古びた階段の先

九十九

古びた階段の先

『降霊術なんてただのお遊びだよ』

 その言葉が今でも少女の脳裏に蘇る。あの時止められていたのならば何かが変わっていたのか、なんて、この先も少女には分らないままなのだ。



 夕暮れに染まった教室の中、年頃の少女達は退屈な日常の中にほんの少しの危険が伴う非日常を求めていた。

 仄暗いおまじない、危険が直ぐ傍にあるかも知れない肝試し、誰かの死から生まれた怪談。目に見えない恐怖は少女達にとって、彩り豊かなお菓子と何ら変わらない。

 誰かの不幸も、想い人への恋も、物欲を持て余した願いも、目に見えないものに混ぜ込んでしまえば簡単に娯楽になった。他人の不幸は蜜の味とは言うけれど、誰かを介して生まれた恐怖もまた、少女達にとっては蜜の味であった。


「呪いはちょっとヤバそうだけど、手軽な奴なら大丈夫じゃない?」

「だったら、おまじないが良いって。丁度今、気になる人が居るんだよね」

「おまじないか。あ、でも待ってよ。この間、言ってたあれどうすんの?」

「あれってどれ?」

 人の居なくなった教室の中、女子生徒達は楽し気に今後の予定を立てる。校則に触れるか触れないかのおしゃれを施した四人の女子生徒達は、机の上に腰掛けながら、ああだこうだ、と積極的に案を出し合っていた。

「あれでしょ。廃墟になったアパートだかで首吊りしたとか言うやつ。肝試し行くとか言ってたじゃん」

「あれね。でも今は手軽にできるやつの気分なんだよな。それに中まで入る気は無いから、今から行って無駄に電車代だけ嵩むのもな」

「遠いんだっけ? だったら土日に回した方が良いんじゃない? 気軽ならやっぱりおまじないでしょ」

「おまじないはおまじないで手間とか道具とか掛かるでしょ。てかさ、椅子組の二人はどうなん?」

 そうしている内に、具体的に何をやるのか煮詰まって来たらしい彼女達の一人が、行儀良く椅子に座っている二人の女子生徒に話を向けた。

 教室内に六人いる女子生徒の内、勝気な女子生徒を中心にして話し合っていた四人とは反対の雰囲気の少女二人は、互いに顔を見合わせて困った様に笑った。

「ううん、と、私はやっぱり怖いのはあんまり好きじゃないから何とも。詳しくないから、案が出しづらいかな」

 一度も染めた事が無い黒髪を肩の辺りで切り揃えた少女は、言いにくそうに口を開いた。

「ブーブー、いっつもそれじゃん」

「でも、人が死んだ場所に行くのは、嫌かな。人の死体が出たら怖いし」

 俯き、付け加える少女の小さな声に、四人組はお化けもでるかもねと茶化しながら、流石に現場には行かないと笑った。

柘榴ざくろなんて、如何にもそれっぽい名前なんだから、もっと怖い話を仕入れなよ」

「柘榴はさ、怖がり過ぎだよ。私達に付いて来てくれるわりに、あとちょっとの所で心配になって止めるじゃん? そんなにあからさまに危ない事はしないよ」

「普段の付き合いは良いけど、ちょっと怖い話はことごとく止めるよね。心配してくれるのは嬉しいけど、大丈夫だよ流石に」

「柘榴は昔の怖がりのままだよね、本当。今度、皆で集まってホラー映画の鑑賞会でもする? 最初は子供向けにするからさ」

「あ、はは」

 俯いていた少女、柘榴は曖昧に笑い、頬を掻いた。友人と一緒に遊びはしたいが、怖いものや危険なものは出来るだけ避けたいと言ったそんな顔だ。


「それで、お隣さんはどうよ?」

 柘榴の隣の椅子に座っていた墨色の髪が背まで伸びた少女は、振られた話題に考えるような素振りで一度大きな目を斜め上へと向けた。数秒の後に視線を戻すと、周りの女子生徒達を見渡す。

