吸血鬼のせかいにようこそ

@isako

吸血鬼のせかいにようこそ

 浦戸うらど教授は山の上の洋風屋敷に住んでいる。僕は講義がすべて終わると、彼の屋敷に向かう。玄関を抜けると、三人の少年が僕を迎えた。


「お待ちしておりました」


 三人が声をそろえて言う。彼らは三人ともよく似ている。僕は彼ら三人の区別がつかない。


 三人とも浦戸教授の親戚の子で、彼が面倒を見ているのだという。でも僕はそんな風には思えない。彼らはまるで、召使いか奴隷のように振舞うのだ。一般的な親戚のおじさんに見せるのような親しさを彼らが教授に示すことはない。彼らは敬う。まるで教授が彼らの王とでも言わんばかりに、頭を深く垂れる。少年にふさわしい活発や無礼さのようなものを、彼らはさっぱり持ち合わせていない。


 彼らに上着を預けると、僕は浦戸教授の書斎に通される。彼の書斎は書斎にしてすでに僕の下宿の部屋よりも広い。四方の壁全てが本棚で覆われていて、ぴったりきっちり、彼の研究に使われる書籍がそこに身を収めている。中央にはちょっとしたカウチとテーブルがあり、その奥に彼の大きなデスクがある。一枚板の分厚いデスクの上も、部屋と同じように整理整頓が行き届いていた。


 彼は椅子ではなく、そのデスクに腰をひっかけて僕を待っていた。


「やぁ。葉赤はあかくん。いらっしゃい」


 浦戸教授は優しく微笑んだ。柔らかな黒の長髪には天然のウェーヴがかかっている。ブラックのシャツを、サスペンダーで吊ったダークグレーのスラックスに合わせていた。肌が病的なまでに白いので、黒がどこまでも深く見える。ただし一番深い黒は、彼の瞳の色だ。


 彼は性格には「教授」ではない。教職にはついていない。いわば在野の研究者ということになる。研究のテーマは「性欲・エロスの言語的解釈」ということになっている。かつては名のある大学で教鞭をとっていたそうなのだが、アカデミズムの世界に足を突っ込み続けることに嫌気がさしたとかで、やめてしまった。


「ある程度条件がそろえば、大学という組織に身分を担保してもらう必要がなくなるんだ。研究は家の中だけで完結する……とまではさすがに言えないが、とにかく毎日出勤するというような愚行を犯す必要はない。とくに私のような分野の研究についてはね」彼はそう言う。


 デスクの後ろにある、大型犬くらいの大きさのスピーカーからはジャキジャキのパンクロックが吐き出されていた。ミッシェル・ガン・エレファントの「キャンディ・ハウス」。僕は浦戸教授に教えられてこのバンドを知った。浦戸教授の上品な感じからはまったくそぐわないけど、いい音楽だと思う。なにより、メンバーが一人死んで、「ミッシェル」がもう解散してしまっているというのがよかった。


 僕が曲に意識を向けたのに気づいたのか、彼はスピーカーを見ながら言った。

「ミッシェルのいいところはね、激しくて勢いのあるサウンドをやっている一方で、聴いていると精神がくらいところに沈んでいくという点なんだ。歌詞だけじゃない。メロディに既に、世界への倦怠感みたいなものがたっぷり染みこんでいるんだよ」


 教授が近づいてくる。僕には彼の目を見つめることしかできない。いつもそうなのだ。彼が耳元で囁いた。「君の血にも同じものが染みこんでいるんだ」


 僕が彼の屋敷に毎日訪れるのは、彼に僕の血を提供するためだった。


「脱ぎなさい」僕は彼の言葉に逆らえない。もとより逆らう気もないけど。


 パーカーと中のシャツを脱いで、上半身だけ裸になる。空調が効いているので寒さは感じないけど、肌でじかに空気に触れる感触に、少しだけ身震いする。

 ――寒い? ――いいえ。


 彼の鋭い爪が僕の胸を少しだけ傷つける。浅い傷だけど、同じ個所をなんども切りつけられるので、僕の胸には幾つもの薄い痕が残っていた。爪が肌を撫でるのに少し遅れて、赤い血が滲みだしてくる。彼はそれを、直接に舐めとる。彼のほうがずっと背が高いのでいつも彼が僕の前にひざまずくかたちになる。


