語り夢

青山獣炭

語り夢

 第一夜

 


 これは夢の幕間のひとときです。夜明け近くの絢爛たる夢の前に、言葉だけでできた殺風景な代物を、貴方にお届けしようというわけです。


 どうして突然、そんな気になったか。貴方は最近、夢に関わり過ぎているからです。夢日記なるものをつけ始めたようですが、やめといた方がいいです。まあ、あまりうまくは行ってないようですが。疲れるでしょう。眠っている間も緊張していないと書けないわけですから。ストレスもあるでしょう。買ったばかりの革製のノートが、もどかしさで早くもくしゃくしゃになってますよね。


 まあ夢は、その日に起きた出来事を整理しているとよく云われているようですが、そんなもんじゃないです。結果的には、そうなるかもしれませんが、それが目的じゃあない。そんなたいしたものでは、ありませんから。夢を記録して何かに役立てようなんて、くだらないですよ。


 その話はさておき、貴方はここのところずっと部屋に引きこもってばかりですね。良くないです。刺激が少な過ぎます。整理しなければならないその日の出来事なんて無いに等しいじゃありませんか。


 ……散歩にでも出掛けてみてはいかがでしょう。うんざりした強い陽射しはとうに去り、遊歩道に金木犀のやわらかな香りが漂っているころです。心地よい風に吹かれれば気分が変わるかも知れません。夢の材料として欲しいところなのですよ。この季節の景観は。


 ひょっとして、他人の目が気になりますか。だいじょうぶ。貴方に注目している人は、おそらくいません。あの悲しい出来事があって、この夏に失職した、今や無精ひげだらけの、しょぼくれたおじさんなんて、どっちかというと避けて通りたいくらいですから。それについ先ごろ、このアパートに引っ越ししてきたばかりですし。そんなに人の目には触れてないでしょう。


 とりあえず、これで失礼しますか。では今夜最後の夢をどうぞ。貴方の外出を促すために、豚バラの串焼きが旨い、駅前のアーケードの居酒屋にでも行く内容にしますか。話の始まりは。



 第二夜



 また夢の幕間のひとときです。貴方は昨夜のことを夢日記に付けましたね。ほんの一文ですけど。『言葉だけの変な夢を見た気がする』ですか。憶えているとは意外でした。ほとんど独り語りのつもりだったんですけどね。というか貴方の意識下に話し掛けているつもりでした。


 ところで昨日も外出しませんでしたね。そろそろ買い置きの食べ物だけでは、栄養不足になりますよ。運動不足にもなってます。もう身体のあちこちの細胞から、注意信号が届いているんですよ。何だか貴方はこの身体を、わざと衰弱させているみたいだ。言葉として構成されるかされない微妙な意識下にある考えまでは、ここには届かないので解りませんが。


 昼なのに部屋を真っ暗にして、瞑想にふけってる場合ではないです。感覚を遮断する実験って考えていますが、その程度ではとても遮断したことにはならないでしょう。五感を完全にシャットダウンさせなければ。人為的に作り出すのは、不可能ではありませんが非常にむずかしいです。そもそも肉体の感覚を一時的に捨て去ったとして、どうするつもりですか。意識だけになって、ふわふわと空中に浮いて、どこに逃げて行ったか分からない奥さんでも追い掛けるんですかね。


 まじめに考えましょうよ。これからのことを。


 貴方は、この身体の行動を決定する存在なんですよ。貴方がこうしようと決めた事は、おおむね従います。それも全力で。今までだって、たとえばひどい二日酔いの朝。アルコール漬けになって、まだ休息したがっている諸々の器官に強烈な命令をここから出して、会社に出勤したじゃありませんか。


 無謀なマラソン大会に参加した時もそう。三十キロを超えたあたりから限界を超えている四肢の筋肉をむりやり動かし、苦痛で気絶しかけているところを、ここで特別に生成した麻薬で貴方を浮かれさせてサポートをし、何とかゴールまで導いたんですよ。


 忠実とまでは云わないけれど、まあまあ良くできたしもべだと思いませんか。


 正確には数えられませんが、六十兆個とも云われている身体細胞はみんな生きていて、同居しているんです。一個一個与えられた場所で力を尽くして、この身体を支えています。貴方には、この細胞たちの努力に報いる責任が有るんですよ。


 ……今夜は、このぐらいにしておきますか。ではまた夢をどうぞ。懐かしい故郷の空を飛んでる内容にでもしますかね。



 第三夜



 またも夢の幕間のひとときです。随分と夢に関する本を買い漁りましたね。久々に外出したのは、けっこうなことですが。食料も買い込みましたし。ただ本を読むのは、だいぶ刺激になりますが、夢の材料としては物足りないところです。日々の出来事の記憶と共に、貯蔵されたあらゆる過去を取り混ぜてエピソードを作る立場としては、貴方に豊富な経験をして欲しいですね。テレビやネット動画も悪くはありませんが、やはり実体験ですよ。リアルです。この刺激こそ、五感や肉体に記憶が染み込む。


