第8話 福岡からの帰り道
「もしもし、田所?」
「なんですか姉さん、こんな遅くに。」
「依頼人と連絡を取りたいのだけど、向こうに伝えて電話するように言ってくれない?」
「あー、明日でもいいですか?」
「ASAPよ。」
「なんですかそれ?」
「今すぐってこと。」
電話越しに田所の無言が聞こえてくる。
「・・・・・・わかりましたよ。」
「よろしくー。」
電話を切って依頼人から支給された携帯が鳴るのを待つ。が、すぐには鳴らない。自動運転に任せて走っている高速道路にも飽きてきたため、仮眠を取るべくパーキングエリアに移動した。車を止めて女の様子を確認する。まだ数時間は起きないだろうが、目覚めた時にうるさいのも面倒なので目隠しと猿轡代わりのタオルを女に巻いた。
そしてトイレに行く途中で注射器を粉々にしてゴミ箱に放り込み、麻酔薬も中身をトイレに流して瓶をゴミ箱に捨てた。
軽食とコーヒーと耳栓を買って車に戻る。女の耳に耳栓を突っ込み、コーヒーを口にしてから、シートを倒して眠りについた。
夢見心地の中で携帯の音を聞く。
目を覚ますと空が明けてきていた。鳴っているほうの携帯を取り、液晶画面の上で指をスライドさせた。非通知設定ではなく、番号が表示されていた。
「もしもし。」
「おはよう、そこは山口県かな。随分遠くまで行っているのだね。」
電話の相手は依頼主の浅倉みつるだった。
「あなたの愛しの殺人鬼は福岡にいたわ。捕まえたわよ。連れてくわね。」
電話の向こうから感嘆のため息が聞こえた気がした。
「では依頼通り3日後に三山山荘に連れてきて欲しい。」
「それは断るわ。今回は前金でもらった分だけの仕事にするわね。三山山荘にはC4っていう危ないものがあるから行けないの。残念だけど、雇った人間を殺そうとする人の依頼は受けられないのよ。そりゃやる事はやり終えてるわよね、爆弾でドカンだもの。」
「それは誤解だよ。その爆弾は森島はるかを殺すために仕掛けたんだ。君を殺すためじゃない。」
「そう?なら、どうして16:24なんていう中途半端な時間にタイマーをセットしたの?私の過去視から未来の情報を得たからじゃないの?そして過去を視ている最中にドカンという作戦じゃないのかな。」
「そうだ。10月26日に未来の君と会っている。でも日時を教えてくれたのは君だ。君が腕時計を見せてきて時刻を知ったんだ。君が指示したようなものだぞ。」
「・・・・・・ん?」
サツキは少し混乱した。浅倉みつるが適当なことを言っている可能性もあるが、確かに過去視の中で時刻を知る方法は限られている。身につけているものを盗み見るか、相手が教えるかだ。盗み見るにしては半透明の腕時計は見にくいだろうし、何より過去視の最中はこちらも向こうを認識している。腕時計を覗く動作をすれば丸わかりだ。
「(これは、タイムパラドックスかしら)」
未来の情報を知ってしまったサツキが過去視をしなければ、もしくは腕時計を外して過去視をすれば、もしくは三山山荘に行かなければ、未来をすでに観測している浅倉みつるの話と食い違いが出る。過去についてはサツキと浅倉みつるで観測したことは確定して変えられないという結論だったが、未来については実験をしていなかった。浅倉みつるにとっては二人で観測した事例となるが、サツキにとっては未来の話で観測できていない。この場合はどうなるのか、未来は変わるのだろうか。
そして自分が浅倉みつるに日時を教えたという理由もわからない。
「ちょっとこんがらがってきたわ。ひとまず其方に戻るから、この殺人鬼を受け取ってくれる?」
「ダメだ、そいつに直接会ったらまた支配されてしまう。贖えないんだ。そうなったら何も終わらない。」
「あなたが罪を被ってくれるなら、私が手伝ってあげるわよ。」
「・・・・・・なら、君の指定する場所に行く。どこでもいい。報酬も全財産でいい。ただ、必ず私とそいつの二人きりにしないと約束してくれ。囚われて君に危害を加える可能性もある。そしてただ見守って欲しい。頼む。」
「ふーん、やっと余裕が無くなったわね。またこっちから連絡するわ。じゃあね。」
サツキは携帯を切り、電源も切った。そしてエンジンをかけて車を走らせた。加速して高速道路に合流する。
「(さてどうしようか)」
