赤い糸を手繰り寄せるなら、こんな風に

人生

気付けば絡まり解けない、さながらそれは蝶のよう。




 ストーカーでもされているのかな、と思った。


 しかし、それはない。だって俺はごく平凡な高校生。通う学校も比較的近所にある普通の共学だ。偏差値もさほど高くないし、入ろうと思えば誰でも入れるような、そんな庶民のための学校に通う、正真正銘の一般市民である。


 一方その子は――振り返るとたいてい俺の後ろの方を歩いている彼女は、近隣でも有名なお嬢様学校の制服を着た、思わず二度見してしまうほどに可憐な女の子なのだ。

 美人だ。可愛い。お嬢様と聞いて浮かぶイメージをそのままこの世界に描写したかのように、俺の知る現実とはあまりにかけ離れた幻のような存在。


 だってほら、まず手提げ鞄を両手で、体の前に持って歩いている。そんなのアニメや漫画のお嬢様くらいでしか見たことがない。絶対歩きづらいし現実的に考えて非効率なのだけど、とても絵になる様になる。姿勢正しく歩く姿はまさしく百合の花。


 百合……そう、「お姉様」とか後輩女子に呼ばれてそうな、そんなお嬢様学校に通う美少女と、だ。


 登下校、なぜか一緒になる。


 いやまあ、彼女の家が近くにあって、目指す場所がバス停なのだから必然的に道中一緒になっているだけなんだろうけど。


 そんなことが毎日続けば、俺に気があるのかな、なんて――それこそストーカーみたいな発想が浮かんでしまうわけである。


 この話を家族や友人にすると一笑に付されるし、なんなら昔からの親友なんか、俺の方が登校時間合わせてるんじゃないかと疑う始末だ。

 俺が時間を意識してないといえば嘘になるが――それでも、本当に、俺はそんなストーカーじみた真似はしていない。

 一緒になるのは本当に偶然なのだ。


 たまたま、生活リズムが似通っているだけだろう。一般的な十代の学生ならみんなそうだと思う。同じ時間帯に目覚め、ほとんど同じ時間に家を出る。だって学校があるのだから。それがかちあっただけのこと。

 そういうことに運命だなんだというロマンスを感じるなら、毎日ほぼ一緒に家を出る隣の家のおじさんとも赤い糸が繋がっていることになる。


 そんなわけで――気があるのかな、なんていう妄想をしながら、俺は毎朝彼女と一緒に登校し、同じバスに乗って、違うバス停で降りる。


 別に、妄想するのは自由だ。しかしそこまで夢は見ない。俺は現実を、自分の身の丈を弁えているし――何より、俺には他に好きな女の子がいるからだ。


 その子は身近にいて、俺にも手が届くといったら相手に失礼だが、例の彼女よりもよっぽど親しみを覚える相手なのだ。


 そんな相手と付き合うことが出来たのもつかの間、



「ごめん――あたし、今度引っ越すんだ。だから……別れよ?」



「え……? 引っ越すって――いや、別に、別れなくたって――」


 今の時代、スマホでいくらでもやりとりできるし。遠距離恋愛っていうのもなんだかロマンチックじゃない?


「海外なの。お父さんの、その、仕事の都合で。あ、あたしだけ残るとか、お父さんだけ引っ越すって話もあったんだけどさ――あたしの家、そんな裕福じゃないし、お父さんのことも心配だし――」


「…………」


「そ、それに……いい話なんだよっ。海外に飛ばされたとかじゃなくて、栄転なの。でもいろいろ責任とかあるから……お父さんも苦労するだろうし。家族で支えなきゃって……」


