歌い手のいないラブソングをあなたに
阿誰青芭
歌い手のいないラブソングをあなたに
「おはよう、凪くん!今日はちょっと冷えるね」
朝川
彼女とは2年に上がったときに初めて同じクラスになった。第一印象から「元気」な女の子だった。こんな静かな僕にも毎日話しかけてくれる。
最初はうまく返せなくて申し訳ない気持ちばかり積もっていったが、最近は彼女にもうまく伝えられるようになってきた。今では彼女と話をすることが僕にとって一日の中で一番の楽しみになっている。
「あっ!そうだ、凪くん。今日の宿題ってもうやってある?」
僕は頷く。
「ほんと!?じゃあ、お願い!今日だけ見せてくれない?ジュース奢るから!」
彼女は手を合わせて上目遣いで僕を見つめる。
今日だけ、じゃないだろ?と僕は笑顔で返す。
「凪くん、ありがとう!」
彼女はそう言いながらピョンピョン跳ねている。僕は彼女のこういう感情をまっすぐに伝えてくるところに惹かれたんだ。
「じゃあお代は先払いということで。どれにする?」
彼女は正面玄関横の自動販売機の前でこちら振り返る。
どれにしようか、コーラもいいけどコーヒーも捨てがたい。
悩んでいると僕は鞄がいつもより少し軽いことに気がついた。これはもしやと思い、鞄を覗く。
やっぱりか、水筒を持ってくるのを忘れた。
僕は仕方なく自動販売機の緑茶を指さす。
「緑茶ね、了解。ねぇ凪くん、今日も水筒忘れたんでしょ。やっぱり?意外と凪くんっておっちょこちょいだよね~」
宿題を忘れまくる人には言われたくない、目を細めて彼女を見つめる。
「ごめんってば、そんな目で見ないでよ。今日はお互い様でしょ」
こんなたわいもないやり取りが僕にはどうしようもなく愛おしい。
特にここ数日は彼女のことばかり考えている。
朝、思い浮かべる明るい挨拶。
休み時間、この両目は君を中心に捉えている。
寝る前、まぶたの裏には君の笑顔。
これは恋なのだと自覚した。
最初から好意が無かったと言えば嘘になる。でも、そんなものは抱いてはいけないと思っていた。彼女はいつも一人だった僕を気遣ってくれているのだと、それを好意だと勘違いしてはいけないと思っていたはずなのに。
彼女を前にすると気持ちが抑えられなくなる。
今すぐ大声で好きだと叫びたい。でも、僕にはそれができない。
放課後、傾いた日差しだけが差し込む教室で今日も僕たちは話をする。
僕たちは休み時間に話すことはめったにない。僕はいつも机に一人、彼女の上下する肩を後ろから眺めているだけ。
だから僕にとって朝と放課後は彼女を独占できる唯一の時間なのだ。
彼女が隣の席に座り、楽しそうに話をしている。たまには僕から話を振りたいのだけど、うまく言葉が出ない。伝えたいことはたくさんある、でもそれは心の中から出ていくことなく積もり積もっていくだけ。
僕も彼女みたいに自分の感情を素直に伝えられたらいいのに。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
気づけばもう日が沈みかけていた。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。これから寒くなっていくにつれてこの時間はますます短くなってしまう。
僕は重い腰を上げ、彼女と一緒に校門へと向かう。彼女の家と僕の家は真反対なせいで帰り道に話すことはできない。
家まで送るよ、この言葉がすっと出てくればこの問題も解決するのだけど。やっぱり僕にはできそうにない。
「また明日ね!」
彼女は別れの挨拶まで元気だ。僕はいつも、離れていく彼女の背中を見つめてしまう。普段は振り返ることなく歩いていくのに今日は振り返ってくれた。彼女は僕を見て笑い、大きく手を振ってから再び前を向く。
彼女が角を曲がり見えなくなってから僕も家へと向かう。
僕のこの想いを伝えたい、どうしたら伝わるだろうか。一番シンプルな、言葉で伝えるということが僕にとってはとても難しい。
ラブレター、いやこれは駄目だ。朝も放課後もいつも一緒だからラブレターを入れる隙が無い。隙が生まれるのを待っていてはいつになるかわからない
となると、もう残すはラブソングくらいか。歌の無いラブソングで彼女に僕の想いが伝えられるだろうか。
結局、家の前までひたすら考えてもラブソング以外の案は出てこなかった。
部屋に入って隅にあるアコースティックギターを握る。適当に弦をはじくと気の抜けた音が鳴った。
久しぶりに触ったからだいぶ緩んじゃってるな、チューニングしなおさないと。
