第5話 沈黙

「ごちそうさまでした」

俺は久々の妹の手料理を堪能し、こたつに器を置くと優華は「お粗末様でした」と言って食べ終わった食器を下げる。そして着ていたニットの袖をまくり、食器を洗い始める。


「あ、やるよ……!!」

妹が洗い物を始め出す姿を見て、俺はあわてて立ち上がる。

だが、ご飯を食べたからといってすぐに体力が戻るわけではなく俺はふらついてしまう。


がんっ!!


ふらついた拍子に俺はこたつに足をぶつけてしまい、「いてぇっ!!」と言ってベッドに倒れ込む。


「もう!!何やってるのよ?」

ベッドで転げ回る俺の姿に気づいた妹は洗い物の手を止めて、エプロンで手を拭きながらこちらに歩いてくる。そして、足を打って痛みに転げ回る俺のそばに座る。


「体調悪いんだから、今すぐ寝て!!」


強い口調で俺をベッドへと誘導する妹に、「ご、ごめん」と言っていそいそとベッドに潜り込む。


「全く……いつもいつもこの時期になるとこうも体調を崩すのよ……。」

とぶつぶつ言いながら、彼女は台所に戻っていった。


そんな優華の後ろ姿を見ながら掛け布団を首までかけ、何で優華がここにいるのだろう……と、今更ながらに思い浮かべる。


12月中旬の週末とはいえ、いまだに2学期はある。

それなのに、彼女はここにいるのだ。その疑問が今更ながらに思い浮かぶ。


洗い物を終え一息ついた優華が、エプロンをとりながこちらを歩いてきてこたつに入る。


その様子を布団に潜んだ状態でゆっくりと見ていると、優華は「なによ……。」と言って少し顔を逸らす。


「いや、なんでここにいるのかな?って思って……。」


「……。」

俺の疑問に、優華は顔を背けたまま何も言わない。

その間が微妙な空気を醸し出す。


沈黙が流れる……。

その沈黙に耐えられない俺は「……優華?」と声をかける。


すると、妹はびくっと肩を揺らしてますます縮こまる。そして聞こえないくらいに小さな声で、「心配だったから……」と、つぶやく。


「え、何?なんて言った?」


耳を澄ませないと聞こえない声だったが、俺にははっきりと聞こえた優華の声。だが、その声を俺は聞こえないふりをする。


すると、優華は顔を真っ赤にしながらこちらを睨む。


「おにぃが帰って来ないって言ってたからパパとママが心配してたから、様子を見に来たの!!」


「ああ、その事か……。」

怒りをあらわにする妹の言葉に、俺は抑揚なく答える。その抑揚のない声に優華はがくりとうなだれる。


「何がその事か……よ。家族に心配させないでよ」

ふぅ……と、ため息をついた優華はこたつの布団をぎゅっと握りしめて小さく口を動かす。そして、何かを決意した目でこちらを見る。


「で?なんで、帰って来ないのよ……。」


「なんでって……。」

そう問われて言葉に詰まる。


君を傷つけたくないから……なんてことを馬鹿正直に話すわけにはいかない。そんな事を口に出してしまえばきっと嫌われる。


体調不良と食事で熱った頭でいい訳を探してみるが、ろくな嘘が思いつかない。


「……なんで?」

優華がこたつから抜け出し、ベッドの方へと近づいてくる。そして、俺の近くに来るとじっと俺の目を見つめる。


その距離は近く、彼女の吐息を感じられるほどの距離と薄ピンクでぷっくりとした唇、大きくて穢れのない目に俺の心臓は今まで感じた事のない大きな鼓動を始める。


手を伸ばせば届く……いや、下手をすればキスさえできそうなほどの距離なのに、遠い……。


「なんでもいいだろ?一人暮らしを始めた男がおいそれと実家に帰れるか!!」


彼女の視線に耐えかねた俺は布団をまくりあげ、寝返りを打つ。


俺の言葉を聞いた優華は、「何よ、それ……。」と言ってそれ以上しつこく何かを聞いてくる事はなかった。そして再び無言が室内を包む。


壁の方を向いて、寝たふりを俺は今、彼女が何をしているかはわからない。


「……ねぇ、おにぃ?」

か細い声で、優華は俺を呼ぶが、俺はたぬき寝入りを決め込む。

それにもかかわらず、優華は言葉を続ける。


「……彼女、出来た?」


優華の今にもかき消されそうな声が俺の耳に届き、俺はただ「……いや、いない」とだけ答える。


それを聞いた妹は静かに、「……嘘よ」と告げる。


「……嘘じゃない。彼女なんていた事がない」

自慢ではないが、俺は彼女を作ったことはない。


物心がつく頃にはすでに妹を好きになっていた。

その事実だけが、彼女と言う存在を無縁のものとしたのだ。


だが、彼女は再度小声で「嘘よ……」と呟いたので、俺は起き上がり妹の方を見る。

優華はベッドに寄りかかりし、両手を枕に項垂れている。


その様子を見て、俺はたまらず手を伸ばす。

彼女の頭に手を伸ばす……が、ハッと我に帰る。


触れてしまえば最後、後戻りできないような気がしてやめた。


本当の兄妹なら普通に頭を撫でたのかもしれない。

ただの恋人なら彼女の髪をためらわずにさわれたのかもしれない。だが、そうじゃない……。


このもどかしい気持ちが、胸を締め付ける。


だが、ただの兄妹ならきっと優華はここには来なかったんじゃないか?とも、思う自分がいるのも事実だった。


……なら。


魔がさしたのか、俺は再び彼女の頭を撫でようと手を伸ば……そうとした矢先、優華が頭を跳ね上げる。


はねあげられた頭に驚いた俺は、差し出そうとしていた手をパッと自分の方へと引き戻す。


「じゃあ、さっきの女の人は?」

顔を上げた優華が、さっきとは打って変わったような強い口調で質問をしてくる。


「えっ……さっき?」

優華の勢いに驚いた俺は質問の意味を分からずに間抜けな声で復唱する。


すると、優華は顔を逸らして


「そう。さっきまで一緒にいた子……。」


「??」

未だに妹の問いの意味が分からずに頭の上に疑問符を浮かべていると、妹はこちらを振り向き顔を引きつらせる。


「えっ、何?おぼえてないの?」


「……ああ。さっきっていつ?」

素っ頓狂なことしか言わない俺に妹は呆れ果て、大きなため息をつく。


「はぁ〜。夕方の6時くらい。おにぃを送ってくれた人の事!!」

呆れながらも、彼女は夕方のことだと口に出す。


……あれ、夕方の6時?

優華のはなった一言に、俺は一つの疑念を抱く。


「……優華。今、何時?」


「えっ、今は10時だけど?」

俺の質問に訝しんだ顔をする妹が10時だと言う。


……10時?

その言葉に俺は慌ててカーテンを開けて外を見る。

外はすでに夜も更けていて真っ暗だった。


……やっちまった!!!!!

俺は体調を崩した事と優華に会えた喜びばかりしか頭になく、急に来た妹を帰す術を全く考えていなかったのだった。

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