第9話 ハルカの帰還

サツキは御殿場ICで高速道路を降りて富士山方面に向かった。富士山の麓をグルリと周り、山梨県を目指す。そして夜8時に到着したのは三山山荘跡地だった。車から降りるとトランクから荷物を担ぎ上げ、山荘に運んだ。布団が湿っていたのは汗だけではないだろう。サツキはリビンクだった場所の真ん中に椅子を置き、そこに布団で拘束してある女を座らせた。そして過去視をすべく目を瞑って浅倉みつるが撮影した動画を頭の中で再生した。浅倉みつるの言ったことが本当かどうかと、浅倉みつるが観測した未来を変えるとどうなるかを確かめておくことが目的だった。


目を開けると半透明の浅倉みつるが、椅子に座らせた森島はるかの背中に発現し、そこに携帯のカメラを設置しているのが視えた。サツキはそこで森島はるかの目隠しを外し、女から過去視が視えるようにした。サツキ自身は女から見えないように椅子の後ろに立つ。過去視の浅倉みつるは森島はるかをすり抜けて女の正面に移動した。


壊れた窓から差し込む月明かりで、暗闇の中でもリビングの中はそこそこ見える。過去視の浅倉みつるが変に暗闇に浮かび上がるということはなかった。


森島はるかはまた何かを叫び出す。暴れて椅子から落ちそうになるので、サツキは後ろから彼女の肩を押さえつけ、前のみが見えるようにした。浅倉みつるがスケッチブックを準備しているのが視える。


と、ここでサツキは疑問を持った。向こうの浅倉みつるは過去視を認識できるはずなのだから、すでにこちらに気付いていなければならない。しかし過去視の浅倉みつるは気づいていないように振る舞い、そして気づかないままスケッチブックでメッセージを出していく。予め書いておいたのだろう、その場で書き込む様子はなかった。


——

森島はるかさん


そこにいるのでしょう?


こちらからは見えないけど


いるのは知ってます


あなたには色々なものを奪われました


でも時間が経ち過ぎて


今はもう恨みとかありません


ただ貴女を消滅させることだけを考えて


何度も過去をやり直しました


もう何回繰り返したか分からなくなったけど


とうとう方法を見つけました


森島はるかさん


さようなら


サツキさん


あとは頼みます

——


訝しみながら過去視の映像をみていたとき、外で車のエンジン音が聞こえた。誰かが来たのである。想定外の事態にサツキは舌打ちをした。過去視のほうも目が離せない。半透明の浅倉みつるはスケッチブックを床に落とすと、ポケットから何かを取り出した。白い棒状のものに視える。サツキはそれを見たことがあるような気がした。あれはアメリカで軍隊にいたとき、大怪我を負った同僚の足の中に見えていたもの、もしくは人探しの依頼を受けた時に見つけた白骨死体と同じもの、骨だ。


過去視の浅倉みつるは骨を握りしめてこちらに近づいてくる。向こうからは見えていないと書いてあった。確かに目線はこちらを捉えていない。しかし真っ直ぐに近づいてくる。外からも車のドアが閉まる音が聞こえた。


サツキは咄嗟にキッチンに姿を隠し、リビングの様子を隠れ見る。


椅子に座らされていた森島はるかは、サツキの固定が無くなったために過去視の浅倉みつるから逃げるように床に倒れ込み、海老反りで距離を取ろうとした。しかし過去視の人影はなぜか正確に追いかけてくる。そして壁まで追い詰めたところで、浅倉みつるは持っていた骨を森島はるかの胸のあたりに突き刺した。刺さるわけがないのだが、刺さっているように視える。いや、刺さっていた。浅倉みつるが手を離しても、それは森島はるかに刺さったままだった。


森島はるかの体が小刻みに震え出し、それがドンドンと大きくなる。それを見届けたかのように満足した表情で過去視の浅倉みつるは消えていった。


布団に包まれた森島はるかの体は明らかに異常を示している。大きく跳ね上がり、瓦礫にぶつかって埃を舞い上げていった。そしてリビングに新たな人影が入ってきたまさにそのとき、森島はるかの体は動きを止めて静かになった。一瞬だけ夜の森に静寂が訪れる。


サツキは入ってきた人影を見た。暗闇で顔がきちんとは見えないが、おそらく浅倉みつるだろう、携帯の電源を切っても位置情報を発信するようになっていたのかと思い当たった。


