崩壊した探検隊の生き残りが残したものは

バルバルさん

崩壊した探検隊の生き残りが残したものは……

 俺は、物書きになりたかった。

 1800年のイギリスに生まれた俺の夢は、物書きだった。俺の書く小説は学校でも結構な人気が出たし、そのまま小説を書くことを続けていれば、そこそこな物書きになれていたと思う。

 だが、軍の名門だった俺の家族の理解は得られず、結局20代中盤の俺は海軍の士官になっていた。栄光ある海軍の士官になれたのは幸運だが、やはり人を殺すより、文字を書いていたいと心のどこかで思っていた。

 そんな俺に、契機が訪れたのは1825年5月のこと。ジョン・フランクリン船長率いる北極圏の探検航海に参加することになった。フランクリン船長は3度も北極圏を旅しており、今回の旅路で北極の海を通じた太平洋への航路を模索するらしい。今回は蒸気機関搭載の船2隻に、3年の航海に耐えられる食料などを積むということで、順調な航海になるだろうと誰もが予想していた。俺自身も、この旅の後に、冒険記でも出版したいななんてのんきなことを考えていた。

 だが、この航海は地獄など生ぬるい言葉では表せないような、そんな旅になってしまった。

 3年だ。わずか3年の間に、俺は「人間であること」を捨てる覚悟までするほどの地獄を味わった。その覚悟を行動に移さなかったのは、本当に運が良かったとしか言えない。

 まず、船が凍り付いた海で動かなくなる以前に、食料品と水が、容器に使われていた鉛で汚染されていたようだ。正気を失い、狂いゆく船員もいたが、その後の苦しみを考えれば、彼らは狂えただけ幸運だっただろう。

 船が動かなくなり、船を放棄し文明圏まで足で移動することになったが、これが本当の地獄だった。我らは極寒の世界を徒歩で行けるほどの装備がなく、また、船員に保守的な人間が多く、不必要な儀式や、荷物を抱えての移動。さらに、壊血病予防のジュースもダメになり、寒さと汚染された水と食料。そして壊血病という苦しみを味わいながら、俺達は地獄の道を歩いた。

 ほんの数日で、俺達の士気は崩壊した。そして、人間をやめ、食人に走ろうとする物まで出る始末。とはいえ、彼らを責めることはできない。俺自身も、食人をする一歩手前だったのだ。

 結局、俺は食人に手を染めた仲間から逃げるように、雪と氷と吹雪の中を歩いた。食人に手をだし、生きようと、結局はこの地獄が長引くだけだ。そう自分に言い聞かせ、人間である内に、英国の海軍の人間として命を断とうと、銃を咥えた。

 その時だった。目の前がゆがみ、浮遊感と落下する感じを同時に味わったのだ。汚染された食料による幻覚かと思いつつも、関係ないと思い、引き金を引こうとした。

 その時、悲鳴と助けを求める声がしなければ、その時に俺は終わっていただろう。俺は、その悲鳴の方へと向かい、原住民が何かに襲われているのを見た。この時、どうでもいいではなく、助けなければと思えたのは、英国の軍人として心構えをたたき込んでくれた親のおかげだろう。銃を、原住民を襲う何かに向かって発砲し、俺は意識を失った。



 私は、イルインの民のフラサ。極北のわずかな緑の期間以外、凍った大地で過ごす氷の遊牧民と呼ばれる我らは、今日もフールブルという家畜を飼いならしながら過ごしていた。

 私は強気な妹に、遠くまで行くなと強く言って、氷草を摘んでいた。これは、血の病を治す特効薬として、南の文明圏に売れるのだ。籠に一杯の氷草を摘み、立ち上がると妹の悲鳴がした。もしかしたら、ビリザルドという魔物に襲われているのかもしれない。そして次に聞こえてきたのは、初めて聞く大きな音。バァンとその大きな音がしたほうへと向かえば、妹が誰かの傍で立ち尽くしていた。妹の話を聞けば、この人に助けてもらったらしい。だが、この男性、とても酷い状態だ。着ている服は文明圏の物に似ているが、こんな衣服でここにいては、凍死するのも時間の問題だ。そして、長から聞いたことのある血の病気の症状が濃く出ている。妹と力を合わせ、移動村へ連れて行った。