サツキは考えた。森島はるかを生かしておけばサツキのリスクになることは明白だった。浅倉みつるのほうはジェームズが実験したいから死なせるなと言っていたが、あまり考えなくていいだろう。あとは未来を変えられるのかが気になる。浅倉みつるの話が本当なら、このままトランクの女を殺しても、三山山荘に行かなくても未来は変わる。過去視で過去が正確に視れないように未来も正確じゃないとすれば、サツキが浅倉みつるに時刻を教えた未来は多数に存在する可能性の一つということだろうか。
「(ジェームズと相談かしらね)」
サツキは携帯を取ってジェームズにSNSアプリから電話をかけた。携帯を車のシステムに接続させてあるため、ハンズフリーで話せる。
「グッドモーニング、サツキ。」
「グッドイブニング、ジェームズ。」
サツキは浅倉みつるとの会話をジェームズに説明した。
「ということなのよ、どうするのが良いと思う?」
「未来は気にしなくて良いんじゃないかな。君にとっての未来は未確定なのだから、君の仮説の通りに別次元の君が浅倉みつるにメッセージを送ったからって、それを君が考慮する必要はないだろう。森島はるかが君のリスクになることは賛成だが、人を殺すのはどうだろうか。それも君の人生にとってのリスクだろう。例え君が完全犯罪を達成しようともね。それで一つ試してみたいことがあるのだけど、聞いてくれるかい?」
「いいわ。」
「これまでの経緯から、三山山荘は幾つかの時空と次元が交差している座標と推測できる。特異点だね。そこを肉体ごと旅をしているのが浅倉みつるで、精神だけ移動しているのが森島はるかだ。森島はるかが移動する契機は、同じ性別、年齢、名前の相手を殺すこと。では三山山荘という特異点で彼女が自分を殺したらどうなるんだろう。彼女自身を殺すこともタイムループをする条件には当てはまっている。そして地理的要因が重なると、幸運があれば浅倉みつるの恋人を助けることが出来るかもしれないよ。森島はるかを過去に逃す可能性もあるし、そこの空間が他次元に吹き飛ぶ可能性もある。カオスだね。観測するまで確定しないと思う。それでも、実験としては面白いんじゃないかな。」
サツキは少し考えてから答えた。
「危険じゃない?」
「もちろん危険はある。ただ、空間が吹き飛ぶなんて言ったけど、そんなことが実際に起こる可能性はかなり低いと思うよ。やってみて欲しいなぁ。」
「うーん、誰も経験したこと無いことが起こりそうで楽しそうではあるけど、自分が死ぬかもしれないのはなぁ。」
その時トランクで物音が聞こえた。
「(起きたかな)」
まだ広島県に入ったばかりである。これから東京までゴソゴソされるのはウザい。
「ジェームズ、荷物が起きたっぽいから一回切るわ。また夜にでも電話する。そっちの朝ね。おやすみマッドサイエンティストさん。」
「良い一日を、ミス誘拐犯。」
サツキはハンドルの操作ボタンから通話を切った。トランクから聞こえた音は一度のみで、また静かになっていた。寝返りだったようだ。ただ覚醒は近いのだろう。全身麻酔薬なので、覚醒してもしばらくは微睡むはずだった。
サツキは自動運転のスピード設定を上げて出来るだけ時間を稼ぐ。完全に覚醒される前に一度パーキングエリアに寄っておきたかった。
パーキングエリアに入り、駐車場の端っこに車を停める。トイレを済ませて軽食を買い込んで車に戻った。まだ起きていないようで、車は静かなままだった。一応顔を覗くと、目隠しと猿履で表情はわからないが、微動だにしないので寝ているのだろう。運転席に戻ってまた車を走らせた。
日が真上に上がり、兵庫県に入ったところでトランクで荷物が起きた気配を感じた。ゴソゴソと音を出し、うーうーと言葉を発し始めた。サツキは無視をして車を運転する。布団で包められている状態の人間が出来ることは少ない。転がるか海老反りになるかだけだ。ちょっと煩いが、運転に影響が出ることはなかった。
「うー!うー!」
荷物はずっと何かを叫んでいた。流石にウザいので音楽を大音量でかけてかき消した。サツキは荷物の言葉を聞くつもりはなかった。
途中に名神高速道路で渋滞にハマったが、それ以外はすんなり移動することができ、夕方には静岡まで来ることができた。その頃には荷物も声を発することはなくなり、死んだように静かにしていた。
「(さて、三山山荘に行ってみますか)」
サツキは思い立ってハンドルを切り、高速道路を降りていった。
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