雪明かりと観覧車、泥棒のワンピース

福津 憂

雪明かりと観覧車、泥棒のワンピース


 観覧車はカタリと揺れ、小さな音を足元に響かせる。地上を離れたその籠は、ゆっくりと頂上へと昇ってゆく。灰色の空からは雪が降っていた。

「物語の始まり方なんて、どうだって良いとは思わないか?」所々に赤い染みのついたシャツを着たモガミは、彼の膝の上に頭を渡すサイジョウに目線を落としそう呟く。彼女は小さく頷いた。


「眠くなってきました」サイジョウはモガミを見上げ、弱々しい口調でそう言った。

「寝るな。目を瞑ってはダメだ」モガミは彼女の頬に手を当て、指先で目元を拭う。「夜景、見えないな」彼女に話しかけ続けなければならない。

「いいんじゃないですか?私たちには縁のないものですし」サイジョウはそう呟くと、少し笑ったように口元を綻ばせる。


 サイジョウは大きく息を吸うと、腕を伸ばし、モガミの首に手を回す。彼女の細い右腕がモガミを引き寄せた。

「ダメだ」彼は遮る。

「なんで逃げるんです?」

「よくないだろ。君はまだ未成年だ」

「泥棒が何言ってるんですか」

「泥棒を誘ったのは君だろ」

「今だって、私が誘っているんです」サイジョウはモガミの膝の上から、彼の目をじっと見つめる。モガミは目を逸らす。こんなことになったのも、彼女のその澄んだ目にNOを言えなかったからだ。


 籠は雪明かりに照らされ、窓からは赤い回転灯が差し込んでいる。サイジョウが小さく咳き込み、モガミのシャツに赤い染みが増えた。

「本当にかすり傷だと思ってましたか?」サイジョウは赤く濡れた唇を開く。「見てみます?」彼女は小さな声で、ゆっくりと話し続けた。

「知ってましたか、キスには鎮痛作用があるんですよ」「エンドルフィンというホルモンの作用です」

「もう喋るな」

「察しが悪いですね。お腹に金属をねじ込まれたんですよ。痛くてたまらないんです」


 頂上に近づき、雪風に震える窓の隙間からは楽しげな園内放送が入る。サイレンの数が段々と増えていた。サイジョウはモガミの首から腕を外すと、小さく笑った。

「ぎこちない。初めてですか?」彼女はそう呟く。「私もですよ」

「練習しとく」モガミは窓の外を吹く雪に視線を向けて言った。

「それはダメです」サイジョウはその握った右手でモガミを弱く叩く。


 「人生最後の日は何しますか?」そう話すサイジョウの声は掠れてゆく。彼女はモガミに体を起こすよう頼んだ。モガミの肩に頭を預け、小さな声で話す。「これで聞こえますか?」

「恋人と一日中観覧車に乗りたい」モガミはそう答えた。

「一生叶わなさそうですね」サイジョウは呟く。「なってあげますよ、恋人に」

「倫理的にダメだろう」

「泥棒二人に倫理を説かないでください」

「君が誘ったことだ」モガミは小さく答える。「君は何したい?」

「運命の人と二人きりで過ごします」

「俺がなるよ」

「運命の捏造はやめてください」

「君もやったことだ」モガミとサイジョウは笑った。


 籠の中は少しずつ明るさを増してゆく。

「冬は嫌いです」サイジョウは囁く。「寒いじゃないですか」

「でも夏は暑い」

「エアコンがありますし、夏の雲が好きです」

「それに———麦わら帽子とワンピース———」サイジョウは瞼を下ろしたまま呟いた。

モガミはサイジョウを抱えるようして引き寄せる。

「期待しておいてください。私はワンピースがよく似合いますから」

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雪明かりと観覧車、泥棒のワンピース 福津 憂 @elmazz

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