浅倉みつるは森島はるかを見つめている。サツキが森島はるかを確認すると目を開けて浅倉みつるを見つめ返していた。その顔には違和感がある。あれは誰だ。


すると、浅倉みつるが森島はるかに駆け寄り、彼女を拘束している布団のロープを外し始めた。その表情は歓喜に震えているように見えた。


サツキはキッチンから飛び出して浅倉みつるを蹴り飛ばした。


「何してるのよ、浅倉みつる。」


サツキが壁まで吹き飛んだ浅倉みつるを見下ろして言う。しかし近寄ると浅倉みつるの目が虚ろなことに気気付いた。


「あなた、ひどい顔をしてるわよ。ドカンと爆発させようとした気概はどこに行ったの。」


その時、サツキの足に痛みが走った。振り向くと布団と真ん中のロープが切り裂かれていて、その隙間から細い腕とナイフが突き出ていた。「拘束が解ける」とナイフを押さえにいったサツキだが、そこで後ろから体当たりを喰らった。浅倉みつるがサツキに突撃した結果だった。浅倉みつるに体当たりされても吹き飛ばされずに踏み止まったサツキは、ナイフの側で揉み合うのは危険と判断し、浅倉みつるの服の背中を掴んでいなすように投げ飛ばした。そして無力化すべく倒れている浅倉みつるに駆け寄って顎に一撃を喰らわせた。


起き上がろうと動き出していたところへ一撃が入り、浅倉みつるは昏倒して力なく床に伏した。サツキは次いで森島はるかと相対すべく振り返ったが、そこに福岡で捕まえた女の姿はなく、裸の、どう見ても10代の女がナイフを持って立っていた。サツキはその顔に見覚えがあった。


「(どういうこと?)」


サツキは困惑したが、現象について考えるのを止めて相手を制圧することに集中した。刺された足は掠っただけのようで動きに影響は無い。ナイフを持った裸の素人にわざわざ近寄る必要はなく、サツキは瓦礫を拾って女に投げつけた。


サツキのイメージでは瓦礫の粒に女が痛がり丸まって伏せるか逃げるかの二択だったのだが、女は瓦礫を意に介することなく立っており、逃げるどころかサツキの方向に歩を進めてきた。その表情は阿修羅の如く怒りに溢れており、その歩みは瓦礫を破壊するほど力に溢れていた。


「殺す!殺す!」


裸足で進む裸の女は足元に散らばる瓦礫を気にすることなく叫びながら進んでくる。そして女に踏まれた瓦礫が次々と砕けていた。


「(これはまずいかも。無痛症?それに足音が普通じゃない。何故かはわからないけど、かなり重い感じがする。)」


サツキは一旦引いた。キッチンに繋がる勝手口から外に出て車の方に向かった。その途中、窓越しに森島はるかだった女が何度もナイフを振り下ろすのを見た。あの位置は浅倉みつるだろう、可哀想だが化け物相手に男を庇う余裕も仲間意識も無かった。


サツキは車のバックドアを開けて工具箱から手袋とドライバーとバールを取り出した。リーチならバールよりもスコップのほうが有利だが、アルミ製で強度が心許ない。バールなら鉄製のため、本当に女が重くても渡り合えるだろう。あの体積で重いとなると、密度が高く硬い可能性があった。物理法則に従っているならだが。


「(浅倉みつるが我を失くして私に攻撃してきたってことは、あれは森島はるかのままってことだよね。それに、あの顔は見たことある。確か捜査資料にあった死体の一人があんな顔だったような。10代と思われる死体が二つあって、その片方の顔立ちに似てる気がする。つまりゾンビ退治ってことよね。ならバールで間違いないわね。)」


このまま車で逃げる選択肢もあったが、後で追いかけ回されるよりここで決着をつけた方が良いだろうとサツキは判断した。こそこそ隠れ住むのは勘弁だった。


サツキは手袋を嵌めてドライバー3本をジャケットのポケットに入れた。そしてバールを握りながら車のエンジンをかけてヘッドライトをつけた。ライトが建物を照らしつける。窓から差し込むハイビームに女が手をかざして光を遮るのが見えた。サツキはヘッドライトを背に建物に近づく。窓から覗くと、森島はるかがダイニングテーブルを持ち上げてサツキに投げようとしているところだった。サツキは即座に反応して横に飛んだ。ダイニングテーブルが壁ごと窓を突き破って外に飛び出してきた。


