日雇いの月来光、陽光を知る。

阿井 りいあ

日雇いの月来光、陽光を知る。

 フワリと漂う、甘い花の香り。


 心当たりのある者は、その香りがしただけで死を覚悟する。


「だから正式に雇うって言ったのに……!」


 彼は、夜闇の中でも目立つ銀の髪を持っていた。

 そのためか、いつも全身真っ黒な服に身を包んでいるという。目深に被ったフードのせいで、その姿をちゃんと見た者はいない。だが小柄な体格からして、まだ成人前の少年なのではという噂が流れていた。


 銀髪の少年は、震える声で話す女性に一歩一歩、近付いていく。彼女は暗闇でもわかるほど顔面蒼白で、唇の人工的な赤だけがやけに浮いていた。

 女性は、少年がじっと自身の唇を見つめていることに気付いた。それを好機と考えたらしい彼女は薄く微笑み、再び口を開きかける。


 しかしてその言葉は紡がれることなく、変わりに鮮血が周囲に散った。舞う、鉄の匂い。


 首から血を噴き出した女性の身体は痙攣し、成す術なく地面へと倒れ伏す。素早く背後に回り、一気にナイフを滑らせてその場を離れた少年は、一滴の血飛沫も浴びることなく、すでに物言わぬ女性を見下ろしていた。フードの奥に隠された瞳が赤く、妖しく、揺れている。


「それ言うの、君で十二人目だ」


 そして、ほんのわずかに口角を上げて呟く。声変わりも終えていない、ボーイソプラノの声。


「唇と血。どっちの赤が美しいか、見比べようと思ったけれど。残念ながらどちらも醜いね。君の性根が醜いからかな」


 当然、もう女性に言葉は届かない。


 因果応報。

 誰かを殺せ、などと軽々しく人に依頼をする奴など碌な人間ではない。自分で手を下す度胸もないくせに、安全な場所で邪魔者だけを排除しようとする、卑怯で臆病な屑共。どうせ自分も誰かから恨みを買っているのだ。


 巡り巡って返ってくる。

 己の元に、己を殺せという依頼が返ってくる。


 自分の番がきた、それだけの事だ。それに気付けない愚か者は多い。


「なぜだ⁉ お前は私の味方だったろう⁉」


 今夜の依頼、二件目。

 勘違いも甚だしい。誰がいつ屑の味方になったというのか。少年はこういった勘違いを何よりも嫌悪していた。


(依頼が来たから受けただけだよ。味方だなんて、反吐が出るね)


「な、なんか言えよ……! 金か⁉ 金なら、倍払う……‼」


(契約を交わし、仕事をこなして金を貰う。これは普通・・のことだ。僕は間違ってない)


 男は立ちあがる事も出来ず、テーブルをひっくり返し、酒瓶を投げながら無様に後退っていく。

 少年は淡々と、テーブルを避け、酒瓶を難なく避け、着実に男との距離を縮めていた。


「や、やめろぉ、お前、何が目的なんだ……! 薄気味悪い化け物め‼」


 銀の光が走る。そのすぐ後を追うように、赤が飛んだ。


「……今日の仕事、おしまい」


 得物の血を拭いながら、彼は首を傾げていた。昨日仕事を引き受けてやったからといって、今日も協力してもらえると思っている人がやけに多い。それが不思議でならないのだ。事前に書面で伝えてあるはずなのに。