 ……本当に申し訳なさそうに、彼女は事情を説明してくれた。

 本当に良い子だと思う。やっぱり俺は彼女が好きなのだと自覚する。

 でも、だからこそ、そんな顔をしてほしくない。


 別れるべきなんだろう。そうした方が、彼女の気がかりもなくなって、心が軽くなるというのなら。


 ……お金があればな、と思った。


 たかが高校生の恋愛だと人は言うだろう。でも、好きな人と一緒にいたいという想いは大人にも負けていないと自負している。

 俺にお金があれば、彼女だけこの街に残してあげることも出来たかもしれない。うちがもっと裕福だったら……そう、ルームシェアとかしてさ。それならもう、ただの学生の恋愛では終わらない。将来的には――なんて。


 終わった恋を振り返る日々。

 元気を出せよ、と周りは言う。

 ひとの気も知らないで、と俺は周りと距離を置く。


 もう恋なんてしないだろうと傷心に浸る――彼女のいない学校へと向かう、ある日のことである。




                  ■




 バスが止まる。

 後ろの席に座る、名前も知らないお嬢様がそこで降りるのだ。


 ふだんなら、それはなんでもない一瞬のことだった。

 俺の横を通り過ぎる、彼女の髪がふわりと香る。

 そのまま過ぎ去って、彼女がバスを降りる――


「あの、」


 その日、なぜか彼女は立ち止まった。


 声をかけられたことに、すぐには気付かなかった。

 そもそも彼女の声であると分かるまでにも時間がかかった。

 遅れて顔を上げると、はじめて彼女と目が合った。

 視線の触れあいはそれこそ一瞬で、まず彼女が目を逸らし、俺は視線をそれに向けた。

 彼女が、ハンカチを差し出している。


「……良かったら……」


「え……?」


 言われて、気付く。

 いつの間にか俺は、涙を流していたのだ。


「ど、どうも……」


 俺がハンカチを受けると、彼女はそそくさとバスを降りていってしまった。


 気を抜くと指のあいだをすり抜けていってしまいそうなほど、そのハンカチは薄く滑らかだった。


 ……絶対これお高いやつだよ。庶民の涙を拭いていいものじゃないよ。俺にどうしろっていうんですかお嬢様。




                  ■




 このハンカチをどうしよう、と俺は友人に相談した。


 返すついでにデート誘えよ、と友人は応える。

 昔のことは忘れて、新しいことを始めるべきだと周りは言うが、俺にはそう簡単に割り切れない。


 しかし――いつもすれ違うだけだった彼女から、ハンカチを渡されたこと。

 傷心の俺にとって、その優しさは深く沁み込んだ。涙に濡れたティッシュがぐちゃぐちゃになるくらい。


 元気出せよ、と前にもきいた台詞。

 今日は気分転換に遊びにいこうぜ、と友人たちは俺を励ます。

 彼らの俺への接し方はどこか不自然で、気を遣わせてしまっていることが実感を伴って理解できた。申し訳ない気持ちになる一方で、俺は良い友人たちに囲まれていることに感謝した。

 俺たちが奢るから。そう言われたからではないが、帰りのバスで彼女と出くわす心の準備が出来ていないのもあって、今度はその気遣いを無下にせず、俺は放課後、彼らとの時間を久々に楽しんだ。まさか本当に奢ってくれるとは思わなかった。割のいいバイトでも見つけたのだろうか、やたらと上機嫌で羽振りが良かった。酔ってんじゃないかというほどにハイテンション。きっと当初の不自然さをごまかそうとしてのことだろう。


 その日は、ふだんより遅れて家に帰った。遅くなることを連絡していなかったから何か心配されるかと思ったのだが、家族の反応は変わらない。最近の俺は目に見えて落ち込んでいたから、「もしや……」みたいに思われていないかと勝手に案じていたのだが……まあ、自意識過剰か。携帯にも特に連絡はなかったし――


 そう思いきや、


「おう、おかえり。もしかして彼女とデートか?」


 ……よりにもよってな出迎えを受けてしまった。


 ふだんより帰りの早い……というか俺の方が遅かったのか。出迎えた父は上機嫌で、こちらは本当に酔っていた。父が酒を飲むのは翌日が休日か、金曜の夜くらいなのだが、平日の真ん中に突然どうしたのだろう。一応今週末は公休日と重なって連休になるのだが……何か、良いことでもあったのか。


