九曜の桎梏編

第37話 惨劇の夜


     /


 蒼い揺らめき。

 それだけが、闇に落ちた室内をぼんやりと照らしていた。


「――――」


 声が出ない。

 見慣れたはずの室内は、見慣れぬ光景に一変していた。


 滅茶苦茶に荒らされた事務用品。

 明らかに人体と分かる塊は揺らめく炎に照らされて、もはや人体とは分からぬまでに引き裂かれた肉片となって、でたらめに散乱している。


 これが奇妙な炎でなく、蛍光灯の明かりの下ならば、ただ深紅一色に見えただろう。


「く……なんや、これ」


 むせ返るように血臭に顔をしかめ、少女は一歩下がる。

 にちゃりと嫌な音がした。肉片を踏みつけてしまったらしい。


 悲鳴を上げずにすんだのは、まがりなりにでもこういうことに慣れていたからだ。

 しかしそれにしても、ここまでの経験はない。


れん、気をつけるんだ」


 後ろからそっと、少女の同伴者が彼女の背を支える。


「具合からみて、終わった直後か……その寸前だったはずだ」


 油断無く周囲に気を配りながら、青年は死角を作らぬように蓮と呼んだ少女に背を預けた。


「それって、まさか……?」

「ああ。僕らに気づいて中断したんだ。まだいる」


 惨劇としか呼べない惨状。

 これをした犯人は、ここにいる。


 青年の言葉に、蓮も意識を切り替えた。

 感情を押し殺し、索敵する。


「――そこ!」


 数秒にも満たぬ沈黙の後、蓮の左手が翻った。

 予備動作を感じさせない早業で、三本の打剣が打ち込まれる。

 突如として、気配は生まれた。


「へえ……」


 僅か数メートル。

 散乱した家具の陰に隠れるようにして、壁際に佇んでいた何者かが感心したように口を開いた。


「大したものね。あっさり見つけてくれるなんて」


 人影が動く。

 瞬間、弱々しく揺らめいていた炎が燃え上がり、室内を一気に照らした。


いつき……」

「ああ」


 蓮に樹と呼ばれた青年は、一歩下がる。

 彼らの視線の先には少女が一人、佇んでいた。

 全身のいたるところを返り血で染めて。


「返すわ」


 その少女が右手を振るう。

 打ち返された打剣を、今度は樹が宙でむしり取った。

 蓮へと突き刺さる寸前に。


「お見事、と言いたいところだけど」


 少女が笑う。

 先ほど自分自身が受け止めた左の掌をさりげなくさら晒しながら。


「――誰だ」


 彼の右手からは出血していたが、少女の掌は全くの無傷だ。

 もっともそんな挑発に乗ることなく、樹は打剣を打ち捨てて、詰問する。


「誰って、知ってるでしょ。そちらの娘なら」

「蓮……?」

鬼燈きとうや……鬼燈ひじり。この前京都から引き渡されて、本家に連れてくはずやった異端種に違いあらへん」


 ぎり、と歯をかみ締める蓮。


「あんたがこれやったんか?」

「そう。この私を辱めようとした償いは、本当はこんなものじゃすまないのにね」

「アホ言うな! あんたが悪さしたから捕まったんやろ? 逆恨みのくせに……っ」


 詳しい経緯は分からない。

 それでも察するに、護送するはずだった異端に逃げられ、反撃をくらった――少なくとも彼女はそう判断した。


「ふん。でもそれでバラバラにされちゃうんじゃ、あなたたちも世話無いわ」

「この……っ!」

「待つんだ蓮!」


 激昂しかかり飛びかかろうとする彼女を、樹は押しとどめる。


「短気になるな。相手はただの異端種じゃない。冷静になれ」

「そない悠長なこと、できるわけないやろ!」

「蓮!」


 制止を振り切って、蓮は飛び掛る。


「――じゃああなたも黒コゲね?」


 聖は笑い、右手をかざす。