 自分の雇用は当日の、その一日だけだ、と。

 二度、同じ人物からの依頼は受けない、と。

 それとも、文字も読めない依頼人が多いのだろうか。


 その夜は、倒れた標的を見ることもなくその場を後にする。身の程も知らぬ残念な屑に向ける目を、彼は持ち合わせていなかった。


「所詮は歯車。屑共も、僕も」


 薄暗い路地裏を駆け抜けながら、少年は白い息とともにポツリと言葉を溢す。彼にはちゃんとわかっていた。自分もその巡る輪の中で生きているに過ぎないということを。

 いつかは自分にも返ってくるだろう事は承知の上で、彼は日々、得物を血で染めているのだ。


 夜が明ける。

 月明かりの下、白銀に輝いていた日雇いの殺し屋の髪が、フードの下で少しずつ黒く変化していったのを見た者はいない。




 その屋敷は山奥にあった。

 内部はいつも薄暗く、足を踏み入れた者は皆、まるで地獄への道を進んでいるかのような錯覚を覚えるだろう。

 廃墟と言っても差し支えないその屋敷は、森の中で長年放置されていたせいで周囲が鬱蒼とした木々で覆われており、昼間でも陽がほとんど当たらない。


 こんなカビ臭い、薄気味悪い場所に足を運ぶ者など居りはしない。屋敷の存在さえ人々の認識の外にあった。


『オキロ! もう、夕暮れだゾ!』

「ん……」


 開け放たれた窓から、一羽の鴉が室内に飛び込む。鴉は迷わずベッドの上に降り立つと、布団を嘴で突きながら主を起こした。

 布団の中の主がのそのそと動き出したのを見て、鴉は足で掴んでいた紙の束をバサッとベッドの上に放り投げる。


『ホラ、依頼がたくさん来てるゾ! アルジ、人気者ダナ!』


 羽を広げて誇らしげにそう告げる鴉に、反応することもなく主人は上半身を起こす。そしてぼんやりと紙の束を見つめた。


 ふと、何かに気付いたかのように、長い睫毛を震わせる。


「……狩守カラスけられたね」


 主がそう呟いた時、部屋のドアが大きな音を立てて開かれた。狩守と呼ばれた鴉は大層驚いた様子で、バサバサと羽根を数枚落としながら窓から慌てて逃げていく。


「ついに見つけたわよ! 日雇いの殺し屋!」


 部屋を開けた犯人は、歳の頃十五ほどの少女だった。長い黒髪に利発そうな目、やや吊り上がった眉からは勝気そうな性格が滲み出ている。

 少女は、ベッドの上の主がまだ十二、三歳ほどの少年であることを確認し、軽く頷いた。


「まだ少年だという噂は本当だったのね……。確認させてもらうわ! 貴方が噂の殺し屋なんでしょう?」


 少女は部屋に一歩足を踏み入れた。けれど、なぜかそれ以上前に進まない。否、進めないのだ。


 少女はふと足元に視線を落とす。震えていた。足だけではなく、全身が震えている。この状態になって初めて、自分が目の前の相手に恐怖心を抱いていることに気付いたようだ。

 この部屋だけが、妙に綺麗で豪華なことにも。


 少女は浅い呼吸を繰り返す。一方で、部屋の主である少年は、我関せずといった様子で服を脱ぎ始めた。


「きゃっ、ちょ、ちょっと! なんで脱ぎ始めるのよ!」


 年頃の彼女はその瞬間、恐怖心を忘れて少年の突然な行動に抗議をした。顔に熱が集まったのか、頬を赤く染めて視線を少年から逸らしている。


「脱がなきゃ、着替えられない」

「そ、そうだけど! 何も女の子の前で……!」

「ここは僕の部屋だ。侵入者に文句を言われる筋合いはないよ」


 反論の余地もない。少女は黙って彼の着替えを待った。西向きの部屋の窓から、今まさに橙色の光が木々の隙間を縫って僅かに差し込んでおり、それが余計に少年を艶めかしく見せている。

 極力見ないようにはしているものの、少女はチラチラと横目で少年の姿を確認していた。少年はその視線に気付いているのかいないのか。マイペースに上半身裸のままクローゼットへ向かい、のんびりと服を選んでいる。


「出て行かないの」


 服に腕を通しながら、少年が口を開く。まさか声をかけられるとは思っていなかった少女は驚いて一瞬息を呑むも、すぐに言葉を絞り出した。


「い、行かないわよ! 私は貴方に、用が、あって……」


 やがて陽が沈み、薄暗い部屋がさらに暗くなっていく。それに合わせてこれまで黒かった少年の髪が少しずつ白銀へと色を変えていった。あまりの光景に、少女の言葉も尻すぼみになる。


「貴方、何者なの……」


 考えていた言葉を全て放り投げ、少女は問う。髪の色が変わるなど、普通ではあり得ないことだ。


「何者、か。じゃあ、君は? 何者?」


 質問に質問で返され、少女はギュッと拳を握る。この部屋に入った時に感じた恐怖が、じわじわとまた彼女を襲い始めた。


「私は、ヒカル。ヨウの地に住む……ただの村娘よ」


 ヒカルと名乗った少女は、今にも逃げ出したい衝動に駆られていた。しかし、今ここで逃げ出すわけにはいかない。彼女にはどうしてもこの殺し屋に依頼したいことがあるのだから。