「ボーナスが出たんだ。というわけで父さんと母さんは明日から旅行にいくからな」


「は……?」


 せっかく連休もあるし、有給つかえばそれなりの時間楽しめるだろうが……。俺は? お家に一人ですか? 突然だね? まあ夫婦水入らずということか……。


「ボーナスでもないと旅行にも行けない旦那の年収……。お前は良いとこのお嬢様と結婚して玉の輿するんだよ?」


 いやそこは母よ、息子が稼げる仕事に就けるよう応援すべきなのでは?


「父さんたちがいないからって、家に女の子連れ込むんじゃないぞ?」


 あははは、うふふふ。


 ……何なんだよ、いちゃつきやがって。こちとら別れたばかりなんですが?


 まあ……両親の仲が良いのは悪いことではないのだが。


 それにしても、明日から俺一人になるのか……。これがリア充ならそれこそお家に女の子を連れ込んだりできるのだろうが、現状そんなロマンスとは縁遠い。

 友人たちを呼ぶのもいいが……特にすることもないしな。


 どうしたものだろう。


 ポケットにハンカチがあった。結局使ってないのだが、洗濯して返すべきだろうか。しかし普通の洗濯機で洗ってもいいのだろうか、これ。


 ……いや、別に例の彼女のことが浮かんだとかそういうことではないのだが。




                  ■




 今日、両親は旅行に行く。

 朝ごはんこそ作ってもらえたが、夜はどうしよう。

 というか、その前に――


「……?」


 学校へと向かう通学路……いつもならこの辺りで例の彼女と道が一緒になるのだが、今朝は彼女と出くわすことなく、俺はバス停までたどり着く。


 ……ハンカチ、返そうと思っていたんだけど。


 まあ本音を言えば、心の準備のつけようがなく、未だにどう渡せばいいのか、そもそも声をかけるイメージすら湧かなかったから内心ほっとしている。

 一方で、いつも一緒になる彼女が現れないことに多少の気がかりを覚えた。

 だって仕方ないだろう。今日は平日で、学校がある。風邪でも引いたのだろうか。何かあったのかもしれない。

 それとも、昨日の今日だし――いよいよ避けられ始めたのではないか。いやまあ、考えすぎだろうけど。別に、俺の方から彼女に何かしたわけじゃないんだし……。


 その日はずっとそんなことを考えていて――帰りのバスで、彼女が乗り込んできたときには本当に驚いた。


 ……まあ、たまには違うバスで登校することもあるだろう。寝過ごしたのかもしれない――今度はそんなことを考えていて、一瞬彼女と目が合ったにもかかわらず、ハンカチを返すタイミングを逃してしまった。


 彼女がバスの一番後ろの席に座る。俺はその二つ前の窓際の席。いつもは他に乗客がいるのだが、今日は彼女と二人きりだった。


 ……めちゃくちゃ気まずい。どうやってハンカチを返せばいいのか。


 などと想い悩んでいるうちにバス停に到着。俺は逃げるように先に下り、そのあとに彼女が続いた。席順的に自然な流れだ。

 いつも思うのだが、ここで俺があとから下りれば――そうしたら途中まで道は同じなので、俺が彼女の後ろをついて歩くことになる。それこそストーカーみたいな恰好になるものの、後ろから「見られてる」感はなくなるんじゃないか……。

 特に今日なんか、あとから振り返ってハンカチを返すより、後ろから声をかけた方がまだ「らしい」のではないか。今更ながら先に下りたことを後悔する。しかしあのときはそうするしかなかったのだ。それが自然な流れだった……。