「お前も殺す!絶対に殺す!謝っても殺す!」


サツキはマイナスドライバーを一本取り出して壊れた壁に近づいた。そして中を覗いて森島はるかの体を認めた瞬間に、それをナイフ投げの要領で投げた。ドライバーは森島はるかの腹に突き刺さったが、森島はるかはすぐにそれを抜いて投げ返してきた。投げ返されたドライバーは壁を突き破って車の右のヘッドランプに当たり、明かりを一つ消した。


「(何あれ、力が強すぎるし腹から血が出てない。本当に化け物退治ってこと?)」


サツキは少し楽しくなってきている自分に気がついた。


「(さて、どうやって倒そうかしら)」


とその時、サツキの視界の端、車のライトの向こうに急に半透明の女が現れた。こっちもどこかで見た気がするが、今は記憶を探っている場合ではない。半透明の女は裸の女のほうを指差しながら逆手で数字の5というジェスチャーをしていた。意味がわからない。


「豊橋晴香!とっくの昔に殺したはずなのに何でそこにいる!」


森島はるかからもあの女が視えているらしい、叫び声を上げると建物から出てきて、豊橋晴香と呼んだ相手に近寄りナイフを振り下ろして突き刺そうとした。ナイフは女の手前で止まったが、その空間にはヒビが入っていて、森島はるかがもう一度ナイフを振り下ろすと半透明の女ごと空間が砕け散った。


サツキはその隙を逃さず、音を立てずに森島はるかの背中に回り込んでいて、後ろからバールの鋭利な先端を心臓の位置に突き刺した。ドライバーの時と同様にバールを抜いても血が吹き出ることはなく、森島はるかが活動を止めることもなく、むしろ振り返り様にナイフで切り付けてきた。サツキはそれを屈んで躱し、後ろに引いて建物の中に入っていった。


建物の中には別の半透明の女がいた。これまた見たことある顔だった。豊橋晴香と同じように森島はるかを指差して逆手で数字の4を描いていた。


「(わかってきた。この人達はあいつを刺すと出てくるのね。刺す度にカウントダウンするなら、あと4回刺せ・・・いえ、殺せということね。)」


サツキはキッチンを抜けてまた建物から出た。そして玄関側へ回り込む。


「宮園春華!お前は溺死させたはずだ!」


叫び声とともにまたナイフを振り下ろすのが窓から見えた。二度目で空間ごと宮園春華と呼ばれた女が砕け散った。


ワンテンポ遅れてサツキが背後からバールで後頭部を殴りつける。森島はるかはその直前に振り返り、ナイフを持っていない方の腕でバールを受けた。そしてナイフでサツキに切りつける。サツキはそれを躱しながらバールで森島はるかの顎を強打した。森島はるかの体は崩れ落ちることも吹き飛ぶこともなく、すぐにナイフで応戦してくる。サツキはそれを回避しながら、隙を見て森島はるかの頭部を強打していった。


二撃を加えたあとにサツキが後方に引くと、女がサツキにナイフを投げつけようとしているのが目に入ってきた。サツキはそれを横に飛んで躱す。空を切ったナイフはリビングの壁に突き刺さり、突き抜けることはなかった。


「(力が弱くなってる?)」


改めて観察すると、裸の森島はるかの歩みから重量感が減っているように思えた。


そしてまた半透明の女が出現する。今度は森島はるかの真横に現れ、森島はるかを指差しながら数字の3を空中に描いている。


「佐々木陽花!ビルから蹴落としたのに!」


森島はるかは佐々木陽花と呼んだ女を殴り付けた。女は砕け散って消えた。


その隙を狙ってサツキは、ポケットに残った二本のドライバーを森島はるかの腹に目掛けて投げていた。腹は骨が無いため刺さりやすい。二本とも森島はるかの腹部に刺さったが、今まで通りそれで森島はるかが止まることはなかった。


「(さて、あと少しかな。)」


サツキが距離を開けるために建物の外に出ると、半透明の女が二人いた。そして二人とも人差し指を立てて1を表現していた。二人のうちの一人は森島はるかと同じ顔をしていた。いや、正確には福岡で拐った森島はるかと同じ顔である。つまりこの女性が米澤遥なのだろう。


