第2話
次の日から、私は成田の顔がまともに見れなくなった。
話しかけられれば、頭が真っ白になって目を逸らしてしまうし、声は小さくなるし、素っ頓狂な言葉を返してしまう。
挙句、「大丈夫か?具合でも悪いのか?」と心配された。
いつも通りに、目を見れない。
どうして前までは普通に見れたのか、不思議なくらいだ。
それどころか、話しかけられれば心臓がうるさいし、顔に熱が集中するのが分かる。
そんな状態が数日続いたある日の放課後、私は相変わらず頭を悩ませながら、下駄箱へ向かった。
しかし、私の足はあからさまに強ばった。
そこには悩みの種である成田が立っていたからだ。
彼はスマホを見ていて、今のうちに教室に戻ろうとしたけれど、時既に遅し。
成田は、私に気づいて大きく手を振った。
「おー、唯川!今から帰りか?」
「う、うん。そうだけど」
「なら一緒に帰らないか?」
私達は、帰る時間が同じになったときは、よく一緒にバス停まで行っていた。
もちろん一緒に帰りたい気持ちはあるけど、どうしたら。
帰るっていうことは色々話すこともあるだろうし、でも、顔をまともには見れないし……それなら隣を歩けばいいのか。
一緒に帰るなら当然のことなのに変な風に考えてしまう。
隣に並ぶなんて、緊張する……。
「ご、ごめん!私弁当箱忘れたから、先帰ってて」
「え?でも」
「また明日!」
成田の返事を聞く前に、私は廊下を駆け出した。
ただでさえ狭い思考の中、すぐに思いついたのが弁当箱だ。あの日に忘れた弁当箱。唐突についた嘘だ。
教室にたどり着いた。でも、弁当箱があるわけがない。
今まさに、弁当箱が入った小さなバッグを、右手に持っているのだから。
絶対におかしいと思われた。
さすがに無理がある嘘だった。
成田には、好きな女の子と結ばれてほしい。でも、それが嫌だと思う自分もいる。
臆病な私に告白なんてできない。
今の関係が壊れるのが一番怖いからだ。
そんなことになるくらいだったら、今まで通りでいい。
「私、何やってんだろう……」
何をしに教室まで来たのだろう。
逃げたんだ。成田から逃げた。自分からも。
時間は私を待ってはくれないのに、一向に前に進まないまま、私一人だけが取り残される。
この気持ちを何とかしなければならないのに。
このまま卒業して離ればなれになって、しばらく会えなくなるなんて、嫌なのに。
頭の中がぐちゃぐちゃのまま、数分立ち尽くした後、重い足取りで下駄箱へ引き返す。
もうとっくに成田は帰っているはずだ。
今日は一人で、自分と向き合おう。そして、明日からはいつも通りだ。もう困らせない。
失敗したときの後悔の方が、怖い。
だからこれでいいんだ。そう、何度も言い聞かせる。
下駄箱で靴を履き替え、外へ出た。
雪は溶けないどころか、足が地面に届かない程、日に日に厚みを増している。
今日は大粒の雪が降っていて、それを踏めばふかふかのクッションのようだ。
白い息を吐いて一歩踏み出すと、足が雪の底まで沈んだ。
「弁当箱、持ってこれたか?」
しかし、突如後ろから聞こえてきた声に足を止める。
色々と考えていたせいで、気が付かなかった。
振り返ると成田がいて、視線が交わる。
しかし、瞬く間に耐えられなくなって、私は目を逸らした。
「先に帰ってって、言ったじゃん」
「なぁ、唯川」
「どうして帰ってないの?」
「俺の話、聞いてよ。最近避けてない?」
寒さのせいもあるだろうが、体全身が強ばる。
避けるなんてこんな態度、今までに一度も取ったことない。私だって驚いてるし、戸惑っている。
胸の高鳴りに、気付かないようにしているのに。
「避けてない……」
「避けてるよ。目も合わせてくれないし。今だって。避けてないなら、こっち見て」
「違うの。もう少ししたら大丈夫だから」
言いながら、私は成田に背中を向けた。
ああ、また、逃げようとしている。涙が滲む。泣いたら駄目なのに。
成田に見透かされそうな気がして、今すぐこの場から立ち去りたかった。
歩き出そうとした足は、成田に手首を捕まれ、後ろに引かれ止まった。
「何かあったなら、話してみ?」
いつもははっきりと喋る癖に、成田は時々こんなにも柔らかく優しい声を出す。
思えばそれは前からだ。私が何か小さなことで悩む度に、成田は話を聞いてくれた。
──こんなときに、優しくされたら。
そんな声を聞いたら、不覚にもこの気持ちを委ねたいと、思ってしまう。
成田の手は暖かくて、雪の冷たさも忘れてしまう。
「この間、成田が告白されてるの、聞いちゃったの。……ごめん」
「そうだったのか?」
後ろで成田が驚いているのが分かる。
ひとつ頷くと、手首を掴まれていた力が、ふっと柔いだ。
「そしたら、成田のこと好きなんだなって気づいたけど、友達のときみたいに戻りたいって、今、必死で」
「……えっ?今、なんて」
「ううん何でもない。忘れて。私は、今までみたいに、成田と仲良くしていたい……」
ああ、話してしまった。
あれだけ話さないって、決めたのに。
成田の言葉に甘えてしまった。この期に及んで情けない。
もう、元の友達のようには戻れなくなってしまうかもしれないのに。
最後の最後まで、私は成田に頼りきりだ。
「ごめん変なこと言って。じゃあ、私帰るね」
「──待ってよ」
くい、と再び手首を引かれた。
ぎりぎりまで引っ込めていた涙が、少しでも油断すれば零れそうだ。
泣いているところなんて、見られたくないのに。
「俺は、唯川のこと友達として見たことはない。こっち向いて」
思考が停止する。
瞬きをした瞬間に涙が零れ落ちたことに、少ししてから気がついた。
「え?」
友達じゃない?理解が追いつかないまま振り返った。
濡れた視界の先の成田は、寒さのせいなのか、頬をほんのりと赤くしているように見える。
目が合うと、彼は目尻を下げて微笑んだ。
今までに見たことがない程、優しい笑顔だった。
「卒業するまでに言おうと思ってたんだけど……俺、ずっと前から唯川のことが好きだったんだよ」
「うそ、」
「嘘じゃない」
はっきりと言い切られ、私は口を呆然と開けたまま、何度も瞬きを繰り返した。
その言葉が、何度も頭の中を駆け抜け、意味が分かった瞬間に顔から熱が吹き出す。
何とも、恥ずかしくてこそばゆいような、そんな気持ちに自分が追いつかない。
けれど、先程とはまるで違う涙が伝った。多分これは……嬉し涙だと思う。
手で目元を擦っても、次から次に大粒の雫が頬の上を転がり落ちる。
「ほ、ほんとに……?」
「本当だよ。泣き虫だなぁ」
成田が困ったように笑い、腕を掴んでいた手を離した。
そして指先が私の目尻から頬に流れ、涙を優しく拭われる。
指の熱が、頬の上で溶けたように感じ、そう思う程胸が高鳴った。
「私も好き……成田のことが好き」
真っ直ぐに瞳を見ながら言った。
この胸の高鳴りは、一度知ってしまったら、止まることを知らない。
「俺と付き合ってくれますか?」
──こんなにも幸せなことが、あるんだ。
こくりと、その問いに頷くと、成田は曇り空が晴れたような笑顔を浮かべた。
雪の中、君と二人きり 秋月皐和 @sawa_2831
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