 浦戸教授の舌は、いつも恐るべき冷たさで僕の傷を抉る。実際に傷を開くように舌を伸ばすわけじゃない。ただ彼のまったく体温のない肉が、僕の血を貪欲に絡めとるとき、その冷たさが染みこんでくるのだ。


「君の血をおいしいと言ったことがあったかな」


「教授がそうおっしゃったことはありません」


「だよね。私も、それほどおいしい血だとは思わない。三百年の経験の中でも、味でいうなら平凡だと思う」


「そうですか」


「どうか悪い意味にとらないでくれ。そうだ。君たちのいう珍味に近いのかもしれない」


「珍味……」


「おや、もしかして」


「もしかしなくても、誉め言葉にはなってません」


「まいったね」


「なぜいつもこうして直接に僕の血を飲むんですか?」


「そのほうが新鮮でいいからね。君たちも、冷えた料理より出来立ての温かいものを好むだろう? グラスに注いだり、輸血パックを提供されて飲む輩がいるが、あれらは血の味というものをわかっていないに等しい」


 浦戸教授は人間じゃない。彼は三百年の時間を生きてきた吸血鬼なのだ。不老不死の肉体と、超人的ないくつかの能力を持っている。そのかわりに、人間の血でしか飢えや渇きを満たせず、太陽の光に厭うようになる。


 僕は正真正銘の人間だった。浦戸教授に出会ったきっかけは思い出せない。でも、もうずいぶんと長い間こうして彼に血を与えている気がする。


「血の味は食生活に由来すると考えるだろうか? でも、意外とそうじゃないんだ。酒や煙草、あるいは著しく有害な薬物に身を浸している人間の血が驚くほどに美味であることがある。健康的な食事を心がけている人間の血の味が、とても飲めたものではないこともある。私の経験上、血の味はその食べるものとは関係がない。血は魂の情報をあらわすんだ。もっとわかりやすく言うなら、性格パーソナリティが大いに関係する。だからこそ、君の血はミッシェルと同じ味がするんだよ」


「そして、珍味的な価値がある。そうなんでしょう」


「ふふ。根に持ってるのかい? いじらしいことだね」


「別に。僕の血の味なんて、あなたしか気にしませんから」


「そうだね。そこに僕と君の関係のすべてがあるといっていい」


 彼の「食事」が終わると、僕の食事が始まる。浦戸教授の三人の少年たちが僕を食堂に招く。僕らが席に着くと、僕の分だけの食事が運ばれる。彼らの料理はすべて、とてつもなく美味で、そして毎回メニューが変わる。本格的なフランス料理のコースが始まることがあれば、家庭的な一汁一菜が提供されることもある。今夜僕の前に差しだされたのは、一人用の小さな土鍋で、そこにはベーシックなちゃんこ鍋が煮詰まっていた。


「血をもらっているからね。栄養をつけてもらいたい。君の血には価値がある。命の通貨であり、魂の設計図である血を失うこと、それは人間にとって、文字通り致命的だ」教授の分は存在しない。彼はもう食事を終えているし、そもそも彼が匙を握って何かを口に運ぶことはまずない。


 食事をしながら僕らは話をする。たわいもない話だ。だいたいは僕が話す。教授が僕に話させようとするのだ。いつか彼が言った。「すべてがひとの魂の反映なんだ。ことばも、からだもね。血だってもちろんそうだ。私はきみの魂が欲しい」


