第十話 楪

 楪は七歳になり、小学校一年生になった。


 今日は業務が早く終わったので、放課後、愛と一緒に楪を迎えに行った。


 川沿いの道を歩いて、俺たち三人は帰路についた。


 俺が楪の右手を引いて、愛は楪の左手を引いていた。


「パパ! 今日はなんで迎えに来てくれたの? いつもママ一人だけだよ?」


「そうだね、パパは楪のランドセル姿が見たかったから」


「にひひ、可愛いでしょう!」


 そういって、楪はぐるっと一回りして、また俺と愛の手を繋いだ。


 愛は楪のことが心配だから、しょっちゅう放課後学校まで迎えに行っている。


 愛の話によると、楪は明るいためか、すぐに友達がたくさんできて、毎回迎えに行ったとき、元気に友達のみんなに「またあした」って言って自分のところに走ってくるそうだ。


 そんなこと聞いたら居ても立っても居られない気持ちになって、今日は全力で営業の訪問を早めに済ました。


 娘のそういうかわいらしいところを見るためなら、パパは何だってする。


 


 楪が小学生になったら、もう昔みたいに俺と愛のこと、「パパ」と「ママ」とは呼ばなくなるのかなと思っていたが、楪いつまでたっても自分のことを「楪」って呼んでるし、俺と愛のことは相変わらず「パパ」と「ママ」って呼んでいる。


 そのおかげで、俺は今でも愛のことを「ママ」、愛は俺のことを「パパ」と呼び合っている。


 いわゆるおしどり夫婦だ。


「ねえ、楪、そろそろ妹か弟欲しくない?」


「こら、パパ、楪にセクハラしないの!」


 冗談半分で楪に聞いたら、なぜか愛が顔を真っ赤にしてぷんぷんと怒っていた。


「ほしい!」


「楪ちゃんも答えなくていいから」


 愛は楪の言葉にうろたえて、慌てていた。


「えー」


 愛の言葉に、楪は不満そうにしていた。


「だって、そんなこと言ったら、パパがまたオオカミになるよ? ママを食べちゃうよ?」


「ママが食べられるのやだ! パパ、ママのこと食べないで?」


 楪は目を潤ませながら訴えてきた。


「ちょっと、ママ、俺がいつオオカミになったというんだよ! 楪誤解してるじゃん!」


「わりといつもかなー」


 愛ってば、自分の娘の前でも相変わらずそんなこと言うんだね。


 楪がまだ小学生でよかった。


 これが高校生とかだったら絶対悪影響を受けていただろう。


 でも、楪には俺と愛の血が流れているから、油断できないか。


「楪、パパは、その、ママのこと食べないから安心して?」


「ありがとう! パパ」


 楪の純粋な目が痛い。


 楪が寝た後に愛としていることが後ろめたい。


「食べてくれないんだー そうなんだ」


「どっちだよ!」


 この調子だと、まだしばらく愛にからかわれそうだな。


 二度も言うが、楪が小学生でよかった。


 楪がもう少し大きくなったら、愛と一度ちゃんと話しあう必要がありそうだ。


 「高校生の女の子が同級生を押し倒した」なんてニュースは死んでも聞きたくないからな。




 思い返せば、色々あったな。


 レンと葵は結婚して、今は三人目を妊娠している。


 結月は会社でいい人を見つけて、結婚して専業主婦になった。


 たまに子供を連れて、実家に帰ってくるから、結月の子供と楪はわりと仲がいい。


 そして、芽依はというと……


 五年前のはるとの百回目のプロポーズでようやく首を縦に振り、はるとと結婚した。


 あんなにはるとを断り続けたのに、今ではしょっちゅう幸せだよって報告をよこしてくる。


 はるとのやつ、相当芽依を大切にしているみたい。


 あとは聞きたくもない芽依とはるとの夜の話もたまに、芽依から聞かされる。


 やはり、俺の勘は正しかった。


 芽依は結構えろい……


 愛とはいい勝負だ。


 ただ、それよりも、芽依はちゃんとはるとのプロポーズの回数を数えていたのが一番の驚きだった。


 なにげにまんざらじゃなかったのかなと最近はそう思うようになった。


 でも、なんでも相談してくるのは相変わらずで、最近業務中に芽依から「そろそろはるとと子供作ってもいいかな?」ってメールが来た時は飲んでいたコーヒーを噴き出して、部長に笑われた。


 俺はというと、営業課長になっていた。


 その分忙しくなったけど、今日みたいに自由に時間を使えることもできた。




 ただの罰ゲームだった。それだけなのに、俺は愛との物語が始まった。


 もし愛と出会っていなければ、俺はだれかと付き合って結婚することもなかっただろう。


 愛みたいに強引な女の子じゃないと、俺の彼女は務まりそうにないから。


 もし愛と出会っていなければ、俺は今でも芽依に頼っていて、芽依はいつまでも俺のことが心配で、自分の幸せを考えられず、はるとと結婚していなかっただろう。


 もし愛と出会っていなければ、いくら結月が謝っても、俺の心の傷は癒えなかったのだろう。


 そうすると、彼女はずっと懺悔して、悔やんで、後悔して、俺と同じように過去にとらわれていたのだろう。


 そして、なによりも、愛と出会っていなければ、楪はいなかった。


「楪、これからは君が幸せになる番だよ?」


「楪の番?」


 楪はこっちを向いて首を傾げた。


「そう、楪がいたから、パパとママは十分に幸せになれた。だから、これからは楪に幸せになってほしい。恋をして、泣いて笑って、そして最後は毎日笑っても足りないほど幸せになってほしい」


「うん! 楪幸せになる! でも……」


「でもなに? ママに言ってごらん?」


 楪が言い淀んでいたら、愛が気になって口を開いた。


「今パパとママと一緒にいる時が一番幸せ!」


 そういって、楪はえへへと笑った。


 俺は思わず楪の手を強く握った。たぶん、愛も同じようにしているのだろう。


 ありがとう、楪、その言葉でパパとママは十分に幸せだよ。


 楪、その首に着けている10円玉はパパとママが自分たちの幸せをおすそ分けしたもので、これからは君が自分で幸せを見つけないといけないよ。


 『命の続き』。


 楪、君はパパとママの命の続きで、幸せの続きでもあるから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日給10円で俺の彼女にならないか 〜『魔王』の異名を持つ学校一の美少女を彼女として雇ってしまった〜 エリザベス @asiria

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