12/23 23:00

 サンタと言えば、仕事の時間は聖夜。要するに夜だ。

 せめてそこだけは守ろうと思ったのは単なる思い付きだったが、いざベルを鳴らす段階になると夜まで待ってよかった、と心底思った。


 古びたアパートの外に出てベルを鳴らすと、それなりに広い道路にソリと、トナカイと、それから白くて大きな袋が現れる。それ自体は聞いていた通りだった。

 問題はとにかく大きい事と、自分の服装も変わった事。サンタのテンプレートは大事だ、という話は確かユキと会ったばかりの頃にもしたはずだが、まさか鳴らすだけで自分の服装まで赤を基調として袖や襟の白い、いわゆるサンタ服になるとまで思っていなかった。

 一応、時間になるまでの間に近くのデパートで安物のコスプレサンタ服を買っていたのだが、どうやらこれは無駄だったらしい。


 とにかく、車一台は余裕をもって走れる幅の道を塞いだソリと自分の服装は、もし明るいうちに空を飛んでいればさぞ目立ったことだろう。


「雪穂! 見えてるか!」


 ソリに乗り込んでから、アパートの自分の部屋の方を見て叫ぶ。

 戸惑う彼女には殆ど何も説明しないまま、毛布ごと布団から抱きおこして窓際の椅子に座らせてある。カーテンが微かに揺れたので、きちんと見えているのだろう。


 なんで今日なんですか、明日だと言ったじゃないですか。多分そんなことを、きっと早口でまくし立ててくるんだろう。だから何も伝えなかった。もし聞かれていたとしても、答えは既に用意してあるが。


 サンタクロースをやってほしい、と言ったのは雪穂だ。

 俺はその願いに応えたい、とは思った。

 けれどぶっちゃけた話、それ以外の世界中の子供たちの事など俺はどうでもいいのだ。

 知った事か、と投げる気はない。けれど優先順位でいえば顔も知らない世界中の無垢な子供たちより、いなくなるだけで酒浸りになって人生投げそうになるような相手の方がずっと上だ。


 身勝手でも、ルール違反でも、一日早く出てくるあわてんぼうのサンタだと誰に罵られてもいい。弁明だってする気はない。

 サンタクロースになってくれと願った雪穂に、その姿を見て貰わなくちゃ、俺がここで頑張る意味なんか無い。

 そんな気持ちを胸の内に抱えたまま、俺はトナカイの手綱を握った。


***


 身を切るような冷気。

 そんな言葉すら生ぬるい。

 高度三千メートルの空を、ソリで飛ぶって経験はただその一言に尽きた。

 体力づくりは功を奏しているのだろうか、そんなことを確かめる余裕も、確かめる方法も俺にはない。


「あいつ、確か鐘を鳴らしてサンタとしての特権があれば寒さにも耐えられるとか言ってなかったかなあ!」


 叫んだってそれに誰かが言葉を返してくることは無い。当然だ、この場所には自分と、物言わずにソリを引くトナカイが八匹だけしかいないんだから。

 もっとも、例えばこのトナカイたちが人間の言葉を話せるとしても返事は期待できないだろう。耳を打つすさまじい風の音のせいで、自分の言葉ですら怒鳴らなければ聞こえてこない。まあ、そんな状況で赤い服一着しか着ていないのに凍死しないのだから、一応例のサンタ特権とやらはちゃんと働いているんだろうと判断するしかなかった。


 ひとまず、住んでいる街の上空へ。

 天気はあいにくの曇りで、今いる高さだって少し気を抜くと雲の中に突っ込んでしまいそうになる。ただでさえ寒さは厳しいというのにこの上水蒸気や氷の粒の塊に飛び込むような度胸は無くて、トナカイもその辺りは汲んでくれているのか雲を避けてここまで登ってこれたわけだ。

 ソリの上から、何気なく下を見下ろす。本当なら眩暈どころかそのまま失神でもしそうな高さなのに怯える気持ちが微塵も無いのは、これもやはりサンタだからだろうか。そんなことを考えながら街の灯りに目を凝らしていく。