「これは、誰にも言っちゃ駄目よ」

 少女が声を潜め、常套句の様なそれを口にすれば、柘榴以外の女子生徒は身を乗り出すようにして耳を傾けた。その様子に墨色の髪の少女は可笑しそうに笑った後、勤めて真面目な顔で話し始める。

「石で出来た古くて細い階段のある道を知っている? 畑が広がる道の先、数件の住宅が固まった場所のすぐ近くに坂道があるの。その坂道の途中に、山へと続く階段があるのだけれど」

 身体を乗り出した姿勢のまま女子生徒達は互いの顔を見合わせた。そうして次々に首を振った。彼女達四人には心当たりが無かったらしい。

 墨色の髪の少女はそれ以上、何処にある、とも言わずに唯静かに答えを待っていた。

 ややあって、柘榴が小さく「あ」と口にした。四人の期待を含んだ視線が集中する。

「あ、あーっと、えっと」

 一度口に出してしまっては引っ込める事も出来ず、柘榴は何度か目線を行き来させた後、観念したように両手を挙げた。

「私の通学路に、確かあったと思う。でも、危ないから入っちゃ駄目って小さい頃から言われてて」

 眉をハの字に曲げる柘榴に、女子生徒達は机から降りて嬉々として詰め寄る。

「どこ?」

「通学路のどこらへん?」

「柘榴の家って山の下だっけ?」

「えっと、家から出て直ぐの所にちょっとした坂道があるの。その坂道の真ん中らへん。毎日その前を通っているんだけど、山に登るように古い石の階段があって、奥の方は昼間でも暗いの」

「と言うと、ああ、あそこかな?」

 髪を明るい茶色に染めた女子生徒が思い出した様子で呟いた。柘榴の家の離れた幼馴染の彼女は一人納得した様子で頷くと、墨色の髪の少女へと視線をやった。


 墨色の髪の少女は人差し指を唇に当てて頷き、全員の顔を見渡してから続けた。

「降霊術って知ってる?」

「降りる霊って書く、あの?」

「そう、その降霊術。階段を登りながら願い事をするの。何でも良いわ。未来を知りたいとか、何が欲しいとか、本当に何でも良いの。でも、階段を上がり切るまで願い続けなきゃ駄目よ」

 お伽話を聞かせるような静かで耳あたりの良い声で少女は語る。

「そうして一番上に小さな何かがあるらしいの。石の塊だとか、祠だとか言われている。子供くらいの大きさの何かが一つ有るだけだから、直ぐ分かるって聞いたわ。そこに辿り着くと何かが降りて来て、願い事を叶えてくれるんだって」

「それだけ? 何か用意するとか、何かしちゃいけないとか」

「何も無いわ、唯それだけ。それだけで願い事が叶うんだって」

 墨色の髪の少女は微笑み、それ以降口を噤んだ。

 不定形で曖昧な話に、女子生徒達の間に沈黙が落ちる。

「危ないんじゃないかな。降霊術って怖い話が多いし、それに私の言った階段が本当にその場所なのかは分からないよ? 古いから階段の先が崩れているかもしれないし、止めない?」

 先に口を開いたのは柘榴だった。柘榴の言葉に、女子生徒達は互いが互いに顔を見合わせ、どうしようかと目配せし合う。

 概ね何時もの流れだった。ここから止めるか、踏み切るかは好奇心とその場の流れで、結局止めた事の方が多い。求めるのは小さな危険だからだ。

 だがこの日は、少女達の気持ちは強く決行へと揺れ動いていた。簡単で、信憑性も薄く、何より身近な場所だったからだ。女子生徒達が行動に踏み切ろうとしているのは外から見ても明白で、彼女達の誰もが、他の誰かが一歩を踏み出すのを待っていた。