 蒼い炎。

 それが打ち出されるより早く、蓮の掌が衝撃となって聖を襲った。


「!」


 鬼火が発現しきる前に押さえ込まれ、聖は壁へと叩きつけられる。


「はああああっ!」


 咒の力と蒼い炎が鬩ぎ合い、お互いを食い合う。

 それでも威力は互角ではなく、蓮の方が徐々に相手を追い込んでいく。


「……大したもの。ここにいた雑魚とは大違い」

「誰が!」


 壁にヒビが入るほどの掌圧に押さえ込まれながらも、聖から余裕が消えない。

 抵抗している蒼い鬼火も消えそうになるが、それでも焦燥が無い。

 不自然――そう思った瞬間だった。


 ズゴッ! と音がして、何かが壁を突き破って生えてきたのだ。

 ちょうど、聖の顔をかすめるように。


「な!?」


 飛び出てきたのは白い――いや、赤い手。

 細い指先は血に塗れていて、本来の肌の白さをぞっとするほど際立たせている。


 ――そんなものに、かざしていた左腕を捉えられた。


「…………!」


 瞬間、激痛が走る。

 壁から生えていた細腕は、蓮の腕を握り潰そうと無造作に力を込めてくる。


 常軌を逸した怪力に、蓮は顔をしかめながらも咄嗟に行動した。

 聖に隙を見せるのを承知で、攻撃の対象を白い腕へと切り替える。


 忍ばせていた打剣を腕へと突き刺し、力が緩んだ隙に聖へと向けていた掌圧を壁の向こうへと向け、一点集中した。


 壁が破砕され、さらに力が緩む。

 それで、完全に束縛から抜け出すことに成功した。


 慌てて背後へと飛びずさるが、それを見逃す聖でもない。

 蒼い炎がすかさず投げつけられる。

 蓮にそれを防ぐ余裕はなかったが、間に入り込んだ樹がそれを弾き散らした。


「――やるじゃないの、二人とも」


 壁際から動くことなく、聖は笑う。


「これまでだったら、ここでみんなバラバラだったのにね?」

「う~、痛い」


 どこか場にそぐわない声がして、半ば崩れかけていた壁が向こう側から叩き壊される。


 現れたのは、長い金髪の少女だった。

 打剣が深々と刺さったままになった右手を大事そうに引き寄せて、左手で無理に引き抜く。


「ひどい。こんなの刺して」


 不満そうに唇を尖らせて、少女は細い金属の塊である打剣をそのままへし折った。


「……なんやこいつら」


 少し冷めた気分になった蓮が、思わず洩らす。

 冬にも関わらず、額からはうっすらと汗が滲んでいた。

 否が応もなく、緊張しているのが分かる。


「正真正銘の異端種みたいだ。人間じゃない」


 まずい、と樹は直感した。

 相手の力は未知数だが、少なく見積もることはできない。

 この事務所の惨状が彼女達の仕業であるのならば、この上も無く危険な状況だ。


「運が悪かったわね」


 腕を組んで、聖が言う。


「もうほとんど終わりだったのに、のこのこ帰ってきちゃって」

「あの二人も殺せばいいの?」


 どこか無邪気に、しかし言いようのない気配を漂わせて、金髪の少女が蓮と樹を見てくる。

 よく見返せば、聖以上に全身を朱に染めていたのは金髪の少女の方だった。


「まあいいんじゃない? ここの関係者みたいだし」

「じゃあそうするね」


 にっこりと笑って、少女は一歩前に出る。

 それを見て、樹はそっと蓮に触れた。


「……樹?」

「引き付けている間に、後ろの窓から飛び出すんだ。僕もすぐに後を追う」

「な、なにゆうてるん……そないなこと」

「たまには先輩の言うことを聞いてくれ」


 そう諭され、不満そうな表情を見せたものの、蓮は小さく頷いた。

 彼女にも分かってはいる。

 現状が、決して楽観できる状態でないと。