 ――欲しいって、どういう意味ですか? 僕が問うと、彼は笑って言った。


「そのままの意味だよ。わからないなら、考えてみるといい。それが魂の活動そのものだ」


 食事を終えたら、夜が更けるまえに僕は彼の屋敷を後にする。

「私はいいんだが、あまり遅くいすぎると、私の甥っ子たちが不機嫌になるのでね」


 僕は彼らにあまり好まれていないらしい。確かに彼らの態度は、どこかよそよそしいものを感じさせる。「そうですか。それじゃあ、さようなら」


「また来給え」「はい」


 僕は他人行儀な三兄弟(実際他人だけども)に見送られて、家に帰った。彼らも吸血鬼なのだろうか? わからない。僕のような一般的な人間が、吸血鬼と普通人種とを外見で見分けることはできない。





 スーパーマーケットによって朝食用の食パンと卵を買った。すっかり暗くなった家路を、僕はビニル袋をぶら下げて歩いていた。早く明日にならないかな。早く教授に会いたいと思う。


葉赤はあか弥波みなみくん」


 呼ばれて振り向くと、そこには女がいた。 高く襟の立ったトレンチコートはくすんだ橙色で、同じ色のテンガロンを被っている。コートの裾から覗く足は黒いレギンスに覆われていて、ナイキのランニングシューズが、腐ったいくらのような蛍光色を輝かせていた。ひどい組み合わせだ。


 なにより異質なのはその顔だった。美しいつくりをしているけど、左目を大きく縦に切り裂く古傷があった。そしてその瞳の向きに違和感がある。おそらく義眼だ。


 僕よりずっと背の高い彼女は、僕を見下ろして言う。


「はじめまして。私はばんといいます。職業はヴァンパイア・ハンターです」


 ――頭がおかしい!

 普通ならそう思うだろう。でも僕には、彼女が狂人であったとしても、それが僕にとって重大な意味を持つ狂いであることがわかっていた。そしてまた彼女も、僕がであることを知っている。そのようだった。


「常識とよばれる不愉快な知性の制限をすっ飛ばして言わしてもらうよ。いろんな意味で時間もないし。葉赤くん。『浦戸』との関わりを絶ちなさい。奴は人間を喰らい生きる吸血鬼だ。化け物なんだよ」


「嫌です」


「だろうね。でも続ける。はっきり言って君が奴に惹かれるのは、恋でも友情でも尊敬でもなんでもない。吸血鬼の魔性のせいなんだよ。〈魅了チャーム〉と呼ばれる魔術の一種さ。古い魔女も同じ事ができた」


「僕が彼を慕っているのは、僕の感情からですよ。純粋に。仮にその魔術だかなんだかが僕を侵しているのだとしても、僕は彼のすべてがすきなんです。それは彼が彼であるからです」


「やれやれ。〈魅了〉された者は皆そう言うんだよなぁ」


 ぼさぼさの長い髪を、苛立ちを隠さずかきむしる。


「これだけは言っておく。もしも君がこれから先も奴と関わり続けたら、死ぬよりひどい目に遭うぜ」


「生きてること自体が死ぬよりひどいって考え方もありますよ」


「……君ぃ~。なかなか面白いね。三百年生きた化け物が見初めるだけの価値はあるのかな? ややウケるね」


「お話は終りですか? 帰っても?」


 伴は手をひらひらさせた。


「いいよ~。こっちはわずかな良心で忠告してるだけだし。言うまでもないことだけど、これから先も奴とつるむようなら君も敵だから」


 じゃねぇ~、と僕に背を向ける彼女に、僕は声をかけた。


「あの、ひとつだけ聞いてもいいですか?」


 伴が足を止める。振り返らずに答える。「なに?」


「あなたはどうして、吸血鬼を狙うんですか?」


 彼女は上半身だけをひねって僕の目を見た。言う。






 次の日、僕が浦戸教授の屋敷にいくと、いつもの三人は出迎えてくれなかった。かわりに教授がやってきた。


「すまないね。彼らは私の決定に機嫌を損ねて、ある種のボイコットを決行してしまったんだ」


「教授の決定?」


「向こうで話す。まずは上着を」


 彼は召使いよりもずっと丁寧に僕の上着を受け取った。


 僕らはいつものように彼の書斎に向かった。いつもならすぐに血の提供が始まるはずなのだが、今日は違った。教授は僕に一杯のコーヒーとクッキーの缶を渡した。こんなものがこの屋敷にあったのかと、僕は驚いた。


