遥かなるプピポン星より愛をこめて

深見萩緒

遥かなるプピポン星より愛をこめて


 金曜日の夜に独特の空気が、駅前の居酒屋群を抜け、酒とつまみの匂いと共に改札前に吹き寄せている。

 疲れ切っていながらどこか浮ついていて、背中を小突かれて休日へと急かされているような、落ち着かない気持ち。駅から溢れ出た人々はたちまちその空気にあてられて、いっそう帰路の足を早めたり、もうほとんど席の空いていない居酒屋へふらふら引き寄せられたりしている。

 ヨウコの心も例に漏れずふわふわと浮ついている。彼女の左手の薬指には、白銀に輝く婚約指輪。三年つきあった彼氏に先日プロポーズされたばかりで、今夜は彼と少しお高めのディナーを共にする。

 約束の時間まで三十分はあるが、カフェに入って時間を潰す気にはなれない。この静かな高揚感には、お上品なコーヒーの匂いよりも、駅前の喧騒の方がよく似合う。ヨウコは改札を出てすぐの丸い大きな柱に寄りかかり、何をするともなく金曜の人々を眺めた。


 ふと、一人の女が視界に入った。

 やけに奇抜な服装をしている。色彩としては白と黒しか使用していないのだが、それらの布地を何らかの法則に従って、モザイクのように縫い合わせた上着を来ている。目がちかちかするほど頻繁に白黒が混じり合い、それらは一定の法則に従って幾何学模様を描いているようにも見えたし、てんでめちゃくちゃに並んでいるようにも見えた。

 とてつもなくダサいようであり、しかし見ようによっては、とんでもなくハイセンスにも思える。要するに、全くヨウコの感覚では良し悪しの判別がつかないほど、奇抜な服なのだ。

 しかし何よりヨウコの注意を引きつけたのは、彼女の特異な服装ではなく、彼女の流す涙だった。化粧っ気のない頬をぽろぽろと流れる大粒の光は、少し離れたここからでもはっきりと見て取ることができた。


 泣いている……なぜ?

 人間の善意を構成するために必要なものは、道徳よりも本人の幸福感である。自分が幸福でない時は他者に対して不寛容になるし、幸福のただ中にあれば、常日頃は狭量で冷淡な人間であっても、いくらか他人を尊重しようという気にもなろうというものだ。

 つまり今のヨウコは、恐らくこの駅前にいる誰よりも親切な人間なのだった。

「どうしたんですか? どうして、そんなに泣いているんですか?」

 出来るだけ優しい声色で彼女に話しかける。彼女はヨウコの声に反応して一度だけ顔を上げたが、またすぐに両手に鼻を埋めてしまう。その指の隙間から「わたし……わたし……」とか細い声が漏れる。「はい」と返事をして、ヨウコは彼女の言葉に耳を寄せた。

「私は、絶滅してしまった生き物たちを偲んで、泣いているんです!」

 彼女の言葉は安っぽいチラシの下品な大見出しよろしく、ヨウコの脳にドカンと衝撃を与えた。ビジネスライクな色を隠す配慮すらない言葉に、ヨウコの心は一瞬にして「話しかけなければよかった」という後悔に塗りつぶされる。

 宗教か? それとも、寄付金目当ての胡散臭い環境保護団体だろうか?

 どちらにせよ要するに、個人的な幸福に浮かれきっていたヨウコは、お人好しな自分に陶酔するあまり、まんまと「良いカモ」になってしまったというわけだ。

「いや……ちょっとそういうのは……」

 やんわりと逃げようとしたヨウコの腕を、女の手ががっしりと掴む。目と鼻頭を真っ赤に染め、右の鼻の穴から汁を垂らしている女は、わざとらしいほどに悲痛な顔をしている。

「私が流す涙は、絶滅してしまった哀れな生き物へ向けた哀悼なのです。私たちプピポン星人は、宇宙を飛び回り、こういった慈善活動をしています。つまり、絶滅した生き物たちがかつて暮らしていた地で、涙と泣き声の鎮魂歌レクイエムを捧げるのです」

「はあ……」


 艷やかな薔薇色をしたヨウコの唇から、気の抜けた声が出た。もしかしたら、これはテレビの撮影なのかも知れない。突拍子もない出来事を仕掛けて、こっそりと相手の反応を観察する。いわゆるドッキリ企画というものだ。