 彼を助けることに、長は最初難色を示したが、仲間を助けてもらったことと、助けない理由もない事。そして、我らイルインの民は助け合いを信条にしているので、氷草のスープを作り、彼に飲ませた。

 2日、3日と目覚めなかった彼は、4日目に目を覚ました。

 その時、私が目の前にいたのだが、彼の第一声は、私のことを天使と呼ぶ声だった。



 俺が目を覚ませば、天使と見間違うほどに美しい女性に出会った。肌は少し浅黒いが、そんな事はどうでもよくなるくらいに、顔立ちの造詣が美しい。

 彼女は俺に具合を聞いてきた。彼女に見とれて気が付かなかったが、体の調子がものすごくいい。目を覚ます前というか、凍えている間は死んだほうがましだと思うくらいに体の調子が悪かったのに。

 ゆっくり、体を起こす。体は分厚い毛皮の布団でくるまれていて、部屋の中央で焚き木のようなことがされていて温かい。部屋の内装は少し前に博物館で見た、東方の遊牧民という人々の住む家に似ている。頭が回ってくるにつれ、ここはどこかという疑問が沸いてきた。

 とりあえず、あまり美味しくはないが体の温まるスープを飲みつつ、ここはどこか聞いた。が、さっぱりわからなかった。イルインという民の子とは聞いたことが無い。多分、極北の未開の民だとは思うのだが、話がさっぱり噛み合わない。

 とにかく、俺が動けるようになるまで、置いてはくれるようだが、動けるようになったら、俺はどうすればいいのだろうか。

 仲間は全滅。帰る方法は南のカナダの文明圏へ行くくらいしかないが、かなりきついだろう。というか、彼らにカナダやイギリスの話をしても、何を言ってるんだという顔をされた。未開人でも、近くの国のカナダくらいは知ってると思ったのだが。

 まあ、俺は今生きている。命があれば、次につなげられるということだ。すると、彼女が布を俺の頬に当ててくれた。どうしたんだろうと思えば、俺は、泣いていた。

 良かった、生きていられた。俺は人間として生きている。そう思うと、涙がとめどなく流れる。とにかく、今はもう一度寝よう。目を覚ましたら、もう一度考えよう。そう思い、目を閉じた。



 変わった人だ。本当に変わった人だと思った。ゆっくり起き上がって、私を天使と言ってきた。私は自分の顔をそこまで美しいとは思わないのだが。そして、ゆっくりと彼は体を起こし、周りを見渡す。そして、ここはどこか聞いてきたので私たちがイルインの民であることここが極北世界であることを伝えた。

 彼はイギリスという国の人であるということを語ってくれた。場所には合わないが、身なりもそれなりに良いから文明圏の人だろう。まあ、極北の遊牧民である私たちには、海外の国はよく知らないから首を傾げるしかなかったが、南の文明圏をカナダと呼んだり、変な人だと思った。

 ふと、彼が涙を流したので、布で拭ってあげた。どうやら、緊張の糸が切れたというか、生きていることに感謝しているようだ。生きていることに感謝することは大事だと思う。

 そして、彼はゆっくりと目を閉じ、寝息を立て始めた。ふぅと息を吐き、私は彼から離れる。すると、妹がニヤニヤしていたので、はたいておいた。

 次の日、氷草のスープを飲む彼が、歩いて部屋の外に出たいと言ってきた。別に反対することもないので傍について、ゆっくりと外出させた。すると、彼は素っ頓狂な声を上げ、フールブルの放牧を見た。彼は何と、フールブルを初めてみたという。まあ、北方から極北で放牧している家畜だ。南の方の住人なら初めてみるだろう。だが、彼は何か考えこんでしまった。