 少年は口の中で小さく「ヒカル」と呟きながら、クローゼットからマントを取り出し、わざと大きくバサッと音を立てて羽織った。ビクッと身体を震わせた少女を見て、少年の口元は弧を描く。


「世の中は名で溢れているね。生き物にも全て名がある。名があるから、何者かになれるんだ」


 そして突然、語り出す。歌でも歌うように。

 心地良いボーイソプラノの声は、まるで人を眠りに誘う子守唄。


 ヒカルの握る拳からじんわりと血が滲み出した。意識を持っていかれまいと爪を立て、必死に抗っているようだ。


 ヒトではない、ナニカだ。ヒカルは思った。スゥッと血の気が引いていく。


「僕はたぶん、人間じゃない。君もそう思ったでしょ?」


 考えていたことを言い当てられ、ヒカルは息を止めた。


「そして、僕には名もない。ただ君たちが『殺し屋』と呼ぶから、殺し屋をしているけれど。だから、何者かと問われても、僕自身は答えを持っていないんだ」


 ごめんね? と、少年がこちらに目を向けた時に、ヒカルは初めて気付いた。黒かったはずの少年の瞳が、血のような赤色へ変化していたことに。


 そしてどこか、悲しそうなことに。


「さて、僕の住処を見つけてここまで来た君に敬意を表して」


 ゆっくりと少年が歩み寄る。ヒカルは指一本すら動かせない。ふわりと、甘く上品な香りが彼女の鼻腔をくすぐった。どこか懐かしい、花の香り。


「君の依頼を受けよう。言ってみてよ」


 ────君は、誰を殺したいの?


 唇が耳に触れそうなほど近くで囁かれ、ヒカルはついにその場にくずおれた。


 クックッと少年は喉の奥で笑う。相変わらず身体に力が入らない様子のヒカルだが、キッと少年を睨みつけたその瞳は力強かった。それを見て少年はさらに笑みを深くし、スッとヒカルの前に屈む。


「僕は赤が好きなんだ。人の血とかね」


 脅されているのだろうか、とヒカルは訝しむ。だが、先ほどこの少年は自分に誰を殺したいのかを問うた筈である。少年の真意を探ろうとしているのか、彼女は黙ったまま少年の言葉の続きを待っていた。


「でも人の血の赤は、あまり美しくないんだ。なんでかな」


 君のは、綺麗かな? と続けられたその言葉に、ヒカルはようやく自分が揶揄われていることに気付く。ここで相手のペースに乗ってはならない。そう覚悟を決めたのか、ヒカルはグッと顔を上げて強気に言い放った。


「人の血だから、綺麗に見えないのかもしれないわよ?」


 返答が予想外だったのか、少年はピクリと片眉を動かした。ヒカルはそれを見逃さない。殺したい相手がいるかどうかだったわね、と間髪入れずに言葉を続ける。


「いるわ。だからここに来たのよ」

「それは、誰?」


 ヒカルの言葉に被せる勢いで少年も問う。赤い瞳の鋭さが増し、ピリッとした空気が肌を刺す。


「……神の血を、見たいとは思わない?」


 冷や汗を流しながら告げられたその言葉は、暗くなった室内に静かに染み渡る。ヒカルは続けた。


 陽の地には古から守り神がいる。大きな街から離れた村々には未だ古い仕来りが残っており、毎年、順番に村から若い娘を贄として差し出す。そうすることで、神様に一年の感謝と祈りを捧げ、また次の年の安寧を乞うのだという。


 そして今年は自分の村の番であり、贄には親のないヒカルが選ばれた。


 彼女は村の掟に従い、昨晩神の祭壇へと向かった。村の者たちは贄が逃げぬようにと、祭壇の上に彼女を磔にし、早々に村へと戻っていく。残されたヒカルはたった一人、真っ暗になった森の中の祭壇で、ひたすら恐怖に耐えたという。


 どれほどの時間が経過したのか。何かが這い寄る気配でヒカルが顔を上げると、そこには黄金に輝く巨大な二つの目。周囲が闇に包まれているため、その姿の全貌を捕らえる事は出来なかったが、瞳孔が開いたその目が明らかにヒカルを捕食対象として見ているのがわかった。