(そうに違いないわ。きっと、テレビ局のたちの悪いいたずらね)

 おちょくられているような気がして、良い気持ちはしない。彼とのロマンティックなディナーを前に、とんだ茶番に巻き込まれたものだ。苛立ちに付随して、ちょっとした加虐心が頭をもたげる。

 彼女――自称「プピポン星人」の話に乗ってやるふりをしながら、意地悪をしてみたらどうなるだろう。

「そうなんですか。でも、哀悼をするために宇宙を飛び回れるくらいなら、あらかじめ色んな生き物の絶滅を食い止めてあげた方が良いんじゃないですか?」

 にっこり笑ってそう言うと、プピポン星人の女は赤く腫らした目を丸くした。

「他星の環境に干渉し絶滅を食い止めることは、宇宙因果保全法により禁止されているでしょう?」

 常識でしょう、とでも言いたげなふうに返され、ヨウコの苛立ちは更につのる。どうやら、設定は細かく練ってあるらしい。

「ああ……そうなんですか……」

「ですから、涙を流して悲しんであげることが、絶滅した生き物へのせめてもの手向たむけになると、私たちは考えているんです」

「ふうん。でも宇宙人なのに、なんで私たちと同じ姿をしているんですか?」

「そ、それは……」

 困ったように言い淀む女を見て、ヨウコは内心でほくそ笑んだ。してやったり、というわけである。人をおちょくるから、恥をかく羽目になるんだ。まいったか。


 勝ち誇ったヨウコは、しかし女がおずおずと差し出した右手を見て、キャアッと甲高い悲鳴を上げた。

 ヨウコは女の顔と、差し出された右手――淀んだ青と濁った緑がマーブル模様になったような、気味の悪い腕とを交互に見比べた。関節の判別がつかない軟体動物のような腕に、指らしき三本の突起がうごめいている。

「不要なトラブルを回避するために、現地で最もエンカウント率の高いと思われる生き物の姿に、こうして擬態しているというわけでして……」

「こ、こんなの偽物よ。そうよ、特殊メイクってやつでしょう?」

 ヨウコは震える身体に意地で鞭を打って、彼女の右手に触った。そしてまた、ヒイッと悲鳴を上げた。腕は柔らかく、まるで素肌のようにしっとりと湿っている。そしてそこには確かに、生き物らしき体温を感ずるのだった。

 腕をまじまじと見たあとで再び女の顔を見ると、円形の口の周りをぐるりと取り囲む八つの目玉が、ヨウコを見つめていた。もう悲鳴すら上げられなかった。

「ご理解いただけましたか?」

 ヨウコが見ている間に、女の異形の顔は粘土細工のように変化し、元の「人間の女」の顔に戻っていく。

 ヨウコは蒼白な顔で何度も頷いた。女は「ああ、良かった」と温和な笑みを浮かべたが、その微笑はすぐにかげってしまう。

「私たちの活動が、現地の方々に理解されることは少ないんですよ。知能を持った生き物に出会うことは多いんですが、私たちと共に、絶滅した生き物のために泣いてくれる方は滅多にいません」

 透明な涙のすじが、再び女の頬を流れ落ちていく。

「悲しいことです。私たちは皆、この宇宙に生まれた命なのです。生まれたからには誕生を喜ばれるべきですし、絶滅したならば悼まれるべきです。そうは思いませんか?」

「はあ……」


 心をバットでフルスイングされたような衝撃が去ってしまえば、ヨウコは意外にも冷静だった。

「じゃあ、あなたは本当に、宇宙人……なんですか?」

「はい。さあ、あなたも私と一緒に泣きましょう。絶滅した生き物たちも、同じ星に生まれた生き物が泣いてくれた方が、ずっと嬉しいでしょうから」

「はあ……」

 ヨウコは何度目かの、気の抜けた返事をした。そんなものだろうか。と考えてみる。恐竜、三葉虫、マンモス。絶滅動物に明るくないヨウコの知識では、そんなものしか思いつかない。