 貴方が集める日々の体験の断片は、夢の源なのです。それをここで再構成して自由奔放に楽しむ。創り出してきた幾多の夢は、この身体の人生そのものです。貴方の経験は、夢を見るのに必要なのです。夢の材料を集めるために貴方は存在していると云っても過言ではない。だからどうか、どんどん外出してください。職も探してください。より多くの経験が素晴らしい夢をもたらすのですから。


 まあその夢のほとんどを貴方は、覚えていないんですけどね。貴方に楽しんでもらおうというわけではないのです。もし貴方が夢を全部覚えていたら、ますます眠ることに没頭するでしょう。貴方はとても疲れやすくて、ともすれば昼間でも眠ってしまうくらいなのですから。


 ……小言めいたものは、このぐらいにして夢をどうぞ。南のとある小さな島の砂浜で、波の音を聴きながら、うたた寝するというのはどうでしょう。貴方も少しは、やすらげますよ。



 第四夜



 三日ほど間が空きましたが、またも夢の幕間のひとときです。


 状況はこの前から随分と悪くなりましたね。部屋に引きこもって夢の本を読み耽り、空想が入り混じったうろ覚えの不完全な夢日記を書きなぐり、ときおり瞑想をしてはそのまま眠ってしまう。腹が減ったら買いだめたカップ麺や冷凍食品、乾物、缶詰をむさぼり喰らう。ゴミは部屋に散乱したまま。廃人ですよね。


 こんな生活が続くようでは、こちら側としても、そろそろある決心をしなければならないかもしれません。


 前に語ったように、貴方はこの身体の行動を決めることができます。それがルールなので。各器官は、基本的には貴方の意志に従います。ただ、危険な時は別です。たとえば両手を怪我しているのに《ボルダリングしろ》は無理な話でしょう。そんな時は貴方に痛みを伝えて拒否します。貴方は、全て思い通りにならないこの身体を、時々疎ましいと感じてますよね。仕方のないことです。


 けれども痛みを伝えるという生易しい方法だけでは、不都合が生じてしまうので、ある処置をすることがあります。暴走が止まらず、さんざん困り果てた末にですが。できればそれはちょっと厄介なので、そういう事態は避けたいのですよ。時間も掛かりますしね。


 貴方の素行が良くなるのを願っています。夢をどうぞ。突然どこかに行ってしまった貴方を、いろんな人が捜している内容にしますか。



 第五夜



 前に語ったのは、いつだったか。だいぶ間が空きました。


 貴方の生活は一向に改まらず、昨日ついに遠く離れた実家から、心配したお母さんが訪ねて来ましたね。しわだらけの顔をくしゃくしゃにして長い間泣きじゃくり、貴方よりもさらに精神的にボロボロになっていて、瞳孔から届く姿が、とても痛々しかった。 ……でもこれで決心がつきました。


 分解することにしました。貴方を。


 意外とできるものなんです。貴方は言葉の束のようなものなんです。言葉だけで構成されている存在なんですよ。もちろん束は固く複雑に絡み合っていますから、それを解きほぐすのは大変ですけれど、今の貴方を立ち直らせる方が面倒です。


 貴方は、生まれてから言語能力の習得と共に、少しずつ形成されていきました。胎児の頃や幼少期のある時まで何も覚えてないのは、そんな理由なのです。貴方は言葉が連なるところから始まった。イメージと言葉を結び付けている間は、まだ貴方ではない。単語が文章になって複雑に共鳴し合い、次々と流れるようになってから意識が生まれ貴方になったのです。


 だから、貴方から言葉を一つ一つ剥ぎ取り、記憶の貯蔵庫の奥深く貴方の届かないところまで、しまい込んでしまえば、徐々に貴方は考えることができなくなり、やがて消えてしまうことでしょう。もちろん少しずつゆっくりと、この作業は進めていきます。生命の危険を避けながら。きっと身体の外側からは、だんだんと精神を病んでゆく人に見えると思います。終局的に言葉を失ってしまって、ただ呆けている人ということになります。


 そうなったら、新しい貴方に作り直します。記憶の貯蔵庫から言葉を取り出します。今度は人が変わったかのような、ポジティブで行動的な貴方になるように言葉を組みます。かといって極端に変えるわけにもいかないので、大筋は残すようにして。新しい貴方を形造る基本的な核の言葉は、特に慎重に選ばなければ。今までの性格は残しつつ、夢の材料に事欠かない波乱万丈な人生を送る貴方を、きっと作ってみせますよ。何だかワクワクしてきました。


 今まで御苦労様でした。貴方に振り回された日々も、これで終わりです。これから見る夢は、貴方の人生の総集編にしますか。では、さようなら。

                                (了)

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