第5話

 その晩だった。

 風呂上りに「部屋で着信音が鳴り続いていた」と母親に言われ、菜月は自室へ戻ると、ベッドに放り出したスマホを手に取った。

 穂乃果からだった。数分おきに十回ほど連続して履歴が残っている。

 胸騒ぎがした。躊躇いがちに電話を掛け直すと、コール音が一回鳴り終わらないうちに、向こうと繋がった。

「あんた何したの!」

 出し抜けに怒声を浴びせられ、「え」と詰まった声が漏れる。

「唯から言われたの。『ようやく悲願が叶った』って。あんた一体、何したの!」

「何って」唐突に唯の名前を出され、菜月は戸惑いを隠せなかった。「……私は心春を呪ってしまったから、どうすればいいか考えたの。それで思い込みで体調不良を起こしたんじゃないかって。だから確認するために唯にうつして――」

 言い終わらないうちに耳元に爆音が響く。どうやら穂乃果がスマホを叩きつけたらしい。しばし静寂する。ことりと音がした後、恐ろしく長い溜息が聞こえた。

「……もう終わりよ」

「穂乃果、何を言われたの? 落ち着いて話して」

「……全部唯の計画よ。私は脅されてたの」

 唯の――。菜月は部屋が僅かに暗くなったような錯覚を覚えた。

「春休みに突然うちに訪ねてきて、私にこう言ったの。『私はあなたたち四人が嫌い。だから鏡を使って呪おうと思っている』と。そんな馬鹿げた話、信じられるわけない。だからそのときは断ったの。でも――」

 穂乃果は嗚咽し始める。

「……証拠として、手始めに家族を殺すと言われて」

「まさか」

「そう。お祖母ちゃんは何の持病も無かったのよ。あの夜も、楽しそうに会話しながら晩御飯を食べてたのに……。力を見せつけられて、私は従わざるを得なかった。ポーチを漁って、鏡の噂話をして、最初に凜を呪うよう言われた。唯は言ったわ、『あなたたちを呪い殺したいとまでは思ってない』と。鏡の呪いは強くないから、心配しなくていい。少し苦しむ姿が見られればそれで満足だ、って。でもそれは嘘だった」

 急に、向こうの音声にノイズが走り始めた。

「……唯は……知っていた……黒鏡で……」

 部屋が暗くなった。気のせいではない。菜月は立ち上がり、部屋の外に出ようと入口へ身体を向けた。

 ――扉が、ない。

 全身が痺れたように痙攣する。家具は全て普段通りの自室に変わりないが、何故かそこにあるべきドアがなく、のっぺらぼうの白壁になっている。

「……鏡……繋げて……別の……界へ……」

 呼吸が早くなる。あまりの息苦しさに深く呼吸すると、さらに空気を欲しがって、溺れたように浅く喘ぎ、手が空を掴んで藻掻く。

 ――穂乃果から始まった呪いではない。

 暴れる身体とは裏腹に、思考は鮮明だった。

 ――唯から始まり唯に戻った。繋がった、のだ。

 窓際のカーテンを毟るように開け放つ。そこに置いてあった鏡は跡形もなく消えていた。

「……何もかも、見え透いて、面白くない」

 ふと菜月は呟いた。――最初から私たちのことなんて眼中になかったんだ。

 痺れて硬直していく身体を床に横たえる。菜月は闇に包まれていく自分の身体を、ぼんやりと上から眺めていた。


 K団地に警察車両が押し寄せたのは、翌午前十時過ぎのことだった。八時頃からおよそ一時間に寄せられた五件もの通報――そのどれもが同じ団地、同じ内容という奇怪さに、駆けつけた熟練の警官の間にも異様な緊張が走っていた。

 連日にわたる捜査の末、五人の少女の失踪、という結論が導き出された。誘拐や集団での家出、自殺といった線で捜査が進められていたが、彼女たちの身体はおろか、部屋から出た痕跡すら見つけられないまま、時間だけが虚しく過ぎた。

 残された家族にはマスコミが押し寄せた。だが忽然と消えた我が娘に、悲しみさえ湧き出す機会を与えられなかったようで、ただただ呆然と質問に答える姿が報道されていた。

 一人の少女の部屋から、怪しげな道具や書籍類が発見されたことにより、一部のマスコミやネット界隈では、神隠しだとか呪術による人体消滅だという噂が囃し立てられたが、そんなものはない、と正論で圧し潰されると、じきに熱は失われたようだった。

 五人の少女の部屋に、一様に割れた鏡が置いてあったことが、何かの暗示だと熱心に訴える家族もいた。しかし、捜査が打ち切られると共に世間の関心は消え、もはや彼ら自身の内にも諦めの念が湧き出し始めていた。

 娘の遺した唯一の手掛かりは割れた鏡だけ――彼らはそれを、ふと思い出しては眺め、娘がそこにいるかのように懐かしむのだった。

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うつし鏡 小山雪哉 @yuki02

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