強い正義は僕を蝕む

多賀 夢(元・みきてぃ)

強い正義は僕を蝕む


「――何トロトロしてんだよオメエ!!」

 僕は、100円ショップの店員を怒鳴りつけていた。

 とにかく、この店員は動作が鈍い。男のくせに女のような高くか細い声だし、挨拶も僕の顔を見ないし小銭の渡し方もスマートではない。

 入ったばかりのアルバイトのようだが、躾がまったくなっていない。

「す、すみ、ませ……」

 おどおどする相手に、さらに怒りが沸いた。

「あ!? 聞こえねえわ!!店長出せやコラ!!」

 更に詰め寄る僕の腕を、誰かがぐいっと引いた。

 誰だと思ったら早紀だった。俺の彼女だ。彼女は目いっぱいの笑顔で僕の顔を見上げつつ、腕を絡めてそのまま引っ張った。

「はいはいお兄さん、怒らないでね~」

「だってこいつの躾が」

 彼女は俺の講義をまるっと無視した。

「店員さん、こいつがごめんなさいね? ほらほら信也行きますよー」

 俺は早紀に押し流されるように外へと連れ出された。呆気にとられる僕に、早紀が冷たい顔で振り向いた。

「あんた、何やってるの」

「ああ? 店員がアホすぎるから、教育してやっただけだろうが」

「あんた、自分で自分の言っていることわかって――」

 早紀はそこで口を閉じた。じっと僕の目をのぞき込み、小さく「まさか」とつぶやいた。


 僕はその翌日、早紀に精神科に連れていかれた。

 彼女の弟と同じ症状だったので、怪しいと思ったそうだ。

『双極性障害1型』という診断がついた。

 そこからは地獄のような日々で、僕の『大人』らしい意志は壊れていった。






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「しーくんは、まだ子供だから駄目よ」

 そう言って母は、僕からあらゆる物を遠ざけた。

「しーくん、あんな乱暴なオコチャマと話しちゃいけません」

 そう言って母は、僕からあらゆる人も遠ざけた。

 事あるごとに僕を抱きしめ、頭を撫でながらゆっくりと諭した。

「しーくんは頭がいいんだから。もっとお勉強したら、きっとたくさんお金を稼ぐ大人になれるわ。そうしたら、お父さんもお母さんも、いっぱい褒めてあげるから」

 褒められるなどなかった僕は、その言葉を金言として信じた。


 しかし家は貧乏で、とても大学には行けなかった。

 大卒でなければろくな仕事がないと知ったのは、高校二年を過ぎた頃だ。

 現実を知って自棄になった。警察のお世話にもなった。親は僕を見捨てた。

 僕は、生まれた時から底辺だったことを嘆いた。僕からあらゆるものを遠ざけて、褒められる資格の一つも与えてくれなかった親を恨んだ。


 高校を卒業してからン十年。

 この社会には、どうあっても揺るぎない尊い教えがある。

 一つ、どんなに学歴があろうとも、年齢が上の者が偉い。

 二つ、どんなに貧しい人間であろうとも、お客様は店員より上。

 三つ、男らしい強さは正義。

 この3つの常識を胸に、僕は一人で社会を渡り歩いてきた。最初は、僕の正論に黙る人は多かった。言ってやったという快感は、正直少しクセになった。自分が社会秩序の役に立っているという自負が、自分自身を支えていた。


 突然、母が危篤という連絡が兄から入った。

 ところが、駆けつけてみると母はピンピンしていた。

 母は僕を見ると顔をしかめ、そしてため息を盛んについた。

「貧乏がしみついたような恰好をして。あんなに賢い子だったのに、なんでもっと頑張らないの」

「お母さんは、あなたに期待していたのよ。あんたは賢いから、いい会社に入っていいお給料もらって、いいお嫁さんをもらってかわいい孫もできるって期待していたのに」

「で、今いくら仕送りできるの?」

 僕は、生活がギリギリでいくらも渡せないと答えた。

 母はさらに眉根を寄せて、汚いものを見る顔になった。

「お母さん、あんたをそんなクズに育ては覚えはないわよ」

 年上の言葉は絶対である。

 僕は、金を渡せない自分に幻滅した。

 クズという言葉が胸に刺さった。

 そのあたりから、僕は重く苦しい何かを背負っているように感じ始めた。



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「しにたい、ねえしにたい」

 医者に渡された薬を飲むようになってから、僕の口癖は『死』になった。

 そのたびに、俺の早紀が俺の首根っこを掴んで寝床に放り投げる。

「無職なんだから、せめて大人しくしなさいよ」

 優しかった早紀は豹変していた。冷たく、優しくない。彼女だけではない、世界全てが僕を指さし罵倒しているようだった。

「さきは、ぼくのこと、きらい?」

 薬を飲むようになってから、舌も頭も回らなくなった。おねしょやおもらしもするようになり、僕は幼児になっていた。

「死ぬ死ぬ言う馬鹿は好きじゃない」

 躊躇いもなく返答されて、僕はぼろぼろと涙を流した。こいつにまで嫌われたら、僕は死ぬしかない。

「泣いたら許される思ってるのも好きじゃない」

 僕は慌てて涙を拭いた。だけど、次から次からしずくが垂れてくる。

「――そういう受け身な態度も、そのくせ正義漢ぶるところも、なんでも他人のせいにするところも、人の話を聞かない態度も好きじゃない。だから病気になったって事すら理解できていない、その逃げる姿勢も好きじゃない」

 早紀は布団に転がる俺を仁王立ちで見下ろし、ふと考える顔をして傍らに座った。

「好きではないけど、でも嫌いじゃあないよ。今の信也って本当に面倒だけど、だけど寂しがりやで繊細なところは変わってないし、私はそこが好きだもの」

 結局面倒なんじゃないか。しかも寂しがりやとか繊細とか、強い男らしくないぞ。

「でもぼく、クズだよ」

 早紀は僕の頭を小気味よくはたいた。

「この世にそんな奴おるかいな。常識じゃ常識」

 じゃあトイレ行く、と離れる彼女がむやみに怖くて、僕は泣き喚いた。見捨てられるのが怖い、役に立たないと言われるのが怖い。自分でも異常だとは思うけれど、この恐怖に抵抗するすべがない。

 早紀が戻ってきて、僕の頭を優しく撫でた。

「今はとことん眠りなさい。それしか方法はないから。何が正しいかなんて、一切考えなくていいから。」

 僕は、手のひらの暖かさを感じてすぐ眠くなった。それでも、正しいことが正しいのは常識じゃん、と突っ込みを入れながら。でも特例があるのかななんて、ちょっと悩んだりしながら。

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強い正義は僕を蝕む 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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