42.「死滅への道程」

 ──初代アルメリア王であるマリア・ライアットは我が子を己の後継とする為に、全ての労力を費やした。


 箱庭における人の王とは人類圏の代表として安寧を背負う者であり、権力の象徴であってはならない。


 王国は兵力を独自に保有せず。

 王国は安寧を築く為にあり。

 王国は騎士の生存を受容する。


 人の王には後継者を指名する権利はあれど、誰が次の玉座に座るのか決定するのは民である。

 

 民に選ばれる人間を育てなければ。


 生活の礎となるには未熟すぎる王国という仕組みを間違いなく機能させる為。

 騎士信仰に生きるアルメリアの民を狂うことなく治められる人材を、次の王とする為に。


 初代アルメリア王は、己の子どもを安寧への薪にした。


 ……最初に後継者として教育されていたのは、兄妹のうち兄の方だ。

 彼は民からも信頼され、アルメリアを愛し、家族を尊重する。

 期待に応え続ける日々に潰れそうなときもあったけれど、何よりも妹を守るために奔走した。


 妹は多忙な兄と国を愛する母を想い、己の意思で距離を置いた。

 その傍らには常に騎士が独り立ち、彼女は騎士を父親のように扱った。


 子どもたちには何の不満もなかった。

 自分たちは兄妹で、決して独りではないから。

 学びに溢れた生活のなかで寂しいなんて思わない。


 ──いつだったか、母と久しぶりに話す機会を得た妹はこんな話をした。


「わたし、竜王さまと夢で会えるのよ」


 そのたった一言が、彼女を。

 ジェシー・ライアットを、此処まで連れてきた。




 ◇ ◇ ◇




「竜王さま、お願いです。

 彼は私の父親のようなもの、貴方とは違う別の者……そうでしょう?」


 見上げた先で光を放つ、赤色の結晶に向けてジェシーは懇願した。


 アルメリアの王城、謁見の間を見下ろすように吊るされた竜王の王石柱レムナント

 その端末レプリカ

 生き物のように蠢く輝きを放つそれは、どくどくと脈打つだけで幼い王に応えない。


 ──ジェシーは己の胸元で揺れ動く赤い光を握り締めた。

 それは見慣れない装飾が施された首飾りであり、端末の輝きに呼応するように光っている。


 王才という鎧に身を包んだ少女は、一心に赤色を見つめ返答を待った。

 いつまで経っても天啓は無い。


「自分勝手、いつも一方的なんだから」


 俯いた先、呟きが落ちた先には玉座があった。

 かつて母が座っていたそこは今、身の丈に合わないジェシーの居場所だ。


 大人しく玉座に腰掛けて、昨晩見た夢の内容を思い返す。

 原初の竜王が気紛れに発した天啓は恐らく、知ってはいけない類いの真実だった。


「忠明は私の騎士なんだから、連れていく気なら説明をしてもらわないと」


 もう一度、見上げた先でも変わらず赤色は沈黙している。

 己の護衛騎士が抱えている秘密を、天啓という最悪な形で知ってしまった少女は脱力して、背もたれに体を預ける。


 ──現代において自分ほど、原初の竜王を理解している人間はいないだろうと、ジェシーは自覚していた。


 愛を知らない孤独な王。

 力だけを己の価値として血の海に沈み、後継にすらそれを望む、悲しい貴方。


「ほんとうは、知りたいだけなのでしょう」


 語りかけても答えはない、けれど絶対にこの声は届いているという確信がある。

 物心つく前からずっと夢を見ていた、千年を越える時の向こう側で生きた、万能を殺す兵器の夢を。


 ──王城に鐘の音が響き渡り、祈りの時間が終わったことをジェシーは知った。

 朝、竜王へ祈りを捧げている間だけジェシーは一人になれる。

 この後は眠るまで周囲に誰かの目があるということだ、深く座ると足が浮いてしまう玉座、背中を起こして浅く座り直す。 

 

 謁見の間と外を隔てる大扉が開かれ、現れた者をアルメリア王は出迎えた。


「失礼いたします、我が王。

 あなたの武器が参ります、どうぞ私を傍らに」


 橙色の髪と瞳、真っ黒な包帯に覆われた両腕を持つ竜王騎士が頭を垂れて許しを乞う。

 忠明に代わって王の護衛を務める騎士を、凛と張られた声が呼んだ。


「良い。

 灯依ひより、私のそばに付きなさい」

「仰せの通りに」


 焔のような少女が玉座の傍らに立つ。

 ……己の世話係のひとりでもあり、本来ならば兄の護衛騎士である彼女に、アルメリア王は笑みを向けた。


「そう身を縮めずとも私の人となりは知っているでしょう、灯依。

 楽にしなさい、あなたにはそこにいるだけで価値がある」


 気安い声掛けを受けても、表情を緩めないまま騎士は応えた。


「もちろん、私は我が王が九つの頃から仕えておりますから良く知っております。

 寝起きが悪いことも、歯磨きを嫌がることも、寝る前にはお腹をさすってあげなきゃならないことも」

「ちょっと、今もそうみたいに言わないで」

「違うのですか?