 ────ただの、人食いじゃないか。

 こんなモノが神であってたまるか。ヒカルはその時思い知ったという。


「黙って村の人達の指示に従っていたのが馬鹿馬鹿しく思えたわ。その瞬間、絶対に死んでやるもんかって、恐怖よりも怒りが込み上げてきたのよ」


 その後の事は、本人もよくは覚えていないらしい。無我夢中で暴れたせいか、その人食いがたまたま台座を破壊したのか。ともあれ身体の自由を取り戻したヒカルはひたすらに、何日も飲まず食わずで走り続けたそうだ。

 気付けば意識を失っており、次に気が付いた時には大きな街に住む老夫婦の家だったという。これが己の村だったらどんな罰を受けていたかわからないわ、とヒカルは肩を竦めた。


「療養している時に聞いたの。日雇いの殺し屋がいるって話をね」


 そこで、依頼者が手紙を森の奥にある大木の洞に入れて置くことを知った彼女は、その手紙がどこに運ばれていくのかを何日も寝ずに見張っていたらしい。そうしてついに今日、鴉が手紙を掴んで飛び立つのを見付け、後を追って今に至るというわけだ。磔で待っていたあの夜や、必死で何日も逃げ続けた時に比べたらなんてことはなかったとヒカルは語った。


「依頼の話に戻るわよ。貴方の殺しの対象は人でなければいけなかったかしら? でも、失敗知らずの殺し屋って聞いているもの。神くらい殺せるでしょう?」


 身の上を話したことで落ち着いたのか、ヒカルはようやく身体を動かす。今度は自分が少年の顔にズイッと近付き、しっかりと目を見て告げた。


「私の依頼は神殺しよ。陽の地に住まう神を殺して」


 二人はしばらく見つめ合う。周囲は静まり返り、少女の緊張した息遣いだけが耳に入ってくる。彼女は冷や汗を流しているが、少年は顔色一つ変えずにただ彼女の目を見つめていた。

 やがて、少年が口を開く。


「神を敵に回すの? 君はソレを神なんかじゃないと言うけれど、村の守り神という名があるのなら、その人食いは紛れもない神だ」

「……そんなに名が重要なの?」


 本来なら、少年は人と会話をする気はなかった。だが、彼は最初から少女がいつもの人間とは違うと感じていた。


 自分の住処を突き止めようと動けるのも、実際にここまで足を運べた事も、通常ではあり得ぬ事・・・・・だからである。少女に何か特別な力があるのか、はたまた強すぎる意志の力か。少年の血によるまじないを破れる者との邂逅は初めてで、彼は気持ちが昂るのを感じていた。


「重要だよ。皆が僕を日雇いの殺し屋と呼ぶから、僕が人を殺さねばならないのと同じ。名は『縛り』だからね。で? 神を殺すって? 本気?」


 だからこそ、饒舌になる。虐めたくなる。知りたくなる。

 そして、自分を知ってもらいたくなった。自分さえ知らない自分の事を、彼女なら知り得る気がしたのだ。


「本気よ。今ここで、この身体で生きているのは私よ! なぜ生死をよく知りもしない他人や神なんかに握られなきゃならないの」


 彼女の一挙手一投足が愉快で、小さな唇から紡がれる言葉の一つ一つが興味深い。


「このまま、村に帰らず逃げるのは簡単だわ。でも、それじゃ何も変わらないし、何より私の気が晴れない!」


 なぜなら、眩しいから。散々な目に遭って尚、彼女は迷いなく生にしがみ付き、それでいて報復を望み、先行く道を照らしている。他ならぬ、自分のために。

 まるで、自ら輝ける太陽のようだと少年は思った。その光の下では自分が花開く事は叶わないが、それさえもまた、彼女に惹き付けられる要素の一つとなっていた。


「くだらない仕来りや村のみんなの幻想。それをぶち壊したいの。神になんか頼らずに、己の力で生きてみろって思い知らせてやりたいのよ!」


 そこで初めて自分は過去から解放される気がするのだ、とヒカルは締め括る。


 少年は、ゾクゾクと内から湧き上がる不思議な感情を抑えきれず、心底愉快そうに口元に弧を描く。身体が勝手に動き、彼女の両肩を掴んで押し倒した。その細腕のどこにこれほどの力があるのか、少女よりも小柄な少年はその姿に見合わぬ力で以て、ヒカルを押さえ付けた。逃れようと腕で突き放そうとしてもビクともしない少年に、ヒカルは焦ったように眉根を寄せる。