 そして、彼が再びベッドに戻ると長老が彼に会いたいと言っていると、妹から聞いた。



 俺は生きている。それはとても幸運だろう。だが俺は今、どこで生きているのだろうか。

 目の前にいる、青い毛皮の動物は、フールブルとかいう家畜らしい。流石に北の未開の地とはいえ、こんな珍妙な動物が生きているのはおかしいことくらいわかる。ここは、一体どこなんだ。

 そう考えこんでいると、俺を救ってくれたフラサというらしい少女が、俺のことを長老が呼んでいるから来てくれという。いよいよ、この集落で最も偉い人に会うのかと思うと緊張する。たとえ彼らが未開の人であっても、今は俺の方が異国人だ。礼節は守らねば英国軍人ではない。

 そして、フラサと妹さんのクリゥに連れられ向かったテントの中で、髭で顔が覆われた、背の小さい老人の前に、俺は座ることになった。

 長老曰く、俺は異国人だから正直に言って、早々に去ってほしいと伝えられた。とはいえ今の状態の俺を吹雪く世界に放り出すような事はしない。日が沈まぬ時期になったら文明圏へ近づく予定だから、その時に去ってほしいということだ。

 彼らにとって異国人の俺の扱いとしては、中々上等だろう。だが、このまま文明圏に向かって、そこがカナダでは無かったら。俺は元いた土地、というより、元いた世界、というべきなのか。そことは別の場所にいるということになる。現に、長老さんも、カナダやイギリスのことは知らないようだ。これは、本当にこの場所に腰を据える以外に道はないかもしれない。

 誰かが、現実は小説より奇なりと言っただろうか。確かに、小説家にはなりたかったが、こんな現実離れしたことは体験したくはなかった。と思う一方、あのまま人間を捨て地獄で過ごすよりは、遥かにマシかもしれない。未開人とはいえ、彼らは俺を一時受け入れてくれる、なら、この機会を最大に利用するだけだ。俺は、長老さんの言葉に頷き、自己紹介をしつつ、しばらく身を預けさせてもらうことにした。



 何でもこの青年、オリバーはしばらくの間私たちと行動を共にするらしい。妹は少し喜んでいたし、私もここまで世話をしたので、何というか愛着というのだろうか。それが沸いていたから、少しだけ喜んだ。だが、ただ飯ぐらいを置いておくほど私たちは裕福ではない。妹は12だが、もう家畜の世話などをしている。なので、長老はまず簡単な仕事からやってもらうと言った。とりあえずは、私と一緒に氷草を摘むことからだ。

 彼はやはり男だからか、死にかけていたとはいえ体力があった。だが、こう言った雪原での作業は初めての様だ。かなりもたつきつつ、氷草摘みをしていた。

 だが2、3日もすれば適応していった。中々に勤勉な人らしい。そして、彼と少しずつ話している中で、彼がイギリスという国の軍人だということがわかった。軍人か、確かに、変わった武器を持っていたし、村の男に比べれば細いが、その肉体は力強い。

 ある日、村の戦士が彼に喧嘩を吹っ掛けたと聞いた。なんでも、よそ者が村の若い娘である私に近いのが気に入らないらしい。そして彼と戦士は戦い、そして引き分けた。彼の剣技は、戦士のパワフルなだけのそれとは方向性が違い、洗練というのだろうか、スマートと言えばいいのか、そんな剣だった。

 そこそこ強くて、勤勉で顔立ちも文明圏寄りでいい。そんな彼に熱を上げる女も少なくなく、夫や恋人の男に妬まれて困ると彼は語ってくれた。

 まあ、私もそんな彼に好意を寄せる女の一人なのだが。世話をしている中で、何というか庇護欲から始まった想いも、太陽が沈まなくなる時間の中で成熟していき、今ではすっかりお熱だ。私も何というか惚れやすかったのだろうか。

 そんな中、文明圏の近くの港についた。そこで、文明圏行の船が出るらしい。フールブルのチーズや肉を積む中、彼は、長老と話していた。出ていてほしくはないけど、彼も、生きる世界があるのだろう。

