大岩右衛門五代記〜東三河の鬼武者と呼ばれた侍達

柳の下

序章

序 大岩右衛門の誕生

世は戦国乱世の真っ只中であり群雄たちは生き延びるために戦いを繰り返していた。

戦乱は日ノ本全てを覆っていた。

日ノ本の真ん中、三河国も例外ではなく、多くの有力国衆が互いに勢力を築きしのぎを削っていた。

三河国の東、東三河は牧野氏、戸田氏、畔田氏、西郷氏、菅沼氏と言った国衆や土豪らが争っていた。しかし、彼らの前には西三河の松平氏、奥三河の山方三方衆の手が伸びていた。

だがこれら国衆、土豪、地侍はある勢力に敗退することになる。

駿河遠江両国守護の今川氏親とその子義元が東三河に進出、東三河の国衆は次々と今川氏の軍門に降り東三河最大の要衝 「吉田城」は今川氏のものとなりいつしか今川家の重臣が吉田城代として入り今川家の東三河統治が始まった。


そんな東三河の外れにある郷 大岩村では1人の赤子が産まれた。

この赤子は後に大岩右衛門飛松輝信、号は遠近と名乗る男であった。

戦国乱世を生き延び江戸の世を生きた1人の武者の物語である。


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時は天文17年 (1548年)

三河国と遠江国の境にある「大岩村」

古くは荘園として栄え、東は二川町があり山々に囲まれ家も少なく荒地もあるが近隣には奈良時代より続く古刹 大岩寺の宿坊もあり街道沿いに面した集落であったが遠江の白須賀と吉田の中継地として重視された。

村の名士 大岩氏によって村は納められていた。

この郷を取り仕切るのは大岩右衛門信実であった。


「乱世にあり民や村は疲弊している、先祖より授かりしこの大岩を豊かにするは某の使命である」


彼はそういって田畑を耕し、治水を行い、商人を呼んで二川町の後藤氏と共に市を開かせ大岩郷と民のために朝も夜も働いた。

右衛門はまだ齢28であったが既に一国一城の主の風格があり村人からは「殿様」と民からは親しまれていた。


夏のある日、いつものように民と共に荒地を耕していた。そこに大岩家先祖からの家臣 小田又兵衛が息を切らして右衛門の元にやってきた。


「殿様! 殿様!一大事にございまする!至急、お話したい議がございまする。」



「何事じゃ又兵衛、まさか野盗が攻めてきたかのか?それとも敵襲であるか?」


伝兵衛は「違いまする」と応え次のように続けた。


「先程、吉田城代 伊東様の使者が屋敷を訪ねてきて至急、殿に会いたいと申しておりまして伊東様は酉の刻に屋敷に訪ねられるそうでありまして。如何いたしますか?」


治右衛門は突然の知らせに驚いた。


吉田城代の伊東とは今川家家臣 伊東左近将監元実(いとうさこんしょうげん)のことである。

大岩を含む東三河吉田の地の領主となり右衛門の寄親であった。

大岩右衛門家は12年前の今川侵攻折りに今川家の配下の土豪となった。

今川家従属となって以降は今川家の吉田城代に仕え忠勤に励んだおかげで今川義元の命に)り吉田城代は代々大岩家の寄親になり大岩家当主は吉田城代の寄子となる起請文を交わした。


「我が屋敷に伊東様を迎えるとはなんとめでたい!又兵衛、直ぐに屋敷に戻って皆にすぐ用意するように伝えるのだ!儂も直ぐに戻る」

「はは、御意にござりまする。」


又兵衛はそう言うと足早に去った。右衛門は百姓頭に解散を命じ伝兵衛の後に続いた。


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酉の刻 酉一つ (午後17時)

まだ、日は残っているがすっかりあたりは暗くなっていた。蛙の声が静かなる郷を包んでいた。


「吉田城代伊東左近将監様のおなーりー」


今川家の武者より発せられた大声が大岩館に響いた。

門の前には武具を備えた勇壮な武者たちが4.50名はいるだろうか?武者たちに囲まれるように籠から一際老練そうな侍が降りた。彼こそが吉田城代 伊東左近将監元実である。齢は40であろうか、今川義元より吉田城を任され程の風格が彼にはあった。門の前には既にこの館の主治右衛門が共を従え地に頭を下げ伊東左近を迎えていた、

「左近将監様、わざわざ我が館に足をお運びくださって恐縮の至にござりまする。」

礼をしている伊東は「表をあげよ」との声に右衛門に駆け寄るとその手を取った。

「大岩郷は半年ぶりであろうかの?ここは吉田にくらべ静かだがまことに良い土地であるのう、そなたの働きにより2年前に比べ栄えておるな」

尋ねられた右衛門は姿勢を崩さず笑顔で答えた。


「作用でござります。大岩は吉田を結ぶ地でありますが故に。伊東様、宴の用意ができておりますのでどうぞ中に入り下さい」


治右衛門は立ち上がると館の中に伊東左近一行を招いた。


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時刻は酉の一つ(17時)から酉三つ(18時30分)に変わっていた。右衛門は大岩の地酒と山の幸を伊東に振る舞うと大岩家の者と伊東家の者は酒に酔い大いに盛り上がっていた。宴もたけなわの頃、伊東左近から切り出した。


「時に右衛門は正室を迎えておらなかったな。」


そう言われると右衛門は恥ずかしげに答えた。


「誠に恥ずかしながら左様にござりまして……。室を迎えねば我が家は絶えると家中のものも言っておられますが何分良き話が無く」

治右衛門の歳ではあれば既に正室を迎え子ももうすぐ元服を迎えていでもおかしくないのだが、家督を継いだのか遅くなおかつ、地元の名士の娘は東三河の今川家家臣に嫁がせ治右衛門に嫁がせる娘がいなかった。