 五年も経てば変わるものですね」


 ほら、と橙色が王の背を見る。

 それだけで曲げ掛けた背を王は伸ばす。


「予定通りなら、スバル様がお戻りになられるはずです。昨晩は夜明けまでジェシー様の傍らにいらっしゃったのですよ」


 騎士の口から実兄の名が出た瞬間、アルメリア王は穏やかに微笑む。


「兄様はいつまでも私を幼子のように思っているのだから、全く仕方がない」


 ふふ、と傍らに立つ騎士が笑ったのを、アルメリア王は聞き逃さなかった。




 ◇ ◇ ◇




 人気のない静けさに満ちた廊下を歩き、青年が真っ直ぐに謁見の間を目指していた。

 やっと本腰を入れて妹の力になれる、そう思えば自然と力が入る。


 アルメリア王国へ配置された人類軍の管理と指揮を行う立場である軍人。

 スバル・ライアットという名を持つ彼は、ライオス王国の武力進行が始まってから避難民の誘導に追われていた。


 サザル王国がアルメリアの避難民を受け入れると発表してからというもの、王都は歴史に残る大混乱に陥った。

 暴走を始めた正義の国と、武器として振るわれる聖王騎士団という存在。

 恐怖に追われた民たちは正に狂乱と呼ぶに相応しい状態で、サザル王国へと大挙した。


 民に秩序を持たせる為には人類軍の声掛けだけでは足りず、悲惨な現場に駆け付けたスバルは、どうにか状況を落ち付かせる為に己が持つ全てを利用した。

 

