第一章

第1話


ノアは朝起きるとまず、川へ行く。これはここに来てからできたら習慣だ。


前までは身なりを整えないまま家から出ることはなかったが、ここでは周囲の目を気にする必要がない。

そもそも家に水道は通っていないから、水がほしければ川に行かなければならない。


森の中に住んでいると、木々が覆い茂ってちるため朝日の眩しさも気にならない。

葉っぱの隙間から差す柔らかな光と、しんとして冷たい空気に不思議と晴れやかな気持ちになる。


10分ほど歩くと静かな水の音が聞こえてきた。

川が近いためか動物の気配も増えてくる。

大型の動物に遭遇することもあるが襲われたことはない。


ここはそういう場所なのだろう。


苔の生えた岩の上をゆっくりと進めば、透き通った川が流れていた。


ズボンの裾をめくると浅い場所にそっと足をつける。

きんと冷えた水と砂利が足にあたって痛い。


ノアはそのまま遠く見つめた。

何を見るわけでもなく視線は木々の間をさまよっている。




この森は不思議だ。

住宅地に住んでいたノアに植物のことは分からないが、それでもこの森がおかしいということは分かる。


いつからあるのかは分からないが、太くてどっしりと根を張った大木がそこら中に生えているし、雑草のサイズも規格外でノアの身長を超えるものも多い。


分厚い葉っぱはつやつやとしており、虫に食べられた形跡はどこにもなく不自然なまでに鮮やかな緑をたたえている。



この森はきれいすぎる。

観光地のポスターやテレビ番組のような、きれいなところだけを切り取って現実化したレプリカに見える。


ノアの足が感じる痛みや木々の匂いが紛れもない現実だと主張する。

それでもどこか夢を見ているような、不安定な気持ちになる。


こうして毎朝、川にきてはぼんやりとしてしまうのは、これが現実だと確かめるためかもしれない。




ノアは大きく息を吸い込んだ。

肺を冷たい空気で満たせば、いくらか頭がすっきりとしてくる。


今日はどこは行こうか。

食料は昨日取ってきたから余裕があるし、仮の家だってある。

食べて、寝て、起きて。他に何が必要だろうか?


以前なら自然の中でひとり生活するなんて無茶な話だと笑い飛ばしたが、ここは特別な場所だ。


慣れてしまえば生活に不自由はない。

ノアのような都会育ちでさえ生きていける。


悩みといえば時間があまり過ぎるということくらいだ。


やりたいことがないというのは困ったもので、こんな場所では時間を潰すための道具もない。


自然の中でひとり遊ぶ方法なんて知らない。せめて話し相手がいれば違ったのかもしれないが、ノアはひとりだ。


以前に戻りたいとは思わないが、ただ時間が流れるのを待つのは、いくらなんでも苦痛だ。





とりあえずは朝ごはんを取るため、ノアは家へ戻ることにした。


水から足をあげて服の裾で拭うと、手に触れた足は赤く冷えていた。

いささか長居しすぎたかもしれない。


濡れた服を不快感を感じながら、土で汚れたスニーカーを履く。


(衣料品ってどこにいけば売ってるんだろ…)


ふと頭をよぎることがあったがお金を持っていない。

店がわかっても買えるものはない。


衣食住とはよく言ったものだ。

いざこんな事態になって、ようやく意味が理解できた。




滑らないよう用心しながら岩場を歩いていると、遠くで動物の気配がした。


人間を警戒しているのか、ノアが帰ろうとすればいつも気配が増える。


(怖がらせて申し訳無い…)


岩場を抜ければ、ノアはそそくさと家路を急ぐのだった。

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腹黒少女は今日も人間不信 ほのもの @honomono

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