この小説の主人公、向井親信(むかい ちかのぶ)は妻を亡くし、幼い娘と息子を育てる浪人です。生活に苦労はありながらも平和に暮らしていたある日、彼の家に傷を負った若侍の幸之進を匿ったことから、親信親子の生活が一変します。
江戸時代の風景や長屋の人情が詳細に描かれており、そこに幸之進の謎めいた背景が絡んで、最後まで読者を飽きさせません。
生真面目で不器用な親信と、飄々として掴みどころのない幸之進の対照的な性格が物語を一層面白くしています。また、幼いながらもしっかり者の親信の娘、加乃が物語に彩りを添えています。
この小説は時代小説とミステリの要素を兼ね備えており、どちらのジャンルが好きな方でも楽しめる作品です。
妻に先立たれ、未だ幼い娘と息子を手習所の師匠としての収入でなんとか養う浪人、向井親信(むかい ちかのぶ)。ある日いつものように仕事を終えた彼が裏長屋へ帰ってくれば、家の中に刀傷をつけた見知らぬ男が倒れているではないか。武士と思しきその男は目覚めた後に幸之進(ゆきのしん)と名乗り、なぜか長屋に居着いてしまって……
本作は子持ちのやもめ浪人と謎の若侍、ふたりを中心に据えたお江戸人情物語です。所謂陰キャな親信さんに対し、幸之進さんは陽キャ。陰が陽に勝てないのは世の常というものですが、知らない若造に生活を侵略されてしまう親信さんの悲哀、それを描き出す筆が実に軽妙なのです。これはキャラクター力だけでなく、文章力と表現力の高さが揃っているからこその楽しさですね。
そしてその中から透かし見えてくる幸之進さんの隠し事! これが物語の軸にしっかり絡められているからこそのエンディングは最高のひと言なのですよ。
人情ものの魅力を全部魅せてくれる一作です。
(「なにはなくとも世は情け!」4選/文=高橋剛)