 彼らの絶滅を嘆いてヨウコが涙を流したとして、それが果たして彼らへの手向たむけになるだろうか。


「そういえば……」

 考えながら、ヨウコは何気なく尋ねてみる。

「絶滅した生き物と言ってもたくさんいますけど、具体的には何のために泣いているんですか? 可愛い哺乳類ならまだしも、三葉虫のために泣くのは難しい気がして……」

 ちょっとした冗談混じりで笑いながら言うと、女も泣き顔を緩めて笑顔を浮かべる。

「ふふふ。私は全ての生き物を等しく尊いと思っていますから、毛虫のためにだって泣くことができますよ。しかしそこは現実問題、プピポン星人の慈善事業にも金銭的な限りがあります。ですから、あくまで文明を持った知的生命体のためにしか活動しないことになっています」

「えっ」

 女がおかしなことを言った気がして、ヨウコは思わず聞き返した。

「知的生命体のために、ですか」

「はい。ですから今回は、人類のための哀悼活動ですね。宇宙文明種登録名称は、確かホモ・サピエンスだったかしら。残念ながら絶滅してしまった彼らのために――……どうされました?」

 ヨウコは口をポカンと開けたまま、女の言葉の意味を考えた。実際には、じっくり考えなければ分からないほど難しい話ではないのだが、しかしヨウコには理解できなかった。


「あの……」

 しばらく開放されていた口腔は、ようやく掠れた声を絞り出す。

「人類って……私たち人類のことですか?」

 今度はプピポン星人の女が、口をポカンと開けた。彼女が擬態していなければ、八つの目玉に囲まれた円形の口が、どこまでも続く洞穴のように黒く広がっていただろう。

「えっ。あなた方が、人類なんですか。おかしいな、そんなはずは……」

 女は慌てて、空中に右手をかざした。なにもないはずのそこに、音もなく電子画面が現れる。どうやら何かの資料らしい。

「……あっ、本当だ。私てっきり、人類が滅んだあとに繁栄した後続種だとばかり……だってこんなに原始的な文明だし……ああっ私ったら、時間設定を間違えて、絶滅の十年前に来ちゃったのね……やだわ、また主任に怒られちゃう……」

 女の独り言は、ヨウコの耳にしっかり届いていた。女は気まずそうに、呆然としているヨウコに向き直って、深々と頭を下げた。

「すみません。こちらの手違いで、とんだご迷惑をお掛けしました。どうぞ今夜のことは忘れてください。というか、忘れていただきます」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ヨウコの大声に、改札の側でスマートフォンをいじっていた何人かが、何事かと顔を上げた。

「ごめんなさいね。さようなら、愛すべき人類さん」

 プピポン星人の女は困ったように笑って、ぱちんと指を鳴らした。途端に眩い閃光が辺りを包む。ヨウコも、周りにいた大勢の人々も、強くまぶたを閉じる。



 そして再び目を開けたとき、そこにあったのはいつもと変わらない金曜の夜だった。

 ヨウコは一人、待ち合わせた彼の到着を待っている。彼女の左手の薬指には、白銀に輝く婚約指輪。三年つきあった彼氏に先日プロポーズされたばかりで、今夜は彼と少しお高めのディナーを共にする。

「ごめん、待った?」

 背後から声をかけられ、ヨウコは振り返った。今しがた改札を抜けてきた愛しい彼が、ヨウコに手を振っている。その手には、ヨウコと同じ婚約指輪。

「ううん、全然待ってないわ」

「あれ。えっ、ヨウコちゃん、どうしたの!」

 彼は大慌てでヨウコに駆け寄って、彼女の頬を流れる涙を指で拭った。

「どうして泣いてるの? 何かあった?」

「分からない……でも、なんだか悲しくて」

 彼の胸に体重を預けると、彼はそのままヨウコの身体を優しく包み込む。改札前で抱きしめ合う二人の周囲には、少しばかり非難するような視線と、「まあ、金曜の夜だから」と恋人たちを許す寛容な雰囲気が集中する。


 互いの存在を確かめ合いながら、二人は囁きを交わす。

「俺に出来ることがあるなら何でも言って。プロポーズのときも言ったけどさ、俺、絶対にヨウコちゃんを幸せにしてみせるから」

「……私たち、幸せになれるかしら?」

「なに言ってんだ。なるんだよ、幸せに」

「……そう……そうよね」

 それでも、ヨウコの涙は止まらなかった。それがなぜなのか、なぜこんなにも悲しく、こんなにも不安なのか……その答えを知っているような気がするのに、いくら考えても、どうしても思い出せない。

 ヨウコの涙はとめどなく溢れ続け、金曜日の夜の闇に染み込んでいった。


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