「降霊術なんてただのお遊びだよ。こっくりさんも、エンジェルさんも、ちょっとスリルのある遊び」

 不意に、墨色の髪の少女が口を開いた。

「大丈夫、単なる遊びだよ」

 そう言ってにっこりと彼女が微笑めば、佇み互いに見合っていた女子生徒達は目に見えて安堵した様子で笑った。

「そうだよね、遊びだもんね」

「簡単だし、良いんじゃない?」

「でも何時もみたいに、結局何も起こりませんでした、になりそうだよね」

「その方が良いけどね。あ、でも一応懐中電灯とか道具は持って行こう」

 ほんの少し背を押すだけで目に見えない暗がりへと足を踏み出す女子生徒達を、墨色の髪の少女は微笑まし気に見詰めた。

「私は、ごめんだけど帰るね。やっぱり怖い」

 唯一人、柘榴だけは言い知れぬ不安に襲われて首を振った。

 墨色の髪の少女が寂し気に首を傾げて柘榴の顔を覗き込むが、柘榴は変わらず首を振った。

「どうしても?」

「ごめんね。皆にも行って欲しくないけど、私はやっぱり怖いから家に居ようかなって。昔からおばあちゃんにも止められてるし」

「それは、そっか。うん。仕方ないよね」

「私達は行くから、後で何があったか聞かせてあげるかんね」

「私のお願いが叶ったら、幸せおすそ分けしてあげる」

「うん。ちゃんと帰って来てね? 事故とか起きたら電話か、それか私の家に来てね」

 柘榴の言葉に、皆が揃って心配し過ぎだと笑った。



「ねえ、おばあちゃん。あの階段覚えてる?」

 台所に立つ祖母に尋ねると、彼女は一瞬不思議そうな顔をした後、ああ、と頷いた。

「柘榴が居なくなった御山さん? どうしたの?」

「ちょっとだけ話に聞いたから、おばあちゃんは覚えてるかなって。私は小さくて気が付いたら家に居た事しか覚えてないから」

「そうねえ、私が言えるのは覚えていない方が良い事も世の中にはいっぱいあるって事ね。あの御山には柘榴は入ったら駄目よ。お母さんを悲しませたら駄目よ」

 柘榴の祖母は微笑みながら、けれども嗜めるような口調で、そう言った。そしてこの話は終わりだとばかりに人を安心させるような笑顔を作ると、料理を再開する。

 柘榴はそれ以上何も聞けずに祖母へと頷き、仏壇を見やった。柘榴の行方不明と同じ頃に亡くなった母親の写真が、仏壇から見守るように柘榴を見詰めていた。



 翌朝、柘榴は普段より二時間早く起き出した。枕元に置いてある携帯を見るが、昨日から変わらず連絡は入っていない。

 柘榴はどこか落ち着かない気持ちで身支度を手早く済ませると、祖母と挨拶を交わして家を出た。



 家を出てから数分も歩かない位置に、柘榴の通学路には下り坂がある。そして坂の中程の位置に件の階段があった。

 柘榴は気が急くままに足早に通学路を進んだ。そうして丁度、下り坂の入口の辺りで柘榴は足をぴたりと止めた。

 常の通学路とは違った光景に柘榴の背筋が凍る。

 ブルーシートが広がり、かちりと制服を着こんだ警官達が忙しなく動き回っては、何事かを話し合っている。ブルーシートの向こう側にはサイレンの止んだ救急車が覗いていた。


 目先の光景を唖然と見詰める柘榴の視界に見知った茶髪を見つけた。

 頼りない足取りで何かを探すように首を左右に振っている。周囲の警官がそっと誘導してブルーシートの内側へと向かわせようとするが、茶髪の彼女は警官の姿が見えていないかのようにあちらへこちらへと歩き続けていた。

「たちっ!」

 柘榴は咄嗟に叫び走り出す。柘榴の声に幼馴染の彼女は気が付くと、彼女もまた周囲の静止を振り切り柘榴の元へと駆け出した。

「たち」

「ざ、くろ。ざくろ、柘榴」

 たちは柘榴に抱き着くと、頭を柘榴の肩口へと擦りつけた。彼女の声はか細く、肩は震えていた。

 柘榴は幼馴染を抱きしめ、そっと髪を撫でる。ふと、何かが燻ったような匂いが柘榴の鼻を擽った。


「たち」

 柘榴はそっと名前を呼ぶが、彼女は相変わらず柘榴を抱きしめたまま震えている。

 あれから離れないたちに、警官達は話し合った末に柘榴をブルーシートの内側へと招いた。粗方終わってはいるから、と招かれたブルーシートの中は、青い顔をした警官達が右へ左へと動き回っていた。

