第一章 初代大岩右衛門信実記

第壱節 鶴が飛ぶ時…… 前編

三河国吉田城は東三河最大の川【豊川】を自然の堀とした要害である。遠江の引間城、宇津山城、西三河の岡崎城の中継地にあり吉田の南にある渥美半島を結ぶ要衝にあり湊もあり海運交通の要であったこの城は多くの有力者が手に入れるために血みどろの抗争を繰り返した城でもあった。

吉田城は永正二年(1505年)、東三河有力国衆【牧野氏】の【牧野古白】が駿河守護【今川氏親】の命により築いた【今橋城】が起源である。その後、牧野古白は氏親や東三河渥美郡の有力国衆【戸田氏】と対立し討死、【戸田宗光】が吉田城主となるが牧野氏との間に吉田城を巡る抗争が激化し西三河の松平氏、牧野氏、戸田氏と城主が目まぐるしく変わったが天文十五年(1546年)、今川氏に属していた牛窪城主【牧野保成】の要請を受けた今川義元が吉田城直接攻略に乗り出しこれを制圧した。義元は吉田城を東三河における最重要軍事拠点として信頼出来る家臣【伊東左近将監元実】を吉田城代に置き彼に吉田周辺の統治を任せた。

伊東元実は親今川の国衆、土豪、自社の知行地(先祖代々からの土地)を安堵する文章を発給し彼らの支持を得ていた。

しかし、反今川の者には容赦がなく彼らを厳しく弾圧した。

非難の声は確かにあったが、今川義元より任され東三河の土地を統べる者としては当然の行為であった。


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天文二十二年(1553年)、師走。

吉田は温暖な土地柄か雪が降ることは無いが遠州より強い海風が吹き付け土地の人々はこの風を忌み嫌った。

ここ大岩郷も例外ではなかった。

郷の者は年越し祭りや新年の用意に忙しく、また雪の量が例年の冬より早いせいで作物のなりが悪く食物となる野菜が取れず野盗が近隣の村々を襲ったと商人達の噂も流れていた。

村人は野盗を恐れ各々が武具を手に取り野盗に備えていたが彼らとて残忍で卑劣な野盗の集団にはかなわない。

野盗は元は足軽であったり戦によって土地を追われた武士の後裔であったり浪人者が寄せ集まった集団だ。彼らは大勢で荒れ狂い村の家に火を付け女を襲い抵抗するもの全てを殺した。

首と死体は村の出入口に晒し村人に逆らえばこうなるぞと教えこんだ。

家族や村や郷に害を成すことを恐れた村人はある男を頼った。

吉田城代より大岩代官の拝命を受けた大岩右衛門である。

大岩代官は隣町の二川町、大岩村、中原村を管轄に置いており隣接する雲谷代官、細谷代官、多米代官と共に今川氏より三遠国境の治安維持を任されていた。

大岩信右衛門は野盗が隣の雲谷の船形山の麓の郷を焼き、谷川の民をなで斬りにし中原村の老若男女を襲い女を犯し郷を燃やしたと聞くと怒りを露にした。

「野盗共め、罪なき民を虐げるなど許せぬ。この右衛門必ず野盗を討ち取ってやるわ。与一、厩にいって馬五疋を用意せよ。

六助、直ちに又兵衛に言って鑓持八人、侍衆六人、足軽衆十五、いや十六人を率いて打って出るぞ」

右衛門は大岩家の伝令兼忍衆の与一と六に戦の支度を命じた。

小田又兵衛は大岩家の譜代家臣である。

右衛門が元服する頃より仕えており右衛門と歳は同じであるが忠義に篤く勇猛で名を馳せていた。

「ははぁ、野盗共の頚(くび)討ち取ってご覧に入れましょうぞ!」

大岩衆随一の猛者である又兵衛の返事に信右衛門も武具を整えさせ用意された馬に乗ると心配そうに見守る赤子を抱いたうら若い清楚な女性がいた。彼女の名は【弓弦】といった。彼女は結婚して1年後、名を【鶴】と変えていた。

彼女は右衛門の正室である。

「右衛門様、大岩郷のために野盗を必ずや討ち取ってくださいませ。そしてどうか御身をお気をつけください」

紗耶の言葉に馬上の右衛門は頷くと家臣を自らの前に並べた。

大岩右衛門家の家臣は小田又兵衛、石田勝之丞、福尾義勝、その弟で鑓持の直久、大五郎と村から徴用した足軽15名である。

右衛門は馬上で部下に号令を下した。


「皆の者、既に野盗は細谷、小松原と南下しつつ天白原に転身している。与一と六の調べによれば奴らは天白の山に砦を構え周辺の野盗を集めて一気に大岩村を攻めるとのことだ。これ以上奴らの非道を許してはならぬ、皆の者出陣だ!」


「おおおおお!!!」

右衛門の部下は武器を手に大地を振るわさんばかりの雄叫びを上げた。彼らの中には野盗により親類に害をなされた者がいる。女を犯された者もいる。野盗への憎しみと野盗を倒しこの地を平安をもたらせんとする正義の雄叫びであった。

