めていなかったのです。


 しかし、高校生にもなると、彼女と一緒に登下校することは普通のことではないと分かってきます。白ブリーフや白ソックスが恥ずかしくなる小学生のある時期のような感覚と言いましょうか。否が応でも性を意識するお年頃。思春期というのが二人の関係に影響を与え始めていたのです。


「恥ずかしい」と言って彼女を忌避する友人もいました。

「そろそろ別れたい」と漏らす友人もいました。

「心配すんな」と、声を掛け合った友人もいました。


 ただ僕は彼女に対して、そこまで強い思いを持っていなかった。というのが正直なところです。お互い、存在は意識しているけれど、その関係については比較的軽く考えていたのです。


 僕が彼女から離れようとしても、彼女はなにも言いませんでしたし、むしろ彼女はそんな背中を見て一言「好きにすれば良いんじゃない?」とさえ言っていたのです。


 今思うと、そうして僕の全てを寛容してくれる彼女の姿勢が、僕を育み、救済し、支えてくれたのだと理解しています。


 ○


 転機が訪れたのは大学の時。周りを見渡しても、昔から連れ添った彼女と共に過ごす人は少なくなり、新しい彼女を作っては別れるというサイクルを繰り返すことが普通になっていました。


 数が少ないと珍しがられるのが世の常。案の定、僕と彼女の変わらない関係は友人たちの好奇の目に晒されました。


「ずっと一緒ってマジ?」

「なんで?」

「そんなに好きなの?」

 と、嘲笑の混じった言葉に僕はうんざりしていました。そして、その感情は彼女に向かいます。


「お前のせいで!」「ついてくんな!」「だいっきらい!」と語気を荒げて罵ります。そんな八つ当たりに、ただ彼女は「ごめんね」と眉を下げて笑うばかり。それでも、そばにいてくれる彼女から離れられない自分の幼さに自己嫌悪を繰り返す日々。


 不安定な僕の感情の波に逆らわず、なにがあっても彼女はぶれませんでした。「あなたの好きにしていいの」と、声をかけ続けてくれます。その時はそんな彼女の言葉にもイライラして罵倒を繰り返していましたが、彼女は決して僕を見限りませんでした。どれだけ僕がみじめになっても、ただ手を添えて、優しい微笑みと共に横に座っていました。




 アルコールが飲める年齢になってしばらくして、誰もが正気を失うような飲みの場でその時は訪れました。


「まだあいつと一緒なの?」


 その場にいた誰かが僕へと投げかけます。いつもなら「うるせぇ」と話しを切ったり、「別れたいんですけど」と後ろ向きの発言をしたりしていたのですが、その時、アルコールが作用している僕の脳は無謀にも似た勇気を沸かせたのです。


「ずっと一緒だ!!」


 そう胸を張って言い切りました。はっとこっちを向いた彼女と目が合います。まん丸な彼女の瞳の中に焦点を結ばない僕がしっかりと映っていました。周りはどっと笑いに包まれました。

 が、何かがいつもと違う。この感覚はなんだろう、と不思議な違和感に身を委ねていると、あることに気が付きました。僕を囲む数十の目の中に灯る色が違うのだ、と。いつもは不規則にゆらめく橙色のギラギラした目から出る大量のすすが僕の気道を塞いでいたのですが、僕を囲んでいる目の色は蒼く穏やかなものでした。


 そして、気付くのです。


「周りの目の色が紅く濁るのは、僕の煮え切らない態度が酸素不足を引き起こしていたからだ」と。


 僕たちの関係が嘲笑の的になっていたのではなく、僕の軟弱な態度と心理が風景をゆがませていたのです。周りの言動や態度は変わりません。変わったのは僕です。度の合わないレンズを交換して視界がクリアになったような、もやが晴れた渓谷のような清々しさを感じていました。


 もう一度、彼女を振り返ります。その時、久しぶりに彼女の笑った顔を見た気がしました。



 ○


 

 今も彼女は僕の隣にいます。ずっと変わらない関係を好奇の目で見る人もいますし、明らかな悪意を込めてあざ笑う人もいます。


 しかし、僕がとる態度は一つです。胸を張る。そして、言葉にする。

 それだけです。

 

 あざ笑うならそれで良いし、素直に笑ってくれるなら嬉しくなります。この関係が良いとか悪いとかそんなことはどうでも良くて、ただ共に過ごしてきたという事実を認めることで、なんだか僕は幸せな気持ちになれるんです。


 彼女が僕にかける言葉はずっと変わりません。


「あなたの好きにしたらいいよ」

 そう言って笑います。僕も笑います。


 

 終わらないものごとはない。その事実は絶望も希望も与えてくれますが、揺らぎはしません。僕と彼女の関係もどちらかがいなくなることで簡単に崩れてしまうものなのかもしれません。

 

 ただ、いつか彼女と別れるその日まで。そして、別れてしまっても。

 僕はこの関係に胸を張っていきたいと思っています。


 

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