雪の中、君と二人きり
秋月皐和
第1話
「私、成田君のことが好きです。付き合ってくれませんか?」
教室に入ろうとしたら、突然聞こえてきた声。吹き荒れる風のように、私の心はざわついた。
暴風が今おきた全てをどこかへ連れ去り、私だけがその場に取り残されたような、そんな感覚に陥る。
見つからないように細心の注意を払いながら、教室の中を覗いた。
窓際に立つ、クラスメイトの女の子と、成田冬馬(なりた とうま)。
今、教室にはこの二人しかいない。
明らかに場違いな私が廊下から聞いているなんて、思ってもみないだろう。
私だって、ただ忘れた弁当箱を取りに教室に戻っただけなのに、こんなことが起きているなんて思わない。
それでも、脈打つ心臓は止まらず、その場を立ち去ろうという考えも浮かばない。
風の過ぎ去った静かな空間に、耳をすませる。
「ごめん……俺、好きな子がいるんだよね」
それは、いつもの聞き慣れた声ではなかった。聞いたことがない程、低く、真剣な声。
瞬間、心臓が少し落ち着くのを感じた。
息も少し止まっていたようだ。長めに吐くと、白い靄が空中で円を描く。
そのまま、私は教室には入らず早足で下駄箱へ向かった。
あんな空気の中、弁当箱を取りに行けない。
二人と顔を合わせてしまえば、気まずい空気が漂うだけだ。
黒いブーツを履いて外へ出ると、真っ白な景色に目が眩む。
雪の中に足を踏み出しバス停へと向かった。
変だったのは、これ程までに凍えるような寒さなのに、それを感じないほど、気持ちが動揺していることだった。
あれは、今とは真逆の暑い夏の日のことだった。
雲ひとつない青空に浮かぶ太陽が、地面を熱く照りつけているのが窓から見えていた。
校庭で走る野球部員達。
その日、音楽室で、クーラーをつけ涼しい中でトランペットを一人で吹いていた。
他の吹奏楽部員達は、夏休みだからと言って少し練習したら帰ってしまったのだ。
暑いのは苦手だ。寒さをしのげる冬の方が、まだいい。
「あー、涼し!」
ぼんやり考え事をしながらトランペットを鳴らしていたら、突然そう叫びながら男の子が入ってきた。
汗を垂らしながら、パタパタと手で仰いでいるのは、クラスメイトの成田冬馬。
私は眉をひそめ成田を見る。
「何やってるの?泥、壁につきそうだよ」
彼は私に気づくと、へらりと笑う。
「悪い悪い。ちょうど通りかかったら、涼しい風が来たからさ。いいなぁ、クーラー」
「吹奏楽部の特権だからね。それより、サボり?」
「まぁ、暑いからサボりたいなぁとは思ってたけど。転んで怪我してさ、見て、コレ」
野球部の成田は、どうやら膝を擦りむいてしまったらしい。
一応水で洗ったのか、血は止まっているけれど、痛々しくて見てられない。
保健室の途中に音楽室があるから、寄ったというわけか。
「見せなくていいから、早く保健室行きなよ」
「冷たいなぁ。大丈夫?とか、痛い?とか、ちょっとは心配しろよー。トランペットばっかり吹いてないでさ」
「私はサボりません。練習したいもん」
「偉いよなぁ、ほんと。じゃあ、俺、ちょっと行ってくるから!」
成田はあっけらかんと言ったかと思えば、すぐさま音楽室を出て行った。
なんというか、周りを巻き込むようなそんな男の子だ。
風のように現れては、颯爽といなくなってしまうような。
中学一年生の頃から現在の高三まで、同じ学校で同じクラスになった成田冬馬。
私はただの偶然だと思っていた。というか、そこまで深く考えてはいなかった。
「またか」と思うくらいだ。
しかし、彼は何故か「すごい縁だ」と感じていたそうで、中三になったあたりから、やたらと絡んでくるようになった。
「今年も同じクラスだな!俺ら、すごくない?」
「高校も同じなのか!?これ、また三年間同じクラスだったら、すごすぎない?」
と、ことある事に「すごい」を連発され、話す機会も少しずつ増え、次第によく話す友達になっていた。
私は、女友達は数人いるけど、男友達は少ない方だ。
最初は何なんだろうと思っていた。でも、今は気兼ねなく色々なことを喋れる一人の友達だ。
数年前の私がこれを知ったら、きっと驚くと思う。
「唯川!唯川みのり!絆創膏、貼ってきたぞ!」
数分後、また馬鹿でかい声で叫びながら、成田が入ってきた。
驚きすぎてトランペットを落としそうになる。
そんな私を他所に、彼は自慢げに膝を指差し、晴れやかな笑顔をこちらに向けていた。
「もー。急に来ないでよ!心臓破裂するかと思った」
「お?ごめんごめん。これ、やるから許せ!上手く取れよな!」
こちらに向かって飛んでくる何か。
私は慌てて、トランペットを膝の上に置きながらそれを取る。よく取れたと思う。
自販機で買ってきてくれたのか、それはキンキンに冷えたお茶だった。
クーラーをつけてるとはいっても、喉が乾かないわけではない。
「まだ練習するんだろ?頑張れよ!じゃ、またなー!」
ひらりと手を振りながら、成田が音楽室を出ていく。
「あっ、ちょっと!」
また、私の言葉が届く前にいなくなる。
その癖優しいときの方が多い彼の頭の中は、一体どうなっているのだろう。
もう姿の見えない入り口をしばらく見つめた。
「……ありがとう」
ひんやりとした優しさが、手のひらに広がる。
ひと口飲んで、再び練習に取り掛かった。
揺れるバスの中で、過去のことをぼんやりと思い出している間に、もう到着したらしい。
バスを降りて寄り道せずに家へ向かう。ここから五分くらい歩けば自宅だ。
成田とは、高校を卒業したら離ればなれになる。
私は地元に残るけど、成田は東京へ行くことが決まっているのだ。
昨日までは、どうとでもなかった。何か話すことがあれば、すぐに連絡もできるような便利な時代だ。
でも、それが突然どうして、今は寂しいと感じるようになったのか。
事の発端は、あの女子が成田に告白したときであることは間違いない。
あの時、心の底から嫌だと思った。
付き合ってほしくない、と無意識に願っていた。
そしてそれが叶ったとき、ほっとする自分がいた。
卒業までもう三ヶ月を切っているというのに。
「困ったなぁ……」
ぽろりと、漏れたのはそんな情けない一人言。
好きな子がいるんだ、という成田の言葉が、頭の中で再生される。
細い針が、ちくりと胸に突き刺さるような痛みを感じた。
本当は気づきたくない。このまま知らないふりが出来たら、どんなに楽だろう。
でももう、こんな感情になってしまったら、元には戻れない。
成田が頭から離れない。楽しかった思い出が鮮やかに、次々と頭の中に映し出され、その度に胸が音を立て、顔が熱くなる。
それを隠すように、マフラーに顔を埋めた。
いつも通りに、成田と話せるだろうか。
でも、成田は私のことを、きっと友達としか思ってないと、思う。
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