大岩勢は野盗が潜む天伯原を目指した。


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天伯原は岡や森が手付かずのまま広がっている土地であり郷もほとんどない。南にいけば西七根、一ノ沢、小松原へ、西に行けば野依と繋がるが郷に住む人々が少ないため野盗の住処としてはうってつけだった。

土地も痩せており水も少なく野盗による襲撃で彼らは飢えていた。

そのため天白郷の一部の者が野盗になり梅田川沿いの集落を襲っていた。

右衛門はその事を知っており天白の村々に大岩村の作物を上げていたが今年は作物があまり実らず支給することが出来なかった。

「某が不甲斐ないせいで民が野盗に落ちたとなれば某も腹を切らねばなるまいな……」

右衛門は嘆息すると又兵衛は

「 殿、何をおっしゃりますか。責は殿にあらず、この地を治める名主に才がないからでありまするぞ」

「それは違うぞ、又兵衛。悪いのは土地であり名主や民のせいではない。それを吐き違いてはならぬぞ」

「申し訳ありませぬ。」

又兵衛は右衛門に謝ると、右衛門は「分かれば良い」として又兵衛の発言を許した。

右衛門とてたとえ良い才覚のある名主ひ変わろうとこの土地が良くなるには年月が経ち天下泰平となり技術が高まらない限りありえないことを知っていた。

「右衛門殿!早速参られたか!」

前方より一人の若武者が馬を駆けてきた。彼は【畔田監物】である。

畔田監物は吉田南部と渥美郡北部を治めていた土豪であった【畔田氏】の出身で大岩氏と同じく今川配下となっていた。

右衛門とは歳が近く共に戦場で肩を並べて戦った仲である。

「監物殿、野盗の数はどれほどであろうか?」

「聞き及ぶところによると四.五十は下らぬそうだ。私は精兵三十を率いできたが敵は唯の野盗では無さそうな気がする故にご城代の差配を待った方がいいかもしれぬな」

「四.五十か……。某の大岩衆より多いでは無いか。しかし唯の野盗であろうとなかろうと某と監物殿がいれば敵ではありませぬぞ!」

「左様であるか。はっはっはっ、それは失礼つかまつった!」

監物は笑い飛ばしたが、信右衛門は内心不安であった。

確かに敵がこちらを上回っていても大岩衆や畔田兵は野盗狩りには慣れており三河で今川軍の武将の下で実戦経験を重ね武勲を上げている。

いくら敵がこの地のことを知り尽くしている盗賊であろうと天伯原の地形には右衛門勢も監物勢も詳しい。

だが、戦場で強大な敵と対峙する時の不安が右衛門の内なる心に確かに存在した。


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大岩衆と畔田衆は小高い丘に陣をかまえ足軽衆20人を本陣で固めて与一、六ら忍衆を斥候とし野盗の位置、野盗の陣地及び兵糧や武具の様子、天白原の地形を調べさせた。

