op.74

 今年の夏も、例年通り異常気象なんて叫ばれている。いったい何年連続で異常が続くのだろうか。

 こうも続けば、もはや平常運転なのでは、とどうしてもつっこみたくなってしまう。

 高校生の頃なんて、今と比べれば全然マシだ――そう比較してしまうのは年を重ねた証拠だよ、と運転席のパパは苦笑いをしている。



 お盆の終わりだからだろうか、郊外の霊園には人の姿はまばらだった。蝉時雨が周囲の木々にこだまする。

 目線を下げると、今年で五才になる娘の律音が《りつね》、水をなみなみと入れた桶を一生懸命運んでいる。子供には重いだろうに、いつも一杯に入れてしまうんだから。


「持とうか?」と手を差し伸べても、

「あたしのしごと!」

「ママはおててだいじでしょ!」

 そう言って決して譲ろうとしない。勝ち気な性格の困った子だ。幼稚園では男の子とも喧嘩してるらしい。

 まぁ毎度のことだけどね。ほんと、私とパパ、どちらに似たのかしら。

 そう言うと、決まって「両方の血を継いだんだろ」って笑うパパのことが大好きだ。


「うんしょ、うんしょ」


 階段を一段一段またいで登るその様子を、パパは目尻に皺を寄せて微笑んでいる。

 その横顔を見て、私はいつも恋に落ちる。

 時間がどれだけ経とうが、この気持ちが変わることはない。



 見晴らしの良い霊園は、晴れていると富士山もよく見える。その眺望の良さが気に入って墓地の一画を購入した。

 ズラっと並ぶ墓石のなかで、一際目立つアップライトピアノを模した墓石には「雨宮家」の名が掘られている。これはパパがデザインしたものだ。

 律音は、お墓に眠る故人の顔も見たことがないのに、身近に存在を感じてるのだろうか、ここに訪れる度に熱心に祈りを捧げていく。

 家だとヤンチャというか、わんぱく盛りだというのに、まるで人が変わったように静かに両手を合わせる姿には、毎度心が打たれる。

 こうなると、しばらくは自分の世界に入って何も聞こえなくなるのだ。



「なぁママ」

「なにパパ?」

 顔をあげたパパが話しかけてきた。

「昔さ、天国を見たって言ったの覚えてるか?」

「そんなこともあったわね。あのときは幻でも見たんじゃないかって思ってたけど」


 私が日本を発ったその日に、パパはにナイフで刺されて瀕死の重傷を負ってしまった。瀕死というよりも、死んでておかしくない出血量だったと、後に侑里さんが教えてくれた。

 放置していれば免れなかった死から生還を果たしたのは、何処かに案内するような野良猫の後をついていった通行人に、運良く発見されたことと、その日が記録的な寒さだったこと、それに加えてアルコールの作用が重なって仮死状態になったことが要因らしい。

 ようは偶然に偶然が重なって助かった命というわけだ。

 天国の話も、気を失う寸前に見た幻覚だろうと当時の私は解釈していたけれど、パパはそうではないと断言する。


「あれは本当だよ。天国むこうで幼いままの奏太にも会ったんだ。でもな、会うなり『まだ来ちゃダメだよ。せっかく笑えるようになったんだから』って怒られて、それで追い返された。そしたら意地でも死ぬもんかって思えて、それで帰ってこれたんだ」

「そう、なんだ……」


 そうか、奏太君が助けてくれたのか。

 パパは時々思い出したように話す。

 ――もしかしたら律音は奏太の生まれ変わりなのかもしれない、と。

 娘が時折見せる仕草や口調が、生き写しのようにそっくりなんだという。


 やっとお祈りが終わった娘の頭を撫でてあげると、夏の香りが漂ってきた。

 きっと、これからこの子も色々な悩みにぶつかるだろう。それはパパとママが助けてあげられるかもしれないし、助けてあげられないかもしれない。

 その時には、私にとっての律人のような人が、貴方の側で寄り添ってくれると良いな。



「なぁ、真莉愛」


「なによ、律人」


「愛してるよ」


「私も、愛してるわ」



「どうしたのー?かおまっかっかだよ?」






 俺も、真莉愛も、あの頃願った夢は叶えたかもしれない。

 だけど、夢ってのは次から次へと沸いて出てきて、それが次の世代に受け継がれていくもんじゃないのか――近頃特にそう思う。

 まさか、律音がピアニストになると言い出すなんて、まだピアノにもろくに触れていないのに。

 そんなこと言われたら、応援するしかないだろ。


 娘を勢いよく抱き上げると、火傷の痕がちくりと痛んだ。いたいのいたいの飛んでいけー、とさする我が子と真莉愛に、微笑まずにはいられなかった。

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ふたつの夢を追いかけて きょんきょん @kyosuke11920212

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