一音一音、丁寧にチューニングする。僕には絶対音感があるらしく、チューナーを使わなくてもチューニングができる。これはちょっとした自慢だけど彼女にはまだ教えていない。教えたらどんなリアクションをしてくれるだろうか。
調整を終え、適当にコードを鳴らしてみる。チューニングのあったギターの音は心地よく部屋に響く。僕は教室で彼女にラブソングを弾く自分をイメージしてみる。
秋の夕暮れが差し込む教室は涼しくて、二人だけの教室にはギターの音色がよく響いている。僕は目をキラキラさせて見つめる彼女の前で、心を込めてラブソングを弾く。伝わらないかもしれない、そんなことを思いながらも弾き続ける。弾き終わった後、一瞬の沈黙の後に彼女は何と言うだろうか。
イメージすれば自然と曲ができてきた。何を彼女に伝えたいか、どうすれば伝えられるか、僕の心は答えを知っていた。
それからしばらく夢中で弾き続けた。母が晩ご飯だ、風呂だと言っても手は止まらない。音が言葉の代わりに僕の気持ちを伝えてくれる、そんな気がした。
夜がすっかり更けた頃、粗削りながらも曲が完成した。ギターだけじゃなく腹も鳴っていることにそのとき初めて気づく。そんな空腹感とは裏腹に僕の心は達成感で満ち溢れている。
誰かを思って弾くギターがこんなにも楽しいとは知らなかった。
歌のないラブソング。ギター一本で僕の気持ちを彼女に届けられるだろうか。
ふと時計を見ると午前二時。明日寝坊しては元も子もない。僕は急いでシャワーを浴びて、布団に入った。
明日、彼女にこの気持ちを伝える。君が好きだと伝えるんだ。
あれ?待てよ。明日じゃなくて、もう今日か。
ギターケースを背負い登校する運命の日。そんな日でも彼女のあいさつはいつもと変わらず元気だ。
「おはよう!背中に背負ってるのはギター?何かするの?」
秘密、僕は人差し指を立てて口に当てる。
「え~なになに気になる~。ていうか凪くんギター弾けたんだね?」
僕はちょっと自慢気に頷く。絶対音感もあることはまた後で教えよう。
「じゃあさ、放課後聞かせてよ。ダメ?」
今日も今日とて上目遣い。
そんなこと言われなくてもそのつもりさ。僕は彼女に笑顔で返す。
「やった!楽しみにしてるね。あとでやっぱり嫌とか言わないでよね」
放課後が早く来てほしいような、永遠に来なくてもいいような。
僕の心は高揚感と緊張感でいっぱいだった。
今日の古典の授業ではちょうど和歌をやっている。和歌には恋を詠ったものが多い。直接伝えられない恋情を詩に乗せて伝える。詩は無いけど直接伝えられないという点では僕も同じだ。
彼らの恋情はちゃんと相手に伝わったのだろうか。遠回し過ぎて伝わらなかったなどということはないのだろうか。
僕の想いは伝わるだろうか。
だけど物思いにふけっている時間はもうない。
六限目終了のチャイムが教室に鳴り響いた。
教室から一人、また一人と生徒が出ていく。そのたびに少しずつ教室が静かになる。
二人きりになったとき、僕の耳は自分の鼓動の音だけを捉えていた。120BPM、心臓が激しく脈打っている。手も少し震えている。これから僕は人生初めての告白をする。
「じゃあ凪くん、聞かせて」
彼女の声で心を落ち着ける。震える手をグッと握りこみ、脱力する。
右手で軽く弦に触れる。大丈夫、心を込めるんだ。
あなたのためだけに僕はこの曲を弾く。
昨日考えたフレーズはすっかり両手に馴染んでいた。
一音鳴るたびに彼女への想いが強くなる。
彼女の笑顔、声、仕草。そのどれもが僕の恋情を掻き立てる。僕の恋心を伝えたい。直接言えなくても君に好きだと伝えたい
一節進むたびに彼女との思い出がよみがえる。
初めて話しかけてくれた春の日。一緒にテスト勉強をした放課後。君の好きなアーティストの話。今日は宿題やってきたよと自慢げな顔。今日、ここまでの全部が僕の心の中に残っている。
一曲終わるとすべてが零れ落ちていた。
彼女への恋心も感謝も憧れも思い出も、その全てをこの曲に捧げた。
顔を上げると彼女は涙を流しながら拍手をしていた。二人だけの教室に拍手の音が響く。
「ごめんね、聞いてたらなんか感動しちゃって。凪くんすごいね。この曲は誰の曲なの?何回も聞きたくなっちゃったよ」
僕は首を横に振った。
「どういうこと?」
僕は自分を指さす。
「もしかして、この曲凪くんが作ったの?ほんと?めっちゃすごいじゃん。それで、曲名とかあるの?」
僕は鞄からノートを取り出して書いた。
『君が好きです』
これは声を出せない僕の告白。
歌い手のいないラブソング。
歌い手のいないラブソングをあなたに 阿誰青芭 @Asui-Aoba
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