IF

哀を込めて

その日は穏やかな昼下がりだった。

いつものように、一本桜の木の下で意味もなく図書館で借りた適当な本に目を通していた。何回目の春を過ごしたのかもう随分記憶も薄れてきた。

この街にも随分と長く住んでいる。


変わらない唯一の空を見上げながら今日はどうしようか、と考え込む。

桜がひらひらと風に吹かれて花を散らしていく。

眩しいな、太陽の光に目を薄く閉じて視線を下げる。


そこで一人の少女と目が合う。


───、息の根が止まるかと思うほどの衝撃が心臓を襲う。

誰だろう、知らないけれど随分と懐かしい、ような気がする。

海のように深いあの青い瞳をどこかで……。

思い出そうと少し頭を巡らせてズキリズキリと頭痛がして少しうめき声を漏らした。

そんな僕に少女は駆け寄ってきた。


「大丈夫?」

「え、あぁ…うん。大丈夫、えと、ありがとう」

「いーえ…あ、これいる?大通りの自販機で買ったやつだし開けてないから危ないものじゃないよ!」


少女は人懐っこい花の咲くような笑みを零しながら背負っていたリュックサックから一本のお茶を取り出し、僕に差し出した。

それを受け取って、キャップを開ける。少し硬いキャップは確かにまだ開けられていないことを物語っていた。

一口、お茶に口をつけて飲む。冷えたお茶が喉を通り過ぎていく。

気が付けば頭痛も収まっていた。


「ありがとう…えと」


知らない少女の方を見る。

少女は一瞬曇ったような表情をするも、それも一瞬で消え失せてまた先ほどのように笑みを浮かべた。


「私は華、君は?」

「僕は…音無」

「そう、音無くんっていうんだ。もう頭痛は大丈夫?」


少女は、慣れたような、自然な感じで僕の横に座った。

隣に座られて距離も結構近いのに、一切の嫌悪感や緊張感を感じない。

僕はここまで、他人に興味がなかったのだろうか、と少しモヤ付いたものが心をざわつかせるがそれも一瞬で収まった。


「あぁ、大丈夫だよ。ありがとう華…さん」

「華でいいよ?」

「…ありがとう華」

「うん、それでこそだね」

「…?」

「こっちのおはなし!私この辺に住んでてさ、今春休みで暇なんだ~よかったら私と一緒に遊んでくれない?」

「…え、いや…なんで僕?友人とか」

「居るけど、音無くんフラフラしてそうだし放っておけないじゃん?あ、いや?」

「…嫌とかではないけど」

「じゃぁいいってことだよね?」


有無を言わさぬ、というべきか。

それ以上に圧を感じたものの、どこか気になるのは僕も一緒だった。

懐かしいようなほの暗いような心臓を締め付ける謎の痛みに首をかしげる。

華は、僕の顔をみてなんども嬉しそうに笑っていた。

なんでだろう。

華の笑顔、やっぱり懐かしい気がする。

ぼーっとその笑顔を見ていると当たり前だが目が合う。

華は首をコテンとかしげる。犬みたいな仕草に少し笑ってしまった。

不思議そうに僕を見ているその視線も特別嫌には感じなかった。


「変なの!」

「君もだろ…」

「まぁまぁ…でも、嫌じゃないならまた明日会いに来るね~!約束!」


そう言って華は小指を差し出してくる。

この年にもなって指切りか、微笑ましさにまた少しおかしくなる。

華は急かすような表情でじーーっと僕を見てくる。

その視線に急かされながらきゅっと小指を結んだ。


「ゆーびきり、げーんまん、うそついたらー…」


華が子供のような愛らしい声で約束の歌を口ずさむ。


脳裏に、ザザっと壊れたテレビのように砂嵐の中で行われる再生のように

一瞬なにかの映像が浮かんだ。

一瞬のことでよく見えなかった、でも、なにか…

華は、歌っている。


強く風が吹いて、桜の花びらを空へ誘い舞い上げた。


「──────…」

「え…?」


約束の歌の最後、うそついたら…の罰ゲーム。

針千本…とは別の口の動き。

でも風が強くて小さな歌はかき消されて攫われてしまった。

桜の花びらが待ったせいで華の表情が一瞬見えなかったが、ひどく、哀しい顔だった気がする。


しかし、次に華を見たときにはさっきみたいな哀しい笑顔じゃなくて人懐っこい笑みだったので少しほっとしたような気持ちになった。


「じゃぁ、また明日来るね。音無くん」

「あ、あぁ…また…」

「お昼に!」


そう言って、華は路地裏に足を進めてその姿を暗い場所におさめた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

音色 YOU @YOU10N

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