それと同時に畔田方の弓衆、鉄砲衆に武具を整えさせその他の侍、足軽にはいつでも打って出る準備をさせた。

与一らが 敵を見つけ次第、出陣する手筈になっていた。

「右衛門殿、敵は見つかりますかな?」

「監物殿案ずるな。与一と六ら大岩忍衆は元は伊賀者や根来の者ぞ。彼らの合図を待とうでは無いか。」

血気盛んな剣持を窘めると本陣に矢文がいられた。そこには敵の位置と敵の数そして

「敵、本陣近クニアリ。敵数60ハユフニコエユル」とあった。

「なんと!?敵はすぐそこまで来ているのか!ええぃ!者共、打って出る!」

監物は直ちに全軍に出撃を命じた。

「これ程近くにそれに早くに敵が来るとはなぁ、数では敵の方が多いがこちらは百戦錬磨の勇士揃い。好機であるな右衛門殿!」

しかした右衛門はおかしさに気づいた。

敵が近くに入れば丘の下の兵も気づくはずだ。それに与一が弓矢を本陣に向けて矢を放てば敵は気づく。信右衛門は直ぐに兵に指揮を出した。

「皆の者、敵は既に我が方を包囲している。直ぐに戦えるようにするのだ!敵がどこから来るかわからん。警戒を怠るな!」

右衛門が号令を下した瞬間、陣中に破裂音がした。

あたりは煙に包まれ硝煙の匂いが立ちこめる。

これは恐らく南蛮渡来の破裂弾であろう。

そのようなものが西国ではキリシタンや南蛮人がもたらして出回っていると聞いたことがあった。

右衛門らが爆発に惚けていると火矢が放たれそれと同時に油の匂いが当たりを包んだ。

敵は火計に出たのだと信右衛門は悟った。


「あれが大岩と畔田の当主だ、てめえら好きにやれ!」

野太い獣のようの声が陣に陣中に響き渡る。

恐らく声の主は盗賊の頭目であろう。だが煙でその姿は見えなかった。

「狼狽えるな!それでも大岩衆か!皆の者、野盗を討ち取るのだ!」

「畔田家の勇姿を今見せる時ぞ、皆の者奮起せよ!」

右衛門と監物の号令に一部の兵は従ったが皆はまだ混乱していた。

盗賊たちの声だけで陣にいる大岩衆と畔田衆を合わせた数よりも倍以上にいることが伺いしれた。

右衛門はもはやこれまでと思いながらも晴れる視界の中、盗賊を斬り捨てた。

「このままでは総崩れだ。鶴、 すまぬ。こうなることをは鶴は知っていたかもしれぬな。」

後悔しても遅いと思いながらも信右衛門は太刀を振るい4.5人の盗賊を斬り捨てた。

しかし、野盗は数が多く今度は5.6人もの野盗を斬り捨てたが多勢に無勢である、今槍を持った盗賊が4.5人がかりで右衛門目掛けて突っ込んできた。

「覚悟ッ!」

「なんのッ!野盗共が、くたばれ!」

盗賊の槍を振を交し上手く盗賊の下に入り込み脇差で盗賊を刺し更には舞うが如く太刀を振るい盗賊を切捨てた。

「キリが無いな……。」

盗賊を14人は斬り捨て息を着いた時だった。


「死ねぇぇ!!!!」


鬼のような形相をし闇雲に槍を振るう盗賊が右衛門目掛けて突っ込んできた。

「盗賊風情が!」

右衛門は刀を振るうが

「うわっ!」

盗賊の力は凄まじく槍で右衛門の太刀は弾かれた。

「とどめだぁ!」

「ここまでか……。南無三ッ!」

盗賊が持つ槍が右衛門を貫くその時だった。


ヒュン ヒュン ヒュン

多くの矢をいる音が右衛門に聞こえた。


「うぐわぁ……!」

矢を射る音ともに盗賊の悲鳴が聞こえた。

右衛門は盗賊の死体を見ると一斉に矢をいかけられていた。

矢を放たられた他の盗賊も一目散に戦線を離脱した。

「このような時に敵襲か?」

右衛門は当たりを凝らして見たものは今川軍伊東家の旗指物であった。

「ええい!盗賊を討ち果たすのだ!手の空いた者は傷ついた味方を助けだせい!」

伊東元実は馬上より指示を出すと大岩勢と畔田勢に駆け寄った。

「右衛門、監物よ無事であるか?大岩家より使いの者が来てな。 右衛門そなたの細君にして我が娘だ。」

伊藤元実が窮地に陥った右衛門達を助け出した経緯を教えてくれた。

元実らも三遠国境の賊徒を討ち果たさんと兵を率いていたところ大岩家の伝令を名乗る娘が元実の前に来た。

「伊東様、私は大岩家の仕える忍 椛にございます。こちらは奥方様より預かりし書状にござります。」

娘の急な書状とあれば見なくてはならぬのが父の勤めと「あいわかった」と書状を見るとそこには鶴の名で驚くべきことが記してあった。


「父上様、我が夫 右衛門様達があぶのうごさります。昨日の夜、観音様より右衛門達が賊の手にかかるやもしれない。しかし、彼らはこれまで命を張って大岩村を守った心持ちがよく信心深い男だ。失うわけは行かぬと託宣を受けました。

ですから父上、何卒お助けに参上してください」との書を受け取ったとのことだ。

「なんと夢枕に観音様が!?この後すぐにでも観音様にお祈りせねばな。左近様かたじけのうございまする。右衛門殿、そなたの細君にも礼を言わねばならぬな」

監物は岩屋山野方角に向けて手を合わせた。彼もまたこの時代の武士の習いで信心深い男であった。

「左様でありますな監物殿。

義父上様、誠にかたじけのうございます。このような失態面目しだいもございまする。」

伊東元実は「よいよい」と2人を責めていないことを説明すると2人に兵をまとめるように命じた。恐慌状態から抜けた兵たちは既に正気を取り戻していた。


小一時間後、陣形を整えた伊東勢、大岩勢、畔田勢は兵をまとめて二川に兵を向かわせた。

これから兵たちを労うためである。直ぐに大岩館に宴の準備をするよう使いを走らせた。

各々の侍衆や足軽は盗賊にしてやられ面目を潰された侍達は怒りに狂い復讐戦を口々に唱えていた。


大岩村より50間のところで信右衛門配下の忍 飛燕が息を切らしてやってきた。

飛燕の顔はまさに顔面蒼白に相応しく生き血を失ってるようでありまた手傷をおっているようだった。


「飛燕どうした!?なにがあった!?」

信右衛門の問いに飛燕は精一杯の声で伝えた。

「殿、一大事にござりまする!大岩郷に戸田信濃を名乗る武者が手勢を引きつれ郷を襲っております!殿の奥方と若様が行方しれずであります!」


突然の知らせに右衛門は崩れ落ちた。






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大岩右衛門五代記〜東三河の鬼武者と呼ばれた侍達 柳の下 @ooskask364

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