「しゃあないわ。そやけど」

「――なにコソコソしてるの?」


 金髪の少女が近づく。

 そちらを一瞥すると、蓮は左手を一閃させた。


 投げつけられる打剣を、少女はあっさりと叩き落す。

 その際に掌を切り裂かれていたが、気にしてもいない。

 それでも前進は止まった。


「――次会う時は、絶対に許さへんから!」


 瞬間、室内を熱気と炎が包み込む。


「!」


 少女が顔を庇い、炎に隠れる。


「蓮!?」

「樹、行くなら一緒や。一人残るなんて、認めへんからね!」


 言うが早いか、蓮は樹の手を強引に取ると、窓へ向かって駆け出す。


「逃がさない」


 炎が膨れ上がり、その中から飛び出してくる少女。


「ふん、甘いわ!」


 窓へと飛び込み、砕き割りながら地上二階の宙へと躍り出た蓮は、振り返りながら不敵に笑う。


「!」


 追おうと窓に迫った少女の顔に驚愕が走った。

 寸前に、何か不可視のものに弾き返されたのだ。


「蒸し焼きになりぃ!」


 刹那、一気に高まった熱量に耐え切れず、二階部分が吹き飛んだ。

 轟音と圧倒的な光量が、夜の住宅街を一瞬だけ照らす。


「っと」


 着地も考えずに自由落下していた蓮は、樹によって支えられたまま地面へと降り立つ。


「行こう」


 そしてそれ以上振り返ることもなく、二人はその場を駆け出した。


     ◇


「――相変わらず無茶を」

「でも、あれくらいやらんと」


 樹の抗議など耳を貸さず、数キロ後方に上がる赤い光と黒煙を見やる蓮。

 恐らく事務所の入ったビルが、火災に遭っているのだろう。


「炎の咒と、簡易結界を組み合わせて、爆竹的な要領で威力を増加させたわけか」

「ついでに足止めにもなったやろ?」


 樹に聞かれ、蓮は頷きつつ答えた。


 あの短い時間の間に、二つの異なった咒法を同時に使用するあたり、大したものだと言わざるを得ないと、改めて樹は感心する。

 さすがは九曜家に比肩する華賀根かがね家の長女だ。


「燃やしてしもうて、みんなには悪いけど……」

「気にするな。どうせ」


 事務所にあった遺体はもはや誰が誰だか分からないような有様だった。

 晒さずにすむだけ、マシであると思いたい。


「けど、どうしよう……?」

「とにかくここは危険だ。とんぼ帰りになるけれど、奈良に戻ろう」

「うん……そやね」


 華賀根蓮と、菊咲きくさき樹――この二人が大阪へと来たのは、ほんの小一時間ほど前のことだった。


 奈良で起きたある異端の事件。

 その応援のために蓮が大阪から奈良に向かったのは一週間前のこと。


 それも今日の午後で無事解決し、奈良の梶川かじかわ探偵社に籍を置く樹が、蓮をここまで送り届けた矢先の出来事だった。


 彼女が籍を置く坂貫さかぬき探偵事務所。

 そこが何者かに襲撃された。


 一人の素性は知れている。

 鬼燈聖。


 先日京都にて捕縛され、本家に送られるはずだった異端種で、その任に坂貫の事務所があたっていた。

 もう一人は分からない。


「考えるのは移動しながらでもいい。とにかく急ごう。一応、奈良には連絡を……」


 彼が携帯電話を取り出そうとしたところで、着信音が鳴った。

 このタイミングで鳴った電話に、蓮は表情を固めて樹を見返す。


「はい、菊咲です」


 対照的に表情を消して応答する樹は。

 その内容に絶句した。


     /夕貴


 先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 荒らされた室内を興味無さげに徘徊している鏡佳きょうかを一瞥しながら、携帯電話に向かって俺は小さく頷き返す。


