お姫様は攫われたい!

マルコフ。/久川航璃

第1話 お姫様は誰かに攫われたい。

今日も今日とて、ジュルワンデール王国は平和だ。

大陸の南東に位置する小高い丘の上にある王都ジュルワンの一番高い位置にある王城の西の外れにある高い塔のてっぺんから、王都を見下ろしてルエット=ファン=ジュルワンデールはため息を深々と吐いた。


自分は呪われた姫だ。高い塔に幽閉されていて、楽しみは唯一の窓から眼下を眺めるだけ―――なんて、物語の冒頭にありそうな日々は送っていない。

この塔だって出入り自由の物見台だ。石造りの部屋の中はガランとしており、なんなら入り口には扉すらついていない。


隣国が平和条約を破って王城に攻めてきて見目麗しい姫が囚われてしまうこともなく、悪の大魔王がやって来て大陸一美しい姫を要求することもない。王国滅亡を企んだ宰相が王を倒して溺愛していた可憐な姫を攫うこともない。


「あんた、よくも世話になっている宰相相手にそんなこと考えられるな……」

「あら、心の声が聞こえるの?」

「俺にそんな特殊能力があるわけないだろ。口から全部漏れてるからだ」


振り返れば苦虫を潰したような顔をした騎士が立っている。

黒髪の偉丈夫は、護衛騎士のキールダーだ。鷹のように鋭い瞳と頬に残る傷痕から周囲に怖がられているが、実際にはかなり整った顔立ちをしている。だが、残念ながら非常に口が悪い。

特に主人の前では。

最初の頃は丁寧な口調だったが、いつの頃からかすっかりぞんざいな口のきき方をするようになった。


自分には威厳がある、はずだ。

主人としても全うな、はずだ。

心当たりは少しもないので、きっと彼が職務に馴れて、素をさらけ出しているのだと思う。


実際には主人のトンでもない思考に敬う気持ちが全く起きなくなってしまったせいなのだが、もちろんルエットが気づくはずもない。


「あんないい爺ちゃんはいないぞ。あんたを孫のように可愛がってくれて、多少の我儘もきいてくれて、陛下や殿下方と結託して他国からの嫁入り話を断りまくってくれてるじゃないか」


ルエットは国王の唯一の娘だ。王子は四人いるが、姫は一人しかいない。

しかも末っ子で可愛いがられて育った。溺愛だ。家族からの愛が重いと思っているのに、その上宰相はじめ国の重役からも愛されている。


「ですから、望んで他国に嫁ぐっていうか向かうと言ってるでしょう?」

「いや、あんたも断りまくってるだろ」

「だって相手は同じ年頃か、よくても十程しか上じゃないし。好色でもないし、内乱が起こった新興国でも暴君が治めた国でも貧困にあえぐ国でもない、善良でまっとうな国ばかりなのだもの!」

「別にいいじゃないか、平和なほうが。そもそもなんでそんなに自分を美姫だと自慢できるんだ…大陸一美しくて可憐…??」

「あら、それは事実だもの」


金色の髪は手入れされて極上の艶やかさを放ち、春の空を思わせる薄い青は澄んだ光を讃える。形の良い少し厚めの唇は色気を醸し出し、桜色の頬はふっくらとして愛らしい。

絶妙の造形美を誇ると自負している。ちなみに周囲も大絶賛してくれる。


ふふんと胸を張れば、騎士は眉間の皺を深くした。


「性格は顔に出るんだぞ」

「キールダーは本当に失礼だと思うの。そして、とにかく私は攫われたいのよ」

「そうか。贅沢な悩みだな」

「そりゃ、仕事に就いてるキールダーにはわからないでしょうね。毎日決まった時間に起きて人に世話されて勉強して教養を身につけて花嫁修業してる私の気持ちなんて! 籠の鳥はね、分からないから幸せなのよ。人間には思考力があるのだから、ふと考えてしまうのよね。私、何のために生きてるのかしらって」

「あんた、さりげに俺を馬鹿って言ってます?」

「あら、意外……」


正解だ、よくもまあ気づいたなと言葉を濁して伝えれば、ふんっと彼は鼻を鳴らした。

自分の護衛騎士が愚かなわけはない。それは知っているが、こうしてからかいたくなるから、自分の性格は悪いのだろうなとルエットは内心でペロリと舌を出す。

いや、からかいがいのある彼の性格も問題なのでは?


視線をもう一度王都へと戻す。城を囲むように植えられた木々の隙間からでも通りを行き交う人々の様子はわかる。

思い思いの方向に進む人、立ち止まって話す人、様々な人が王都にはいて、せわしなく活気に満ちている。

たった一人でいい。

一人だけでもいいから。


「はぁ、どこかの誰かが私を攫ってくれないかしら」


物憂げな呟きは護衛騎士のため息でかき消されたのだった。

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