 即ち、かつて次期国王となる為に奔走していた頃に培った民からの信頼、その全てを。


 アルメリアの民はスバルの姿を見て泣き崩れ、粛々と人類軍の指示に従い始めた。

 もちろん全ての人が簡単に納得したわけではない、スバルは一人一人の目を見て話し合い、王の名代として民の心に寄り添った。


 現アルメリア王となったのは妹のジェシーである、それは間違いない事実だ。

 その上でスバルは妹に己にまつわる全ての判断を委ねている──アルメリアを守るために母から継承した知識と能力を兄は妹に捧げると決めていた。


 謁見の間へ続く大扉の前へと立って、スバルは深呼吸をする。

 この先に待つのはアルメリアを背負う国王であり、そして。


 ──苦痛と信仰によって築かれた山の上に立つことを強いられた、スバルの幼い妹だ。




 開かれた大扉の先、玉座に座るアルメリア王の元へとスバルは歩いた。


 背後で扉が閉まる音がする、普段ならば教典を手に持つ老父たちで溢れている謁見の間だが、今は王と護衛騎士の姿しかない。


「おかえり、兄様。

 予定よりも早かったですね」

「急いだからね。

 事態は切迫しているようだ」


 兄妹の間に特別な礼はない。

 今日は周りにそういうのを指摘して騒ぐ者がいなかったからというのもあるし、元よりどちらが王になっても関係は変えないという約束だ。


 アルメリア王──ジェシーもまた、大きすぎる玉座から降りて兄の元へと歩いた。

 向かい合う兄妹の側に、騎士が独り立つ。


「久しぶり、灯依。

 言われた通り単独で行動するのは控えた、俺に関しては何の心配も要らないよ」


 スバルは己の護衛騎士である少女、三井灯依に声を掛ける。

 まさか自分に話を振られるとは思わなかったのか、灯依は隣に立つ王の顔色を伺った。


 ジェシーは声を抑えて、おかしそうに笑う。


「兄様、聞いて。

 灯依ったらずっとこんな調子なんですよ」

「無理もないよ、ジェシー。

 いつもなら此処には口煩い爺どもが腐るほどいるんだから、緊張もするさ」


 ──家族なんだから、そういうの要らないのにね。

 笑い合う兄妹を見比べて、灯依は観念したように溜め息を吐いた。


「こちらが真面目に仕事をしようとすると、これなんだから。困った人たち」

「申し訳ないけど、俺たちにとっては畏まっている灯依より、暴れている灯依の方が身近だからさぁ」

「ほんと、真面目な会議の場はしょうがないから我慢していたけど。

 おかしくておかしくて、あはは」


 こんなにも人の目を気にせず笑っているジェシーを見るのは久しぶりだ。

 王を継いでからは常に頭の固い爺どもとの戦いだったのだから。

 全てを王才で捩じ伏せていく妹の姿はなかなか見応えがあったけれども。


 現在、城に残っている人間はジェシーと最低限の人員だけ、殆どがサザルへ避難済みである。


「アルメリアはこれでもぬけの殻。

 ──これから何が起きても、民が死ぬことはなくなった」


 スバルが告げれば、ジェシーは安堵したのか息を吐く。

 妹が一番気にしていたことはこれだ、そうでなければスバルだって死に物狂いで駆け回ったりしない。


「竜王結界は統合騎士団の方々が守ってくれています。

 私たちもそろそろ動く頃合いでしょう」


 ジェシーはそう言って、己の胸元に手を当てる。

 妹が見慣れない首飾りをつけているのに気付いて、スバルは問い掛けた。


「ジェシー、それは?」

「今朝、目が覚めたらありました。

 使い方も良く分からなくて、でも」


 赤い光が漏れ出るそれを指先で撫で、ジェシーは頭上を見上げる。

 そこに何があるのかはスバルも良く知っていた。


「これは竜王さまが投げて寄越したんだと思います。

 確証はないけど、確信があります」


「兄様、これが竜王領域の王権レガリア

 絶対隠蔽権ですよ」



 ジェシーの言葉に返事をするのも忘れて、スバルは立ち尽くした。

 絶句というのはこの事を言うのだろう、黙っている灯依に目を向ければ、頷きが返ってくる。


「ジェシー様の仰る通り、その赤い光は万能を示すものかと」

「──そんな。

 そんなものを寄越されたら、今度こそジェシーは生きたまま奉られるじゃないか」


 兄様と呼ぶ声に我に返る、細く柔らかい指でジェシーは赤色を包み込んで言った。


「アルメリアは信仰の国。

 この国の王になるということは、そういうことでしょう」


 母から学んだ事、忠明に教えられた事、その全ての結論を彼女は口にした。 

 スバルは何も反論できずに黙った、彼にも同じ答えに行き着いた過去がある。

 次期国王にと育てられ、その重圧に殺されかけた日々がある。


 このままでは妹は、個人としての自由を奪われてアルメリアの象徴と化すだろう。

 ……許し難いことだ、そう思う。

 しかし王になれと言われた時にはもう、こうなると予想出来ただろうとも思うのだ。


 ──母が死ぬ直前に、遺書を二人で受け取った。

 あの日、妹が全ての覚悟を決めて、はいと応えたのなら。

 人であるより前に王であると決めたなら。

 

 前王の子どもたちに不満はない。

 ただ独りではないという事実だけが、兄妹の支え。


「判った、今の国王はジェシーだ。

 君の意向が全てであり、優先されるべき秩序である」


 一度は言葉を失ったスバルは、息を整えてから母に良く似た瞳を見つめた。 


「二代目アルメリア王。

 きみは、俺を死ぬまで自由に使って良い」

 

 己の全ては、国の為にあると理解しろ。

 ──遍く全てを愛しなさい。

 慣れ親しんだ教えを胸に二人は頷き合う。


 その傍らで何の感情も表さずに、ただ床の一点を見つめていた護衛騎士は、廊下の方から近付く荒々しい足音を感知して顔を上げた。

 


 ◇ ◇ ◇



 大扉が開かれ、謁見の間へと一人の軍人が飛び込んで来た。

 スバルが着ている物と同じ赤色の軍服、人類軍がアルメリアに派遣した兵士の一人であることは明白だ。

 次の動きが起こるより前に良く通る声が響く。


「何事だ」


 転がるように片膝をついた兵士が顔を上げた、その先にはアルメリア王を背後に庇う竜王騎士と、無表情で部下を見下ろすスバルがいた。


「アルメリア王の御前である、事によっては……」

「──不敬を承知で申し上げます!!」


 厳しい声音を遮って兵士は怒鳴った、異常事態を察知してスバルは黙る。

 身を盾にして王を守る護衛騎士の肩に手が置かれた。

 荒い息を繰り返し冷や汗を流す兵士の前に、アルメリア王が進み出る。


「冥王騎士団の偵察部隊から伝令がありました、我が王」

「続けて下さい」


 全ての不敬を許し、アルメリア王は落ち着いた表情で兵士のもとへ歩み寄った。

 左肩から伸びるペリースの裾が揺れる。


 ……王に促されるままに、兵士はあるがままの現実を報告した。


「──聖王結界が崩壊、天使の群れがアルメリアを目指しています」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱庭世界の終末騎士 revision 1. みなしろゆう @Otosakiaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