 その中の一人、最年長らしい警官が柘榴の元へと歩いて来た。警官は軽く会釈をすると、気遣わし気に震えているたちを見た。

 柘榴も会釈を返し、一度たちへと視線を向けた後、警官を見上げた。

 何があったのかと目で訴えかければ、警官は迷うように視線を巡らせ、たちが抱き着いているのとは反対側から柘榴へと耳打ちした。

「落ち着いて聞いて下さい。気分が悪くなったりしたら、直ぐに首を振って。いきなり君に言うのは良いとは言えないが、君は友達のようだから」

 警官の前置きに柘榴は頷く。

「階段の上で、女子生徒が三人亡くなっていたんです。詳しいことは言えない、と言うより言葉が見つからないんですが、その、事故や人為的なものと言うにはあまりにも……。その子は階段の下で蹲って震えて居たんです」

 柘榴は目を見開いて警官へと視線をやった。警官は痛まし気な顔で首を振る。冷たい身体にぼろぼろの指先のたちは、柘榴に縋るように抱き着いたまま一度も顔を上げない。

「学校やご家族とは確認は取れているから、後でまたそちらから連絡があると思います。辛いだろうから無理はしないように。それと、もしもうわ言でも彼女が何かを言っていたら、ここに連絡を下さい」

 最後に警官は電話番号のメモを残すと、他の人に呼ばれてその場を離れた。


 柘榴は空いている方の手で胸元を掴み、眉を寄せた。

 脳裏には昨日の光景が蘇り、今から学校に行けばまた皆に会えるのではないかと錯覚させる。だが、傍らで震える友人の存在が柘榴を現実へと引き戻す。

 どうしたら良かったのか、どうするべきだったのか、それすらも考えられず、柘榴は追い付けない現実に唇を引き結んでいた。


 そこでふと、柘榴は違和感を覚えた。先程の警官の言葉を思い出し、辺りを見渡してから隣のたちを見詰める。

『三人の女子生徒が亡くなっていた』

 柘榴が来てからサイレンの鳴らぬ救急車が三台だけ動いた。そうしてブルーシートが貼ってあるこの場所で人が座って居られる場所は此処だけだ。


「ざ、くろ」

 まるでタイミングを見計らったかのようにたちが口を開いた。

「ねえ、柘榴。昨日の子、知ってる?」

「昨日、の?」

 何となしに嫌な予感がした。柘榴の背筋を何かが這うような気がする。

「墨色の、長い髪の、噂を話した女の子」

 震える声で、一つ一つ区切りながら言ったたちの怯えた目が、柘榴の目を捉える。

「あ、の子は、誰かが新しく連れて来た子じゃない、の?」

 名前も知らないかの少女は、てっきり誰かが新しく輪に加えたのだと柘榴は思っていた。

 だがそれも、歯の根の合わないまま必死に首を振るたちを見て間違いだと気が付く。

「私じゃない。あの子の名前も知らない。誰かが連れて来たんだと思ってた。柘榴が連れて来たんだと思ってた。でも、それなら紹介してくれる筈で。皆があの時知らないって言って。でもそれじゃあ可笑しくて。だって、だってそれじゃあ」

 途端に饒舌に話し出した友人の背を柘榴は震えながら抱き締めた。

「あの子は何時から柘榴の隣に居たの?」

 柘榴は必死にたちの身体を抱きしめる。震えるだけになったたちは、けして離さないと言うように柘榴の背を強く握り締めた。

 墨色の髪と綺麗な声は鮮明に覚えているのに、どうしても少女の顔だけが曖昧で思い出せない。



 たちと目が合った時に、彼女の瞳の奥、柘榴の後ろに映ったのは鮮明な墨色。

 顔の分からぬ少女の影がどうしてか笑ったように見えて、柘榴は必死に目を閉じ、たちを抱きしめた。



 幼い頃、柘榴は山でよく遊んでいた。

 友達と遊びたいと願いながら遊んでいたあの頃。あの時、階段の先で遊んだあの子の顔を、柘榴は思い出せずにいる。

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