―宝物―

 ✿✿



 空港からは、この日のためにと用意されていた自走車が使えた。大半は故障して動かないために台数が足りず、他の乗客との乗り合いになった。

 乗り合わせた家族は五十年ぶり(……と言っても、本人たちにとっては、一年ぶり程度)の間に、見違えてしまった景色を眺めて騒いでいたが、天藍テンランはその会話に混ざる気にはなれなかった。流れる車窓の風景は天藍テンランにとって、とても陰鬱としたものだった。全てが植物に覆われ、何もかもが太古の遺跡と化していた。


 我が家が近づくにつれ、天藍テンラン大乗ダイジョウに戻りたくなっていた。四十年の歳月を過ごしてきた場所。いまやあの船こそが我が家だ。

 家に帰ったところで、父も母もアネモネも居ない。あるのは四十年前の思い出だけだった。


 しかし、門扉の前で自走車を降りた天藍テンランは、予想とはまるで違う我が家のたたずまいに驚いた。

 門扉から、玄関まで緩やかなカーブを描く小道も、その両側に広がる庭も、しっかりと手入れが行き届いていた。植木はきちんと枝が刈り込まれ、花壇に咲く花も手入れが施されているのが見てとれた。落ち葉ひとつない。

 半ば廃屋のような状態だとばかり思っていたのに、人の生活や息吹すら感じさせる庭だった。それは、天藍テンランの記憶にあるままの我が家だった。


 ――アネモネ!


「そうだ、そうに違いない」


 空港で見かけたアンドロイドは、たまたまアネモネに似ていただけで、今もアネモネは家の中にいる。そうでなければ庭がこんなに綺麗なわけがない。アネモネが今も綺麗にしてくれているのだ。天藍テンランは、期待を込めて玄関のノブに触れた。


「まぁ……」


 天藍テンランを出迎えたのは、アネモネではなく写真だった。

 玄関から真っ直ぐ奥に見えるキッチンまで、壁という壁にびっしりと貼られた写真、写真、写真。

 ここからは見えないが、リビングにもダイニングにも、あらゆる壁に貼られていそうだった。

 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと父親の写真。

 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと母親の写真。

 天藍テンランの写真。

 天藍テンランと両親の写真。

 天藍テンランの写真。

 …

 …

 天藍テンランとアネモネの写真。それだけは鏡に写った鏡像だった。

 …

 …

 それはアネモネが、内部記憶に留めておくことの出来なくなった、大切な思い出をプリントアウトし、壁という壁に貼りつけたものだった。

 アネモネの、大切な記憶を失いたくはないという、戦いの跡だった。


 記憶にもない一歳の頃の天藍テンラン

 二歳の頃の天藍テンラン

 なんとなく記憶の残る三歳の頃の天藍テンラン

 幼稚園の制服を着た天藍テンラン

 小学校の帽子を被った天藍テンラン

 パジャマでベッドではしゃぐ天藍テンラン

 ご飯つぶを頬に付けてスプーンをくわえた天藍テンラン

 よそ行きのお洒落をした天藍テンラン

 キモノを着せて貰った時の天藍テンラン

 雪だるまを作って遊ぶ天藍テンラン

 防空壕の中で人形遊びに興じる天藍テンラン

 …

 …

 天藍テンランは、左手で口元を覆い、嗚咽をあげ、しゃくりあげながら、頬を伝う涙も拭かず、一枚、一枚の写真に右手でそっと触れつつ、見て回った。


 それは、天藍テンランの過去でありながら、アネモネの過去でもあった。

 それは、天藍テンランの思い出でありながら、アネモネの思い出でもあった。

 それは、天藍テンランの写真でありながら、アネモネの……アネモネの魂の叫びだった。



 ✿❀



 アネモネは静かに目覚めた。

 起動ルーチンに従って、セルフチェックを実行。

 エラーなし。


 ――エラーなし!?


 目の前に、どこか見覚えのある初老の女性が立っていた。あおく輝く双眸そうぼうの輝き……。


天藍テンランさま?」

「おはよう。アネモネ」


 彼女は、とても嬉しそうだった。

 アネモネは、言葉が詰まって出てこない。


天藍テンランさま!」


 ただ、そう名を呼ぶのが精一杯だった。アネモネはメンテナンスハンガーからゆっくりと立ち上がった。

 アネモネは身長148センチと小柄だ。今では160センチの天藍テンランの方が背が高い。


「アネモネ。留守を守ってくれて、ありがとう。随分遅くなってしまったけれどプレゼントがあるの」


 そう言って天藍テンランは、二冊の分厚いアルバムを渡した。


「欠損が酷くて、回収できなかったデータの代わりに。これは貴方がプリントアウトした写真。それと……」


 手元のデバイスを操作する。


「いま開放した拡張ドライブにアクセスしてみて」


 言われるがままにアクセスする。


「あ……ああっ!」


 アネモネが思わず声を漏らした。それは、星間移民船大乗ダイジョウにおける四十年間の天藍テンランの成長の記録だった。

 星間移民船大乗ダイジョウは、それ自体がアンドロイドだ。マザーが見守ってきた彼女の成長の記録。カメラを通して映し出される彼女の姿ばかりでなく、折々の生体情報も全て。これはアネモネにとって、四十年間ずっと彼女のそばで成長を見守ってきたのに等しい宝物だった。


「あなたの過ごした五千年を埋めるには、たったの四十年では足りないけれ……」


 天藍テンランが言い終わるより前に、アネモネは天藍テンランに抱きついていた。そんな彼女を天藍テンランは優しく受け止め、抱きしめた。


「アネモネ……ただいま」




❀アネモネ❀

 花言葉:あなたを愛します。はかない恋。

 紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」。


天覧テンラン石|(ラピスラズリ)✿

 石言葉:健康、愛、永遠の誓い。




「恋する五千年前」

おわり

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恋する五千年前 潯 薫 @JinKunPapa

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