10.思う事

 カクヨムコンはやはり肌に合わないのか、それだけを目指すと碌な作品にならないですね。

 カクヨムに参加しているのに、このお祭りに乗じないとは……と思うのですが、どうも宜しくない。

 ただ、短編をいくつか書き上げられそうな状況なので、長編は一本に絞りそちらに注力したいです。


 さて、エッセイと言う奴は読むのは良いが書くのはどうも良くない感じです。

 私はやはり、小説を読んで貰う方が何倍も嬉しいのです。

 小説の在り方とか、書き方とか、思想とか語るのは他者に任せ、ひたすらに小説を書いていきたい。

 そして、読んでいきたいものです。


 ただ、思う事はあるのです。

 私が培ってきたオカルト的、ないしは軍事的な知識が誰かの創作の役に立ったら嬉しい、と。

 ただ、私も持つ知識は古い物で、きっとそのまま鵜呑みには出来ないのです。


 「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」の著者、大木毅氏がツイッター上でつぶやいていた言葉があります。

 今の若い人は良い、一次資料が読む気さえあればすぐに読むことが出来るのだから、と。

 その言葉を読み、私はつくづく思いました。

 翻訳された本を待つことなく、洋書を取り寄せることなく読むことが出来るインターネットは凄い物だと。

 事実、カエサルのガリア戦記ラテン語版を独力で翻訳した人や、米軍の戦闘教義を要約してくださる方などツイッター上には幾らでもいました。

 なるほど、私は既にロートル、真に勉強したい人にとっては私の知識など古いだけで物の役には立つまいと判断した訳ですが……。


 それでも、この年末年始に考える事があり、勉強の最初の取っ掛かりにでもなれば、独学でしかも古臭いとは言え蓄えていた知識も意味がある物になるのではと思い立ったのです。

 ですから、個人的な事を語る今エッセイはこれで最後にします。

 私の仕事や生活など、私が語る意味を見出せないのです。

 それよりも、誰かの創作の役に立つ知識を書いた方が何倍も有意義ではないか、そして私が感銘を受けた、衝撃を受けた作品を紹介していく事で私自身の嗜好性を晒す方が良いのではないかと、そう考えました。

 

 私は私個人の事は作品を通して感じてもらうだけで良いのです。

 ただ、キロールという作者はこういう物を書くのだ、いや、こういう物を書くのはあいつだけだと言わしめたいとひそかな野望を持っています。

 こんな文体は、こんな話の筋を書く奴は誰だ? あ、やはりキロールか。

 そう言われたいのです。


 叶わぬ夢かも知れませんが、とはいえ、書かないという選択肢はない。

 私よりはるかに若くても、もはや書けない方を知っている身としては、書かないという選択肢は持ち合わせていません。

 書けなくなるその日まで、私は書いていきたい。

 そして、その日まで、いやその日以降もカクヨムがしっかりと機能するサイトとして在ってくれれば良いと心から願っております。

 

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小説を書く日々、書かない日々 キロール @kiloul

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