「そうか。……ああ、それくらいは問題ない。むしろ情報を先に伝えてもらった方が、相手も話が早くすすむだろう」


 その後二、三話して、電話を切る。

 それを見計らったように、散乱した物を蹴散らしつつ、鏡佳がこちらを見返した。


「わたしを放っておいて、女と電話か?」

「ああ。お前よりはずっと教養ある会話を堪能できた」

「ふん。どうせ人殺しの話だろう」


 つまらなげにつぶやいて、鏡佳は手近な椅子に座り込む。


「お腹が減った」

「後にしろ。……それより何人だ?」

「六人だ。一人足りないが、そのつもりだったのだろう?」

「そいつは大阪で確認した」

「ん……? じゃあ聖がやったのか」


 少し考え込むように、鏡佳は小首を傾げる。


「逃がしておいた。まあ、逃がす前に逃げられたらしいがな。少し火傷をしたと言っていたから、やはりかなりの手練れだったか」

「菊咲、とか言ったか?」

「ああ」


 読んでなどいないかと思ったが、どうやら事前に渡していた資料には目を通していたらしい。


「菊咲樹。今はこの事務所に派遣されているが、実力はあの九曜くようかえでに次ぐほどだと言われている。不在を狙ったのはやはり正解だったな」

「ずいぶん若造だったと思うが」

「九曜楓と同い年のはずだ。実力は九曜ナンバーツーだが、それはあくまで俺らの世代にとっての話だけどな」

「ふうん。しかしだからといって、わたしがそいつに遅れをとると?」


 どこか不満そうに、鏡佳が睨んでくる。

 相変わらず矜持だけは高い。

 まったく、生意気な女の相手は疲れる。


「お前が負けるとは思わないが、逃げられる可能性はあった。お前は詰めが甘いからな」

「何の侮辱だ、それは」

「文句があるなら衝動的な行動はやめてみせろ。話はそれからだ」


 日常生活がまさにそうだ。

 付き合わされる俺の身にもなって欲しい。


「……そういえば」


 そんな鏡佳が、何か思い出したように視線をさまよわせた。

 まずい。

 こいつがこんな顔をする時は決まって――


「何をやった!」


 思わず怒鳴ってしまう。


「別に何もやっていない。ただ誰だったか一人、殺す前にどこかに電話をしていたぞ」

「な……」


 思わず絶句する。

 外部と連絡をとられていたということは、ここのことが洩れたということだ。


「馬鹿が! どうして早くそれを言わない!?」

「うるさい。言おうとしたけど、お前が電話をしていたから……邪魔するのは悪いと思ったんだ。気を遣ってやったのに、文句を言うな」

「お前は……」


 どうして普段は欠片も気を遣わないくせに、こういう時に限っていらない気を遣ったりするのか。


 ……なるほど。

 さっき俺が電話していた時に、妙に目の前をうろちょろしていたのはそういうことだったわけか。


「まあ、いい」


 少し考えて、さほどのことではないと判断する。


「どうせ遅かれ早かれここのことは知られる。俺達の素性が知れたわけでもないだろうし、問題はない」


 それでもこれ以上の長居は無用か。


「問題ないなら怒るな」

「黙れ馬鹿女」

「優しくない」

「どうして俺がお前に優しくしなければならない」

「使えない男だな」

「お前が言うな」


 意味のない口論を繰り返しながら、部屋を抜ける。

 隣の大きな事務室は、先ほどの戦闘の後が生々しく残っていた。


 首を切り落とされた死体が五つ。

 一つはさっきの部屋に転がっていたから、数は合う。


「しかし皆殺しとはな。意外に冷たい男だ」


 手を下した張本人は彼女であるにも関わらず、まるで他人事のように鏡佳はつぶやく。


「俺の家は人殺しが仕事だった。一家惨殺なんてことも、よくあった」

「ふうん。で、気づいたら自分の家族が皆殺しにあっていたわけか」

「俺は残った。だからここでこうしている」

「それは逆恨みか?」


 面白そうに、鏡佳が覗き込んでくる。

 普通ならば聞きにくいであろうことも、あっさり踏み込んでくる。

 こういう時には気の遣い方を知らないらしい。


 まあ、もっとも。


「そんな必要もないか」

「ん? 何か言ったか?」


 こちらの独白に、きょとんとなる鏡佳。


「いや」

「……勝手に一人で納得するな。わたしを無視して。やっぱりお前は優しくない」

「今さら文句を言うな」

「うるさい。もっと優しくしろ。それにお腹も減ったと言ったはずだ」

「京都に戻るまで我慢しろ」


 鏡佳の外見は目立つ。こんなところで不用意に足を残すわけにはいかない。

 その辺りのことはここに来る前に言っておいたのに、もうこれだ。


「本当に、世話のかかる女だな」

「ふん」


 うるさい、とまた一言言い残して。

 不満全開で事務所から出て行く鏡佳の後へと、俺も続いた。

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銀ノ鏡界【Thousand Testament Ⅺ】 たれたれを @taretarewo

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