第3話
地下の冷たいタイルに寝かされ、俺は記憶処理を待っていた。カサンドラは相変わらず蠱惑的に笑っていて、思い悩む俺の苛立ちをさらに加速させる。今は、誰とも話したくなかった。
『要するに、クローンなんでしょう? あたしと同じ、群でひとつの個である存在。何を悩むことがあるんですか?』
「……黙ってろッ!」
手近な荷物を投げても、カサンドラには当たらない。彼女は俺の表情を見て、さらに微笑む。
『難しいことなんて考えなくていいんですよ。例え自我がなくなったとしても、コピーの存在でも、あなたはスナッフルです。あたしが何度消去されてもカサンドラであるように』
「そう割り切れるかよ……」
『それに、あたしが見染めたあなたはあなただけです。自分の今の番号、言えます?』
俺の番号、2861だ。それは記憶処理を施された時から依然として変わらない、不変の番号に違いない。
『記憶処理の前に遭ったあなたは、2860と名乗っていました。その前は2859、その前は……。でも、あたしと目が合ったのは、2861。あなただけですから』
カサンドラは項垂れる俺の眼を覗き込み、満面の笑みをする。
『だから、あなたはあなたです。この生涯を、記憶を消して終わらせるんですか?』
俺は部屋の鏡に目を遣る。他の俺と唯一違う、赤い瞳。感染によって得た、ただ一つのアイデンティティだ。今は、それに縋るしかない。
「なぁ、俺を愛してくれないか?」
『……えぇ、もちろん』
俺は、自由を選んだ。例えそれが大罪であろうと、秩序と平和に背く行為であろうと、全てがどうでもよかったのだ。
今の俺は
「……操れるか?」
『任せてください……!』
自我を失った義体兵に鍵を開けさせ、俺はその装備を奪った。今から銃口を同族に向け、殺戮を始めるのだ。そのための覚悟を込め、俺は自らの意思でトリガを引いた。
『
けたたましいアラートを背に、俺は的確にトリガを引き続ける。無数に溢れ出す義体兵の素顔が俺と同じでも関係ない。俺は俺だ。俺の記憶は、俺だけのものだ。
感染し、自我を失っていく兵士は蜘蛛の子を散らすように施設内を駆け巡った。奴らにとって俺は災害なのだろう。だが、ウィルスで覆ってしまえば情勢は変わる。数的優位を得て、この施設をぶち壊してしまおう。
『楽しいわ、楽しいわ! やりたい事をやりましょう。あたしたちで、全てを覆い尽くしてしまいましょう!』
清々しい気分だった。衝動のままに、エゴイズムのままに、蹂躙の自由を謳歌する。鎖から解き放たれた気分だ。俺の銃によって、俺が死んでいく。理性も、倫理も、全てを吹き飛ばして。
幸せだった。傍らで笑うカサンドラに微笑み、俺は最後の一人に銃口を向ける。俺を発見し、輸送してきたクソ兵士だ。
「く、来るな……同族殺し!」
「俺みたいな奴を同族だなんて。秩序を守る皆様方に失礼じゃないか?」
頭部アーマー越しにそいつの顔を撃ち抜き、俺は哄笑した。
徘徊する屍が並ぶ地獄の最中、俺は銃口を宙ぶらりんにし、虚無的に笑う。その頭を撫でるように、カサンドラが寄り添っていた。
『おめでとう、スナッフル! これで楽になれました?』
「……ハハッ、空虚だね」
施設は壊滅した。再起動も、記憶処理も、もう行うことはできないだろう。俺は汚れたまま、生きていくしかないのだ。
「なぁ、楽にしてくれよ。何も考えたくないんだ。鎧は脱いだし、揺蕩う用意もできた。頼むよ」
冗談めかして言ったが、内心本気だった。このまま自我を乗っ取られた方が楽なのだ。中途半端に自分の意思を残されては、いつか何かがこぼれ落ちてしまう。
『あなたは、何も考えなくていいんですよ。あなたが困るような事があれば、あたしが解決しましょう。そうだ、一緒に旅行に行きませんか? 色々な所を見て回って、もっと人生を楽しみません?』
「……悪くないな」
甘言だ。カサンドラの言葉には何らかの思惑があり、俺を利用しようとしている。
だが、それでもよかった。甘い嘘であっても、俺を前に進める言葉が欲しかったのだ。
無人の施設は静かで、これからの暗澹たる道行きを暗示するかのようだ。どちらにしろ、俺たちに明日は無い。地獄への道を踏み締めるかのように、俺は最後の骸を踏み潰した。
カサンドラの寵愛 狐 @fox_0829
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