「食べなさい。それから、落ち着いて聞いてほしい」


 僕は言われるがままにコーヒーを一口飲んで、それから缶の中のクッキーを一枚口に放り込んだ。上品な甘さが舌の上でさっと溶けていった。


「葉赤くん。私と一緒にきてくれ」


「いいですよ」


「ああ。わかるよ。不安だろう。君には確かに人間として生きていく道が――」


 教授が固まる。僕の目を見つめる。何を間違えたのか、僕の手からコーヒーを奪い取って、そのままごくりと飲み干してしまった。


「浦戸教授。僕は行きます。あなたと一緒ならどこにでも行きます。迷いはありません」


「君、私の言っていることの意味が分かっているのか?」


「わかってますよ。僕を吸血鬼にするんでしょう。どうぞ」


 教授は明らかに動揺の色を見せた。僕がこうも簡単に受け入れるとは思っていなかったのだろうか? このひとはいったい僕の何を見てきたというのだろう?


「いや、しかし君、吸血鬼といっても我々はまったく、コミックの世界のクリーチャーたちのように無敵ではない。ひどく弱い存在だ。君はそれを知らないだろう。そんなに簡単に――」


「教授、聞いてください。あなたが僕を欲しいと言ったんです。僕の魂が欲しいと。僕はあなたの人生の期間の一割にも満たない時間しか生きていない。あなたの言う世界の理はなにもわからない。それでもあなたが来いと言ってくれたら、僕は行くことができるんです。昨日、ヴァンパイア・ハンターを名乗る女からあなたに会うなと言われました。僕があなたに惹かれるのは、あなたの持つ魔法のせいなのだと彼女は言いました。僕はそれが本当でもかまわないんです。どんな手段で僕が操られていたのだとしても、今僕があなたに抱いている気持ちだけは本物なんです。これが真実であるということだけは、誰にもゆるがせられない真実なんです」


「教僕はあなたがすきなんだと思います。この世界でほかのどんなことをするよりも、あなたと一緒にいたいんです」


「私がまだ人間だったら、涙を流していただろうね」


「あなたの身体が冷たいのは、熱いこころを深くに隠しているからなんでしょう。僕にそれをください。それが条件です」


「いいだろう」


 彼は自分のシャツを脱ぎ捨てて、その真っ白な胸を露わにした。いつも僕にしていたことを、今度は自分にした。赤い筋が白い肌の上を走った。


「これを飲むんだ。血の契約だ。君の血を取り込んだ私が、君に血を与える。血の相互交換が、吸血鬼になるための儀式なんだ。ほんものの吸血鬼に首筋の傷あとは残らない」


「やっぱりやめようかな……」


「え……」


「『血の契約』なんて言わないでください。僕は僕の魂をあなたに捧げるし、あなたにも同じことをしてもらいます。『血は魂の設計図』。これをどう呼ぶのかあなたは知っているはずです」


 彼は僕の耳元に口を寄せて、しかるべき言葉を呟いた。僕はそれを認めて、彼の血を取り込んだ。彼の血は、恐ろしいほどに熱かった。


「これだけは忘れないでくれ。我々は死なずして生きていない。だからこそ、生きること以外のものを見つける必要がある」僕には意味がわからなかった。それでも、これまでにないほどに、満たされていた。





「――きっっついわぁ。きっしょ! もう見てらんない! オ゛エーッ! 見ちゃった!!」

 

 どこかで聞いた声がして、僕らは声の主のほうを見た。


 三つの小さな頭がぶらぶら揺れていた。一つは苦悶に、一つは憤怒に、一つは恐怖に凝り固まった顔をしている。教授の少年たちだった。


 ただし彼らは頭と胴体を切断され、それぞれの髪の毛が束ねられて掴みあげられている。不安定な宙づりの三つか何かの冗談のように掲げられていた。


 テンガロンハットにトレンチコート、オレンジの薄汚いナイキ。ヴァンパイア・ハンターは子供たちの頭を放り投げた。テーブルの上にごろりと転がったそれらは、回転をやめて停止した。