 だいたいあの辺りだろう、と自分の家の目星をつけて、それから俺は例のハンドベルを取り出した。


 本当ならこれはサンタの時間が始まる合図で、それ以上の意味など無いらしい。つまりもう、今この状況に至ってはこいつは単なるハンドベルでしかない。

 それでも、やっぱりサンタと言えば、こいつだろう。

 肺一杯に凍てつく空気を吸い込む。むせそうになるのをどうにか堪えて、ベルを頭上に掲げて。


「メリィーーーーーーーーーーーーーーーーー……クリスマァァァァァス!」


 叫び声と同時に、そのベルを振り下ろす。

 高らかに鐘が鳴る。冷え切った空を、ごうごうと耳を覆う突風のノイズを、澄んだベルの音が突き破って何度も、何度も響く。

 最初に鐘を鳴らして、サンタの格好になった時から「この後どうするべきか」というのは分かっていた。存外サンタと言うのは便利なものらしい。袋を掴んで、ただ頭の中で「届け」と願う。それだけで袋の口から暖かい光がいくつも飛び出して、眼下の街の灯りへと落ちていった。

 物理的なプレゼントじゃない。けれどこれは、サンタに願いを込めた子供たちの想いであるらしい。こいつが子供たちの家に届いて、その両親に届いて、そうしてプレゼントは形になる。世のお父さんお母さんってやつは、その形になったものを「自分が買った」と思いこむ。多分細かい仕組みはもっと色々あるんだろうが、大雑把にサンタってのはそういうものなんだそうだ。


「たったこれだけなら、簡単じゃないか」


 小さく呟いて、それは自分の耳にも届かなかったが、それでも一つ気がついた。

 市場調査に出かけましょうと、事あるごとに言っていたユキのあの言葉。あれはもしかして本当は要らなかったのか。だとしたらあいつはどうしてそんなことを言い出したんだ。

 それは考えるだけ野暮じゃないだろうかと、すぐに思い直した。


「さて、この調子で他の場所にも」


 そう言って手綱を握りなおす。

 あと何か所だろうか。たしかユキはサンタ特権に「ちょっとしたワープも」と言っていた。そいつを上手く使わないと、きっと一晩でクリスマスプレゼントを届けきる事などできないんだろう。


 そう考えたその瞬間。がくんと視界が揺れた。

 何事だ、と考えるよりも前に、ソリを引くトナカイがみるみるうちに透き通って消えていくのが見えた。

 ソリも少しずつ、透明になっていく。着ているサンタ服だけはまだ無事なようだが、それだけでは何の意味も持たない。


 ――サンタの使者としても任命されたサンタクロースとしてもルール違反になりますから、何かしらのペナルティはあるかと思いますし、私も許可しません。童謡のような、微笑ましい事にはならないかと。


 悪ふざけ半分で尋ねた問いへの、ユキの言葉が脳裏に浮かんだ。

 そうか、ペナルティはこういう形で出るのか。要するに、本来のサンタとしての時間全部は使わせてもらえないらしい。もしかするとこの高さまで飛んでこれた事と、この街の上空でプレゼントを配れたということだけでも殆ど奇跡に近いのかもしれなかった。


 そんなことを呑気に考えているうちに、ソリを引くトナカイの数は一匹、また一匹と消えていく。

 最後の一匹と、ソリそのものが完全に消えるのは全く同時で、当然俺は、そのまま落ちていく。


 頭を下にして、高度三千メートルの位置から、真っ逆さまに落下。

 そんな状況で、しかし俺はやけに落ち着いた気持ちをしていた。


 子供の頃に聞いて、ずっと気になっていた。

 あわてんぼうのサンタクロースは、どうして一日早くやって来たのだろう?

 きっと、クリスマスイブまで待っていられない、何か大切な理由があったんだ。少なくとも俺はそうだった。

 本当にクリスマスを届けたい相手のために、あわてんぼうと言われようが構わず、一日早くベルを鳴らす。


 雪穂はちゃんと、見ていただろうか。


 きっと褒められた事じゃないそれを、俺は誇らしい気分で想いながら静かに目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る