 背後からの視線を感じながら、重い足を引きずるように帰路につく。

 あまり意識しないよう努めるが、どうしてもポケットのハンカチの存在がちらついてしまう。だって返さなくちゃだし。

 そうこう考えていると自宅も近づき、もうすぐ彼女との別れ道に差し掛かる――


「きゃっ」


 と、不意に上がった声に、思わず後ろを振り返った。


 なぜだろう。空は晴れているのに、まるで彼女の周囲だけがスコールに見舞われたかのような有様だった。具体的には彼女自身と、その足元の地面が濡れていた。


 ……察するに、すぐそこのお家でホースで花壇に水をやっていたのだろう。今もその水音が聞こえてくる。たまたま水が塀を越え、運悪く彼女にかかってしまったのだ。


 思わず、見入ってしまう。いやまあブラウスまでびちょびちょになっているものの、上からサマーセーターを着ているのでこれといって何かが見えるわけではないが――


 うわあ、どうしよう。濡らした張本人は気付いていないのか現れないが、損害賠償ものじゃないですかこれ。だって彼女はお嬢様学校に通っている。その制服もきっとお高いに違いない。


 ……ここで颯爽と例のハンカチを渡せばいいのでは? というナイスアイディアが浮かんで一瞬興奮したのだがさすがに馬鹿すぎて思いとどまった。


 ほんと、どうしよう。家はすぐそこだから気付かなかったふりをしてダッシュで逃げてもいいのだが――


「あの――」


 声がした。それが一瞬、自分のものだと本気で気付かなかった。



「……良かったら、うち、来る――?」



 ……自分でもおかしなことを言っている自覚はあるのだが、なんというかこう、呼吸するかそれを言うか以外に何も思いつかなかったのだ。


 びしょ濡れの女の子をそのまま放っておくことは出来なかったし、何より家が近かったのもある。同じバス停を利用しているから彼女の家もこの近くだろうが、恐らく彼女が住んでいるだろう高級住宅街までには、生憎ともうすこし距離がある。

 無視はできないし、放っておいて風邪でもひかれたら今後彼女を見かけるたび自責の念に……というか朝、彼女と出くわさないことで、一日の始まりが憂鬱なものになる。

 それに、ハンカチを返さなくちゃいけないし……親も家に女の子を連れてくるなと言っていたから――突発な思考の展開(飛躍)としては仕方ない発想だったのではなかろうかと、自分に言い訳する。


 こくん、と彼女が頷いた。


 取り返しのつかないことを提案してしまったと、すぐに後悔することとなった。




                  ■




 次に顔をあわせるのは――いやまあ俺が振り返らなければ顔をあわせることもないのだが――連休明けの、登校日。


 ……正直、彼女を家に招いてから、外が暗いので送っていくことになったまでの記憶がない。ないというか、まるで夢みたいにぼんやりしている。

 特に何か言葉を交わしたわけではない、と思う。

 ただ、彼女の服が乾くまでのあいだ、一緒にいただけ――うちの親が留守であることを知った彼女が、夕飯をつくってくれて――いやほんとうに、どこまでが現実だったのか、自分でもよく分からない。

 めちゃくちゃ気まずくて、とても息苦しくて、人を殺した直後ってこんな感じなのかなとか思って――その時間が、そのイメージが、痣のように記憶に焼き付いている。


 あ、ハンカチは返せました。

 これでもう俺と彼女とのあいだのしがらみは解決したわけだけど――


 もしも、今日。

 いつもの通学路、振り返った先に彼女がいたなら――挨拶くらいしても、罪には問われないだろう。

 いつの間にか、それくらいには、心の距離は近づいていると思うから。


 通学路がただ一緒になった、それだけの関係、それだけのだったのに――こんな気持ちになるなんて、自分でも思わなかった。


 交差点を抜けると、後ろで人の気配がした。

 いつもの足音。もしもそこに彼女がいるなら、声をかけて、そして――いっしょに、並んで歩きたい。



 振り返る。

 彼女がいる。

 声をかける。


 こたえは――、そんな微笑み。



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