―帰還―

 ❀❀



 大乗ダイジョウが地球圏に戻ってきて半年。運動の第一法則の効力を99・995%まで外部から切り離すことで亜光速を実現する弥勒ミロクドライブは、加速も減速もほぼ一瞬で行える。しかし、運動の第一法則の効力を切り離したり、元に戻したりするのに半年ほどかかる。

 出発から五十年と一年。地上では五千年と一年。ようやく人類の地球帰還の日がやってきた。長かった。人が地球を離れていた約五千年の間に、地球の支配権は植物と昆虫に移っていた。

 人に代わってその営みを引き継いできたアンドロイドは殆どが機能停止し、内部にまで入り込んだ植物が根を張り、芽を吹き、覆い尽くし、至るところでモニュメントと化していた。


 しかし、アネモネは……動いていた。天藍テンランを出迎えるために、空港の到着ロビーでシャトルの到来を待っていた。


 ボロボロだった。袖口や裾にレースをあしらったメイド服は、もはや見る影もなく、辛うじて首元に輪っか状に残る襟に痕跡を留めるだけだった。

 代わりにくすんだ紫色の布を体に巻き付け、腰を紐で縛った簡易ドレスで全身を覆っていた。「天藍テンランさまをお迎えするのに裸というわけにはいかない」という、アネモネなりの配慮だった。


 ボロボロだったのは服だけではなかった。アネモネの右目はまぶたが閉じたままだった。左目もレンズが曇り、焦点の調整もおぼつかない。人工毛髪は殆ど無くなり、わずかに残った髪も経年劣化から、触れば粉々に砕けてしまいそうだった。

 両足はギクシャクと動きが悪く、引きずるように上半身を大きく揺らしながら歩く。倒れないのが不思議なくらいだった。

 両腕は特に損傷が酷く、人工皮膚はまったく残っていなかった。剥き出しの機械の腕にはさびが浮き、腐蝕ふしょくの進んだ指は第一関節や第二関節から先が無くなっていた。


 ――もう、天藍テンランさまを抱きしめて生体情報をスキャンすることも出来ない……


 至るところで回路の通電が阻害されてしまって、記憶の揮発が進んでいた。以前から発生していた不良セクタは、もはやシステムを正常に動かせないレベルだった。エラーを出さずに正常に動くプログラムのほうが珍しかった。

 この状態で天藍テンランたちの帰還を待つという、自分のミッションを見失っていないのは奇跡だった。

 当然、顔認識システムは作動していない。


 ――それでも。天藍テンランさまを見つける。


 到着ロビーに、続々と人が流れ出てきた。五千年ぶりに見る人間。出迎えのアンドロイドはアネモネだけだった。

 人々は久しぶりの地球の景色が珍しいのか、見えざる敵インビジブル・エネミーの影響が残っていないか不安なのか、キョロキョロとあたりを見渡している。ロビーの中央で膝立ちで祈りを捧げるような姿で出迎えるアネモネを遠巻きに避けていく。


 アネモネは、そんなことにはお構いなしに、天藍テンランがゲートをくぐって現れるのを待っていた。

 なにしろ、アネモネは、のだから。


 しかし。天藍テンランはいくら待っても現れなかった。


 ――見落とした?


 十歳前後の女の子は一人も居ない。顔認識システムが使えなくても十歳の女の子を見落とすはずがない。ということは、このシャトルには乗っていなかったということになる。二便目のシャトルがあるとは聞いていない。別の空港へ向かうシャトルに乗ったなら、連絡があるはずだ。

 アネモネが逡巡と焦りを覚えながら、ゲートを見守っていると、とうとう最後の乗客がゲートをくぐって出てきた。少し白髪の混じる年配の女性だった。天藍テンランは、どこにもいなかった。


天藍テンランさま……」


 アネモネをこれまで辛うじて動かしていた最後の糸がプツリと切れた。


天藍テンラン……さ……ま……」


 アネモネはゆっくりと頭を垂れ、目からは光が失われ……そしてとうとう、動かなくなってしまった。



 ✿✿



 なんという皮肉な運命だろうか。最後にゲートをくぐって出てきた少し白髪の混じる年配の女性。年を重ねて尚、失われないあおく輝く双眸そうぼうの輝き。彼女こそが、天藍テンランだった。

 大乗ダイジョウも亜高速で宇宙を飛んでいた五十年の間、なんのトラブルもなかったわけではなかった。弥勒ミロクドライブには幸い問題は起きなかった。問題が起きたのは冷凍睡眠装置の方だった。全体の二%の冷凍睡眠装置が様々な原因で五十年の間に故障した。わずか二%。しかし、天藍テンランの家族もその中に含まれた。父親は冷凍睡眠装置の故障によって命を落とした。天藍テンランと母親は出発から約十年後に強制解凍され、残りの四十年間を船内で、冷凍睡眠装置の恩恵なしに過ごさねばならなかった。母親は天藍テンランに看取られながら老衰で亡くなった。天藍テンラン自身も、その肉体は五十歳になっていた。


「……アネモネ?」


 紫色の布の塊に近づきながら、半ば不安げに、半ば確信をもって呼びかけたものの……反応はなかった。布の塊の中には動かなくなったアンドロイドがいた。女性型ではあるが、アネモネとは限らない。しかし、天藍テンランは、それがアネモネのような気がした。


 ――いつから、ここで?


 まさか今のいままで、アネモネが天藍テンランの帰りを待っていたとは思いもしなかった。随分前からここでこうして動かなくなったまま、待ち続けていたんだと、そう思えるほどにアネモネはボロボロだったのだ。


「アネモネ。紫色のお洋服、似合ってるよ。ただいま」


 天藍テンランは、そっとアネモネ塊を抱きしめた。

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