「随分と自分本位な理由じゃないか」


 少年は言う。次にどんな言葉が返ってくるのかが楽しみで仕方ない。


「……人間なんてそんなものでしょ。その自分本位に巻き込まれて死にかけたんだもの。私にだって我儘をする権利があると思うわ」


 この状況下で強気な姿勢を崩さないその返事を聞き、少年はついに堪え切れずに声を上げて笑った。こんなにも感情が動くのは初めてだった。


 ヒカルは突然笑い出した少年をポカンと見上げたが、すぐにムッとなっていい加減に退きなさいよ、と少年の胸を拳で叩く。しかし相変わらずビクともしない。


「……意外と体格がいいのね」


 言ってすぐ、ヒカルはハッとしたように自分の口を塞ぐ。声を上げていた少年はフッと目を細め、彼女に顔を近付けた。


「何を思い出したの」

「な、なんでもないわよ」


 少年から逃れるように顔を逸らすヒカルに対し、それを許さないとばかりに少年は彼女の顎を掴んだ。そのまま無理矢理こちらを見させ、鼻先が触れ合う程の距離で告げる。


「……えっち」

「なっ……! べっ、別に、貴方の裸なんて思い出してな……あっ、えっと、そ、それに! お子様の裸を見たくらいなんてことないわよ!」

「ふぅん。お子様に耳元で囁かれただけで、腰が砕けたくせに?」

「うっ、うるさいわね!」


 彼女の反応に満足したのか、少年はようやく手を離し、立ち上がった。ヒカルは開放された事にホッと胸を撫で下ろし、自らもヨロヨロと立ち上がって衣服を整える。

 

「さっき、貴方は受けてくれると言ったわね。でも、別に断ってもいいわ」


 ダメ元で来たから。ヒカルはそう付け足した。少年は被っていたフードを取り、彼女の方に振り向く。窓から僅かに射しこむ月明かりが、彼の銀髪をより輝かせた。


「断ったら君はどうするの」

「自分で殺しに行くわ。でも私にはその力がないから、返り討ちに遭うでしょうね。だから出来れば協力してほしいのだけど」


 これまでの依頼者と、決定的に違うのはそこだ。少年は機嫌よく鼻で笑う。


「じゃあ君は、僕と一緒に・・・神を殺したいと、そう言ってるんだね?」

「? そうよ。頼むだけ頼んでハイ終わり、だなんて無責任じゃない」


 でも足手纏いになるだとか、一人の方がやりやすいというのならそれに従う、と彼女は言った。それを聞きながら少年は窓に向かう。それから外に向けてパチン、と指を鳴らした。


「僕、ヒカルのコト、好きだな」


 鬱蒼とした木々の影と僅かな月明かりを背にして、窓枠に寄りかかりながら少年は微笑んだ。これまで見た冷たいソレとは違う、年相応な少年の笑顔を見て、ヒカルは時が停止したかのようにその動きを止めた。

 暫くして羽音とともに黒い影が室内に飛び込んで来た。そこでようやく我に返ったヒカルは、慌ててその正体を確認する。それは先ほど逃げ出した狩守だった。


「いつか、君の血が見たいな。人間だけど、君の血なら、赤が美しく見えそうだ」


 少年は左腕に狩守を止まらせながら言葉を付け足す。それから右手でナイフを持つと、自身の左手指を軽く切った。ジワリと指先から赤い血が滲み出す。


「……その殺し屋の発想、どうにかならないの?」

「仕方ないよ。人々が僕をそう呼ぶのだから」


 血の滲んだ指を少年が擦ると、小さな炎が指先に灯る。同時に備え付けられていた燭台に火が灯り、室内が揺らめく炎で明るくなった。少年の手には炎の代わりに、どこから現れたのか一枚の紙が握られている。ヒカルはその光景を夢でも見ているかのようにぼんやりと眺めていた。