さあ決着の時である。サツキはバールを肩に背負って森島はるかが出てくるのを待った。建物からナイフを片手に出てきた森島はるかの歩みにはもはや重量感はなく、ペタペタという足音とともに俯きながらサツキに近寄ってきた。


「ねえ、どうして貴方はあたしを殺そうとするの?あたしは何をしても許されるのよ。誰もがあたしに平伏すの。貴方も平伏しなさいよ。世界の全てがあたしのためにあるのよ。それがわからないの?」


サツキは黙って聞いていた。今更森島はるかがどう動こうが、特殊訓練を積んだサツキに勝てるわけがなかった。


「ねえ、過去に戻るのって凄い快感なのよ。セックスなんかよりも全然凄いの。貴方、昔に私を覗いてた人よね?ならわかるでしょ?ねえ、貴方も感じてみない?あたしと一緒に過去に行きましょ。」


サツキは黙ったままだった。


「ねえ、聞いてるの?貴方も気持ち良くなりたいでしょ?あたしとならなれるのよ。ねえ、聞いてるの!」


サツキはただ森島はるかを見ていた。


「そう、分かってもらえないのね。じゃあこの世界は諦めるわ。さようなら。」


そういうと、森島はるかは手に持ったドライバーを自分の心臓に突き刺した。その瞬間、森島はるかの肉体は地面に崩れ落ち、残った空間に半透明の森島はるかが立っていた。半透明の森島はるかは周りを見渡して怯えた表情で何かを叫んでいる。サツキも周りを見渡すと、米澤遥ともう一人はすでに消えており、代わりに暗闇の奥から別の何かが来るのが視えた。人形が無理やり動いているような、そんな気味の悪さを感じる動きでやって来た何かは、森島はるかを取り囲んで手足を掴み、彼女の地面に伏した肉体、そして抵抗している精神、あるいは魂を次々と食べ千切り、彼女の姿が無くなったところで地面に沈んで消えていった。


「地獄の使者ってやつかしらね。ちょっと同情するわ。さようなら。」


サツキは夜空を見上げてそう呟いた。


そして建物に入っていく。そこで違和感を覚えた。浅倉みつるの死体が無いのだ。


「あれ?死体が消えてる。血の跡も無いわね。うーん。」


サツキは他の部屋も見てみたが、這った跡も隠れた形跡も何も無く、浅倉みつるは何処にもいなかった。


「うーん、もしかしてまたタイムトラベルしちゃった?」


一応確認しておこうと、サツキは過去視を始めた。12年前の浅倉みつるが未来から来る日を視る。視るのは二度目だから発現しないはずなのだが、なんとなく視れる気がした。


サツキが目を開けると、そこには浅倉みつると五人の女性が倒れており、気がついた浅倉みつるが涙を流して米澤遥に抱きついたところで、米澤遥も目を覚まし、浅倉みつるの頭を優しく撫でた。それに浅倉みつるが驚き、更に涙を流して強く抱きしめるのが視えた。そのうち、他の四人の女性も目を覚まし、お互いに手を取り合って立ち上がってきた。浅倉みつるが女性の一人に気が付き、土下座をして謝っている。未来で刺した相手なのだろう。相手の女性は浅倉みつるの手を取り立ち上がらせていた。


そして全員でサツキに向かい、「ありがとう」と口を動かして頭を下げた。サツキは手を振って応えた。そして彼女達が建物から出ていくのを見守った。


「さて、私も帰ろうかな。久しぶりに楽しかったわ。あー、でも浅倉みつるからお金を貰いそびれちゃった。一千万円しかもらえなかったー。あいつ、全財産をくれるとか言ってたのに、もったいないことしちゃったな。仕方ないからあのランドクルーザーを貰っておこうかしら。」


サツキも建物から出ると、片方のライトが壊れた車から牽引フックを取り出し、サツキが乗ってきた車と浅倉みつるが乗ってきたランドクルーザーを繋げた。そしてランドクルーザーに乗り込み、三山山荘を後にした。


「ねえジェームズ聞いてよ、何かもう凄い体験をしちゃったんだから。」


「朝から楽しめそうな話かい?」


「そうねぇ、コーヒーとパンとサラダを準備してゆっくり聞くといいと思うわよ。」


サツキとジェームズの会話は帰りの旅路の間ずっと続いていた。


Fin.

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ハルカを巡るサイコメトリーサスペンス 世上石亥 @yonouesekigai

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