12/24 00:45

 どさり、という音が耳に届いて、背中を何か柔らかく暖かい何かに包まれた。同時に凄まじい勢いで頭が揺らされる。

 鼻に届いた悪臭とその感触と、耳に届いた音はどことなく覚えがあった。目を開けると案の定そこは、この十二月の頭にも背中から飛び込む羽目になったゴミ捨て場だった。

 どうにも自分は、この場所と縁でもあるんだろうか。そんなことを考えて口元が少し吊り上がった。


「っていうか、無事なのかよ」


 きっと最初に気にするべきだった事に一拍遅れて気がついて、ゆっくりと身を起こす。

 首、腕、足、どれも問題なく動く。高い所から落下したせいか背中は鈍く痛むが、それだって自分の落ちた高さを思うと冗談のような軽さだ。

 服装は、まだ赤と白。周囲を確かめて、自分の手足を確認して、そうして立ち上がる頃にようやく色を失い始めて、やがて溶けて消えるとハンドベルを鳴らす前の服装で俺はそこに立っていた。


「最後のサンタ特権、ってやつか?」


 問いかけたって返事なんか当然無い。ただ、自分の中でどこか残念に思う気持ちが半分と、むしろすっきりした気持ちが半分。

 ――正直今度こそ、もういいかって思ったんだがな。

 きっとそれは口に出すと罰当たり過ぎるので、声にすることは避けた。


 さて、高度三千メートルからの自由落下もサンタ特権で助かってしまった俺は、どうしようか。

 何はともあれ帰宅しよう、と考えるのに、どうして少し時間がかかったのだろう。


「もしかしたら、まだ雪穂は消えていないかもしれないしな」


 寒さに震えながらの家路でついそう口走ってから、言うんじゃなかったと心底後悔した。


***


 鍵を開けて、玄関に入る。

 一人暮らしが続くとまずはその空気に慣れて、それから誰かと暮らすと思い知ることがこの時の室内の空気の差だ。

 誰かが居る部屋っていうのは、何故だか独特の安心感がある。今回はその安心感が無かった。それが分かったので、俺は開口一番に雪穂の名前を呼ぶような真似はしなかった。


 ただ黙って、椅子を置いた窓際に寄る。

 まだ微かに暖かい毛布の塊の中に人の気配はなくて、代わりにその上に一冊のノートが置かれていた。


「あいつ、こんなノート持ってたのか」


 表紙には丸みのある文字で「レシピノート」とある。開くと一ページ目には味噌汁の作り方があった。

 ノートそのものはかなり新しい。多分、本当は必要のないノートをわざわざ書いて残したんだろうと気付くと少しだけ鼻の奥が痛くなった。


 ぱらり、と乾いた音がして、足元に小さな紙片が落ちる。ノートに挟んであったらしい。

 折り畳まれたそれを開くと、そこには。


「メリークリスマス。あわてんぼうのサンタさんへ」


 ノートの表紙にあるのと同じ筆跡が、そんな風に並んでいた。

 滲む視界を懸命に拭って、その続きを目で追う。


 ――隠していた事を、話します。本当は冬彦くんが子供を庇った時に全部、思い出していました。

 けれど、それを教えるときっと私はその場で消えちゃうだろうなと、そう思ったから。

 だから咄嗟に嘘をつきました。右手が最後まで残ってくれて、これを打ち明けられて、本当によかった。

 冬彦くんがサンタに選ばれた事そのものは、本当に偶然でした。けれどそれを見た時、私は自分がサンタの使者に立候補して、貴方にもう一度会いたいと思ったんです。

 私が死んでから、冬彦くんがどう過ごしていたのかを知っていたから。

 必死に頼み込んで、熱心な願いだからと聞いてもらって、選ばれたまでは計画通り。

 けど、まさか「お前はサンタ任命者の知人だから、私情を交えないように処置する」なんて言われて記憶を消されちゃうとは思いませんでした。

 あ、これは使者の役目が終わったら思い出せるよって言われて、私も納得したことだからね。そうしないと使者の役は任せられないとか言われて拒否権無かったんだけども。

 思い出せて、そのきっかけが私と同じことをしたからっていうのとで、正直に言うとすごく照れ臭かった。

 けれど冬彦くんとまた一緒に過ごせて、思い出の場所をもう一度巡れて、潰れ切った君がもう一度立ち上がってくれて、君のサンタ姿を見ることができて、自分勝手かもしれないけれど私はとても幸せでした。

 そろそろ、目がかすんできたよ。

 指も、透けてきたよ。だから、もっと言いたいことはあるけど、ここでおしまい。

 さようなら、冬彦くん。死んでからも世話焼きに行くくらい、大好きだったよ。どうかこれからは、


 書かれていた文字は、そんな中途半端な所で終わっていた。書いたものを消した形跡もない。

 何を書こうとしたのかも、なんで書かなかったのかも、まだ今は予想してはいけない気がした。

 だから俺は、そいつを丁寧に折り畳んで、ノートの一ページ目にしっかりと挟み込んだ。


「メリークリスマス、雪穂」


 このノートに書いてあるレシピを全部作れるようになったら、その時に初めて、この手紙の続きを考えよう。

 そう心に決めて、ぽつりと呟く。


 かちゃり、と乾いた金属音がしたのはちょうどその時だった。

 家の、玄関の、鍵が回る音だった。直後に、がさごそと動く人の気配。

 このタイミングで何事だ、と身構えた俺の前に姿を見せたのは。


「えーっと……冬彦、くん……?」


 明るい茶色のショートヘアに、猫みたいなくりっとした目。からかうたびに風船みたいに膨らませていた白い頬が真っ赤に染まっているのは、寒さか、気まずさか、恥ずかしさか。


「あの、冗談みたいな話だけどね、その……サンタクロースに任命された人への、クリスマスプレゼントです、って向こうで言われてね」


 言いづらそうな言葉を無視して近寄り、その両肩を掴む。

 元々は雪穂の私物だった鏡を手に取り、それを目の前の相手に向ける。姿が見えないだけじゃない、こういうのにも映らないっていうのは彼女が記憶を取り戻してから、彼女自身の申告で知ったことだ。今持っている鏡で髪型を整える事ができない事を、少し恨めし気に教えてくれたのをよく覚えている。


 映っていた。

 雪の結晶みたいな形の髪留めをつけて俯く、鷹藤雪穂がそこに映っていた。


「特例なんだよ? 記憶消したのも突破できて、サンタのルールすらそっちのけで恋人のためにがむしゃらになれる人なんて微笑ましいし本来死ぬはずだった子供を事故から救ったその善行もあるからって、本当ならここまでのプレゼントは用意できないですよって、あの、えっと、制約も結構あって、例えばサンタの事は他言無用とかそういうのが何十項目も――」

「……生きてる?」


 顔を真っ赤にしたまま早口でまくし立てるのを遮って、短くそう尋ねる。

 聞きたいのは、それだけだ。


「正確には、死ななかった事になった、みたい」


 雪穂自身がそう頷いたのが、俺の涙腺の限界だった。

 力いっぱい抱きしめて、よかった、よかったと泣きながら。背中に回された華奢で小さい手も、力いっぱい俺にしがみついていて、それがたまらなく嬉しくて。


「冬彦くん、さっき、ノート抱きしめてたでしょう。何か、言ってた?」


 ノートじゃなくて私に聞かせてほしいなと、耳元で聞こえる声も湿っぽい。

 情けない顔で泣きながら、それでもそう頼まれたら断る理由はどこにもなかった。

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メリークリスマス・フォーユー 水城たんぽぽ @mizusirotanpopo

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