「報酬は? 君は、僕に何をくれる?」


 少年の言葉でヒカルは我に返った。と同時に、困惑したように口籠る。彼女は着の身着のままでここへ来たのだ。渡せる物など何もない。

 当然、そんな事など少年も承知の上で問うていた。ただ、そんな彼女が何を差し出そうというのかに興味があったのだ。


「……ねぇ。名が、その人が何者なのかを決めるのよね?」


 紙を持ったまま彼女の元へと歩み寄る少年に、ヒカルは戸惑いがちに口を開いた。そうだよ、と短く答える彼に、ヒカルは意を決して再び口を開く。


「報酬は『名』よ。私が名を与えたら、貴方は殺し屋以外の何かになれるんじゃない?」


 悪くない答えだ。少年は数秒考えた後、そう言った。

 もちろん、こんな少女に名を貰ったところで自分が何者かになれるとは思っていない。殺し屋の名がある限り、自分は生涯殺し屋のままだ。


 しかし名を得た事で、何かが変化したとしたら。

 人が勝手に決め付けた以外の、自分だけの「何か」になれたとしたら。


 それは、これ以上ない程の報酬となり得る気がした。


「僕、君の血が見たいんだけどな」

「悪趣味よ。けど、名を与えて貴方が殺し屋ではない何者かになれたなら。それでもまだ見たいと思ったのなら、ちょっとくらい傷を付けてもいいわ」

「面白い。決まりだ」


 少年は手にしていた紙をヒカルに押し付ける。受け取った紙に少女が目を落とすと、それが契約書であることがわかった。


「ケーヤク! ケーヤク! アルジ、この依頼書の山はどうするんダ?」

「か、鴉が喋った⁉」

「暖炉に放り込んでおいて」


 驚く少女を無視して少年が指示を出すと、狩守は「モヤス! モヤス!」と騒ぎながら、散らばった契約書を集めて飛び去った。未だに呆気にとられているヒカルに対し、少年は内容をよく読んでサインをするようにと告げる。そのまま自身は壁に寄りかかって腕を組んだ。


「例え別の存在になれたとしても、僕のこれまでは消えない。『殺し』はいつか巡って自分に返ってくる。僕は、この世の歯車なのだからね」


 少女が契約書に目を通している間に、少年は言う。これは、警告だった。


「そう。歯車なのは私もよね? 私も神を殺すのだから、いつか大きなしっぺ返しがくるわね」

「それでもいいの? 今なら引き返せるけれど」


 しかし、ヒカルの決意は揺るがなかった。それを当たり前の事としてあっさりと受け止めている。自分と同じように。


「精々それまで人生楽しんでやるわよ。ペンはある?」


 ――――ああ、良い。やはりヒカルは良い。


 少年はまた笑みを深めて一つパチンと指を鳴らす。すると、瞬きの間にヒカルの手元に万年筆が落ちてきた。一体どうなっているのだろうとヒカルは不思議そうに首を傾げたが、深く考えることは諦めたようだった。すぐにペンを取って最後の確認を口にする。


「雇用は一日だけ……。ねぇ、神を殺すのに一日で足りるの?」

「さぁ。でも、僕は失敗知らずの殺し屋とも呼ばれているのでしょ。なら、問題ないよ」

「名の縛り、か。ちょっと便利なとこもあるわね、それ」


 この少女は、己が長年苦しめられてきた「名の縛り」でさえ便利だというのか。どこまで自分を喜ばせるのだろう。


「神をコロスのかヨ! 恐れ知らずなオンナだな! 気に入った! 気に入った!」


 いつの間にか戻ってきた狩守がバサバサと音を立てて嬉しそうに羽ばたいている。どうやら狩守も彼女を気に入ったようだ。ヒカルは鴉に気に入られてもね、と言いつつサラサラと名前を記入した。


「楽しみだな。君は僕にどんな名前をくれるのだろう」


 ヒカルから契約書を受け取りながら、じっと「ヒカル」の名を見つめた少年は嬉しそうに言った。


「そうね。貴方はどこか、私の好きな花に似ているから。漂う香りも、その変な体質も。もしかすると、その花の化身だったりして、ね?」


 その花の名は? という少年の問いに、ヒカルはまだ内緒よ、と人差し指を唇の前で立てた。

 少年は小さく笑って前を向く。その手には、人食いを倒すには心許ないナイフが握られていた。必ず報酬を手に入れて見せる、などと柄にもなく決意を固めて。


「ねぇ、気付いているかしら? 貴方、今普通の男の子みたいな顔してるわ」


 少年は「僕を誰だと思っているの」と言いながら彼女に手を差し伸べる。


 ヒカルは「まだ・・殺し屋だったわね」と笑いながらその手を取った。

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日雇いの月来光、陽光を知る。 阿井 りいあ @airia

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