「お前の醜い慰み者たちは私がぶっ殺したよ。『浦戸教授』。首を切断して心臓に杭を打つ。いにしえのスタイルが一番かっこいいし、一番効果的なんだ。今頃玄関で三人仲良く川の字でおやすみさ」


 浦戸教授は彼女を無視して、少年たちの頭を愛おしそうに抱きかかえた。それぞれの見開かれた目を手で優しく閉じた。それでも、死の瞬間に確定された表情たちから立ち上る負の感情は消えなかった。教授は女を見ないで言った。


「……そのまま、黙って帰ってくれ」


「は? 馬鹿かお前。こっちは120%戦争しに来てんだ。お前も、お前の気持ち悪りぃそこのガキもぶっ殺す。全員殺したあと、日高屋で馬鹿飲みすんだよ。そう決めたんだ」


「この子たちも、私も、もう何十年も人間を殺していない。少しだけ血を分けてもらうことで生きていくことにしたんだ。それでも、お前は殺すのか?」


 ――キャハハハハハ! 女は禍々しく笑った。


「あのな。私が人類のためとか、命のためとか、そんなクソみたいな理由でこの稼業やってると思ったら大間違いだぜ。この化け物ども。わたしはなぁ。から、しらみつぶしに殺して回ってるんだ」


 言うと同時に、コートの袖からするりと現れた散弾銃を構えて放つ。弾けて飛び散る鉄の粒が僕の目にはっきりと見て取れた。その動きを追うことができても、僕の身体は動かない。


 教授は僕の前に乗り出して庇った。弾をすべて背中で受けて、呻きを漏らす。


「そうくると思った!」狩人がうれしそうに吠えた。「作戦アルファ!」


 天井からするりと降りてきた荒縄が教授の首にかかった。その先端は輪の形に結ばれている。首吊り結びハングドマンズ・ノット。天井を見ると屋根裏に通じる穴が開いていた。暗闇からロープが垂れている。


 教授が宙に浮いた。吊られた。首の骨が折れる音がした。


「展開いち!」

 叫ぶ狩人の後ろから、銃を抱えた兵隊たちが駆け込んでくる。何が起きてるんだ?

 彼らは銃を僕らに向けた。女だけが僕に指鉄砲をつくっている。にっこり微笑んでウインク。


ーい」


 爆音が響いて、アサルトライフルが火を噴いた。銃弾が打ち尽くされるまでの

10秒間、彼女はモンキーダンスを踊っていた。


「やったか!?……て、わかんないときは結局やってないんだよねー」つまらなさそうに狩人がつぶやいた。


 吊られた教授が自分の影を伸ばして僕の身体を包み込んでいた。その質量を持つ影が、銃弾をすべて防いでいた。


 彼は吊られた状態から手を縄に伸ばして、それを引きちぎった。狩人のほうを向いて牙をむき出しにする。


「哀れなヘルシングの末裔。人間の狂気の最先端。この程度の奇襲で私を終わらせられるとでも? ここでそのちっぽけな命を無駄に使ったことを後悔させてやる」


「こっちのセリフだ馬鹿野郎。今のはお前を殺すための256個の作戦のうちの一つに過ぎない。そしてこれからが、そのうちの本命弾ほんめいだまのうちの一つ」


 彼女は僕を指さして言った。


「300年級の吸血鬼『浦戸教授』に設計・製造ともに50年と満たないアサルトライフルが敵うはずもない。でも私らがバカスカ撃ち込んで、それを律儀に教授が受けている理由はなんだと思う?」