「左様か、ならば我が娘をそなたの婿にしてはどうだ?儂はそちを大いに気に入っておる。それにそなたは儂の寄子、既に父子と同じであろうが」

「勿体ないお言葉でありまする。確かに某は伊東様の寄子、しかし某は小身であり伊東様の姫君には相応しくないかと……」


突然の伊東左近の申し出に右衛門は狼狽たが伊東は盃を片手に笑いながら言った。


「そなたには二川大岩代官職を授け、儂の代わりにこの地を治めて欲しいと思うのだ。後ろ盾があればそなたも治めやすかろう」


右衛門は大それたことと思い決断に迷った。

だが要所の代官職となれば出世に繋がり大岩家も栄えるであろう、だが断れば伊東左近の心証は大いに傷つけ代官職どころか右衛門は遠ざけられ悪くしたらお家断絶の機会を与えることになる。


「伊東様、その議を受けまする。この大岩右衛門、無能子細の身をかけて姫君の婿になりまする」


治右衛門の答えに伊東左近は大いに喜ぶと


「では早速帰って婚礼の儀の支度をせねばな

らんな、今宵は良い酒を馳走になった。」

伊東左近は立ち上がると部下を呼び帰り支度を始めた。右衛門もまた家臣に命じ伊東左近を見送った。


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それから一月の後はまさに戦の如く怒涛であった。吉田城より伊東左近の娘「弓弦」が参るとのことで郷総出でこれを迎えた。この時、初めて結弦に見えた右衛門はやはり自分には相応しくないと思った。は大岩郷の素朴な村娘と違い名家に仕える武家の息女に相応しい風格と顔立ちをしていた。

腰まで届く漆黒の長い髪もまた一層清楚さを醸し出していた。


弓弦はこの時齢18、半年前に駿河の今川館から父のいる吉田城に戻った。

今川館では今川家中の娘に相応しい立ち振る舞いを学び今川家の姫や今川家当主義元の母「寿桂尼」に従って都の姫とも交流があった。弓弦は父より右衛門の話を聞いてはいたがいざ右衛門に見え挨拶をすると婿とする男は父から話を聞く勇ましい武者というよりは没落した家の若旦那に見えた。弓弦は大岩郷から吉田城に帰るおり侍女の紫に気持ちを話した。

「治右衛門殿は鬼武者と父より聞いていましたがそうには見えませぬ。妾は各地で今川家や他家の猛者と呼ばる男たちを見て参りした。少し頼りない気もしますが伊東家の娘として妾はあの方を支えたいと思いまする。

紫はこの弓弦の乳人であり弓弦が最も信頼している人物であった。紫は10も上の男に嫁ぐ弓弦の気持ちを察していた。

「姫様のように才気あふれるおなごの婿となる右衛門様は幸運であられます。私も姫様と共に大岩郷に参ります故に心配なさらず」

その言葉にお春は不安になりつつも笑顔で頷いた。


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大岩右衛門と弓弦の婚儀は吉田城で盛大に執り行わなれた。

伊東左近譜代の家臣や東三河の今川家従属国衆が婚儀に駆けつけ右衛門春夫妻を祝った。

祝辞を述べた者の中には三河国今川家一門衆 鵜殿長照、遠州今川氏一門衆 飯尾連龍 舘山寺の大沢氏の姿があった。大沢氏は公家と血縁関係にあり遠州国衆の中でも最も家格の高い家柄である。大沢氏は弓弦の母方の実家であり高貴な振舞をみにつけているのは大沢氏の生まれだからであるからだ。

更に今川義元や寿桂尼の使者や今川家の同盟相手 北条氏の使者や都の公家の使者も右衛門夫妻に祝いの言葉を述べた。

吉田城で一日中宴をした後は大岩郷に戻り郷中で宴と祭りが催された。

夜も深くなり皆が酒に酔い眠ると宴の一息が着いた右衛門と春は屋敷の寝室にいた。

「弓弦殿、大岩郷は吉田に比べ騒がしくはないですか?」

他人行儀に春に尋ねた右衛門はまだ夫婦になった実感がなかった。

「いえ右衛門様、私は右衛門様の嫁になれて嬉しい限りにござりまする。何卒これからもよしなに……」


まだあどけなさが残る娘を見た治右衛門は弓弦を傍に呼び寄せ夜を越えた。


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時は天文十八年(1549年)、春と結婚して1年が過ぎた。

右衛門は岩屋山の麓にある大岩寺に参詣していた。大岩寺は大岩家の菩提寺であり月に一度、右衛門は先祖の供養をしていた。

いつもは弓弦も連れ添っていたが今宵は春の体調も優れず屋敷で養生をしていた。

参詣を済まし帰り支度をしていた治右衛門の元に又兵衛が駆けつけた。

「殿様、大変にございます!奥方様にお子が産まれました!立派な男子でござるそうです!」

知らせを聞いた右衛門は大いに喜んだ。

「男子であれば世継ぎになるな。しかし突然のこと故に名を決めておらなんだ。果てさてどうしよう」

狼狽える治右衛門に傍にいた大岩寺の住職 大巌寺日舟(だいがんじにっしゅう)は答えた。


「幼名は飛松とすると良いでしょう」


「飛松とは良い名であるな。日舟殿ありがたとうござりまする。」


この赤子は大岩飛松と名付けられた。

右衛門はまだ知らなかった、この赤子は後に今川家、徳川家と仕え「大岩の鬼右衛門」と呼ばれる男となることはまだ誰も知らなかった……



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