 私のほんのりとした恋心も、終わりかと思い、しんみりしていたら、彼が来た。



 結局、4か月彼らと過ごした。やはり、未開の民と過ごすのは大変だが、死ぬような経験が俺を変えたと思う。彼らの生活に順応し、生きられるようになっていた。

 そんな中、俺にアプローチをかける女性もいたが、全てやんわりと断った。彼らのパートナーに刺されるのは御免である。それに、俺はあの天使、フラサの事を好いてしまっているらしい。最初は一目ぼれ、段々と触れ合っていく中で好意が増大し、今ではすっかりお熱だ。できれば、一緒になりたいが、やはり文明人と未開人では、難しいのかなとも思う。そんな、仄かな恋心。

 そして文明圏とやらへ行く船がある港町の近くで、俺は長老さんと話していた。

 長老から見て、俺がどんな人間かなんてわからないが、少しは心証がよくなっていてほしいと思いつつ、彼の話を聞く。

 何でも、俺のことが気に入らないのは変わらないらしい。やはり、異国人だし、文明圏に生きるべき人間だからだ。だが、集落に新しい血を入れたいのも事実らしい。濃い血は、あまりよくないと。だから、別にいても構わんと言ってくれた。俺は、長老に感謝の言葉を述べた。

 そして、俺は持っていた銃や少々の金品を文明圏の商人に売り払い、その金で羊皮紙と羽根ペンを買った。あと、余ったお金で紅茶の茶葉も。

 やはり、味は故郷とは違う。でもやはり英国人だから、紅茶を飲みたかったのだ。ああ、美味しい。

 それから、色々あった。

 俺は沈まぬ太陽が一番低くなるときに、フラサに告白した。そしてゆっくりとほんのりとした好意を固くしてしていき、夫婦になった。

 フールブルの世話中に頭突きされたりして、クリゥに笑われたり、長老と共に強い酒を飲んで、二日間目を覚まさずフラサに心配されたり。フラサのお腹の中に子供ができたことに、フラサと抱き合って喜んだり。

 色々あった。それから、1年ほどで、俺はすっかりイルインの民になっていた。イギリスのことは忘れたことは無いが、今は、彼らと共に在る。

 そんな俺には、日課がある。今日も、羽ペン片手に、羊皮紙に向かう。



 私がオリバーを見付けて1年と半年ほど。彼の妻になって大体9か月ほど経った。もうすぐ、私とオリバーの間に子供が生まれる。そんな彼は、日課として羊皮紙に向かい、文章を書いている。

 気になって、何を書いているのか聞いたことがある。彼は、死んでいった仲間の人生を、小説として残したいと言った。彼の仲間は、血の病気などが重なり全滅したとは聞いたが、彼としては、彼らもこんな結末は望んでいなかった、彼らの死は、誰にも伝わらないだろうから、せめて、ここに彼らの人生を記してあげたいと。

 私には教養が無いので彼の書く文章は読めなかったが、彼の想いは伝わる。きっと、完成させましょうと言い、私は彼と共に在ると誓う。いつまでも。



 カルルス歴1999年。アレリア大陸の北に住んでいたとされる極北遊牧民族の遺物が発見された。200年近く前のその遺物の中に、一冊の羊皮紙の束があった。この束は歴史学上類を見ないオーパーツとして注目された。

 イギリスという歴史上にない国の、極北へ向かった冒険者たち。その一人一人の人生が書かれたその文は、一般に教養がないとされた極北の遊牧民族が書いたというだけでも驚きを持って迎えられ、文学としても上質なそれは、謎の島「グレートブリテン島」の「大英帝国」について、様々な憶測を呼び、マニアの間で話されているという。

 そしてその文章が発見された墓には、夫婦の遺体が眠っており、上質な状態で眠っているその遺体は、大切に保管されているという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

崩壊した探検隊の生き残りが残したものは バルバルさん @balbalsan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