の吸血鬼を守るためさ」


「教授――」


 僕が尋ねるよりも前に、彼らが発砲した。教授は僕を抱きしめると、僕らをそのまま影で包んだ。教授は僕を守っている。僕が彼の足を引っ張っているんだ。


「教授。僕は、僕のことはいいから――」


「君は私に魂を捧げた。それに応える義務が私にはある」


 機関銃とは違う銃声が一つ。僕らは轟音の嵐の中でもそれを聞き逃さない。教授の顔色が変わる。彼の口の端から冷たい血が一筋垂れる。影が解ける。


 狩人が古風なマスケット銃を一つ構えていた。先端から、それを撃ったばかりだと示す白い煙が上っている。


「銀の銃弾。異形に有効な兵器の一つ。人食いの鬼に銃弾は必然的に当たらないけど、今は事情が違うよね? 完全な吸血鬼化を果たしていないその子には、ひと朝を過ぎた夜明けまで棺桶の中で眠る時間が必要……。統計的に吸血鬼が一番死にやすい時期というのは、最初の二十四時間なんだ。その間の保護がどうしてもいる」


 彼女はコートの中から、錆でべったり汚れた日本刀を取り出した。


「こいつは本物だよ。あんたと同じくらい長い時間をこの世界で生き延びてきた本物の刃。人間にはただのなまくらだが、異形にはてきめんさ」


 教授は崩れ落ちる。腹から流れる血が止まらない。真っ赤なそれが赤い絨毯を熱く濡らす。狩人が歩み寄る。刀を振るう。


 僕はそれを手で受け止めた。キャッチすることはできないから、交叉させた腕で防ぐ、鈍い痛みに痺れる。


「僕にはまだ有効じゃないみたいだ」「だから?」


 彼女はどこからか取り出したおもちゃのような拳銃で僕を撃った。身体に銃弾が侵入してくる。僕は耐え切れずその場に伏せた。僕のまだ温かい血が、教授の流したものに混じった。


「言ったろ? お前らを殺すための手段が256個あるんだって。教授に本当に効くのは三つくらいしかないけど、お前を殺す方法なら1000はあるっつーの。雑魚は引っ込んでな」


 彼女が大きく刀を振りかぶった。


「あぁ。今回も楽しかった。やっぱり化け物を殺すのは最高だよ。ありがとう。『教授』」


「それはけっこう。……また会おう」


 僕を見つめていた教授の頭が叩き落された。もう何も見えなくなった。





***


 彼女は僕を見逃した。


 目が覚めると、僕の傷には手荒だったが確実な処置が施されていた。なぜ彼女が僕を見逃したのかわからない。


 激しい戦いのあとが書斎に残っていた。絨毯にはおびただしい量の血痕が残っていたが、教授や、彼の少年たちの死体はどこにもなかった。ぼろぼろの身体をひきずって屋敷のそとに出ると、朝日が僕を照らした。僕の吸血鬼化は止まっているらしい。だが、彼が僕に与えてくれたものを僕は失ってしまったとは、決して思わなかった。


 屋敷に戻って、彼の棺を探した。初めて入る彼の寝室には、大きな棺桶があった。西欧風のそれに入って横たわると、どこか懐かしい感じがして落ち着いた。彼の匂いがした。


 目を閉じると、時間の流れが止まった。次に目覚めるはいつになるのかわからない。かまわない。そう思った。目覚めたときも、やはり僕は人間のままなのかもしれない。かまわなかった。これは幼稚な恋なのかもしれない。それでもかまわなかった。


 狩人たちに復讐しようとは思わなかった。そもそも僕には敵わないし、僕はそんなことをするために生きているわけじゃない。


 僕は決めた。次に目が覚めたら、その先の世界がどんなものであろうとを探そう。教授は殺されたのかもしれないけど、その死体を僕は見ていない。もしかしたら、どこかで静かに本を読んでいるのかもしれない。


 それに彼は言ったのだ。「また会おう」と。

 あれは狩人への憎まれ口ではない。そんなことは僕が一番よくわかっている。なんだって彼は、僕を見つめてそう言ったのだ。


 そうしてぼくは生きること以外のものを見つける旅に出かけた。でもその前に、おやすみなさい。


 棺の蓋が閉じられた。

 


 



 


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