41.「死に損ないの正義」 


「我が王、これはいったい……こんな……」


 ──ライオス王国、中心部。

 純白に輝く城の中で響いた声の主は、竜霊山から退いた私兵軍を指揮していた男だ。


 かつてカインズ・ローグの右腕として活躍した老兵の充血した目の先に立つ王は、窓越しに市街地を眺めている。

 その視線の彼方には……聖王結界があるはずだった。


「これでも急いたつもりだが、どうやら間に合わなかったな。

 我々の手で全人類の回収をすることは不可能か、今は滅びに身を任せる他ないようだ」


 ライオス王はそう言って、己が統治していた場所の有り様を眺めている。

 かつて聖王が開いた土地にあって、科学の発展に重きを置き民は賢く勤勉で、正義の使者である聖王騎士を正しく扱う王国は今。


 ──した聖王結界の向こうから殺到する天使の群れに破壊されていた。


 民の悲鳴は聞こえない、当然だ。

 彼らは皆、記録に変わった。

 ライオスにおいて肉体を持ち現実に存在している人間は、城の中から迫る天使の波を呆然と眺める私兵たちしかいない。


「聖王の王石柱レムナントにはもう、結界を維持するだけの力が残っていない。

 原初から続く時の中で彼女は誰より人を守ったが、それ故にこの土地は全ての人が滅びる今を迎えた」


 ききき、と鳴く声がする。

 居住棟シェルターを守る為に配置された聖王騎士団が交戦を開始したのが分かった。


 保管された人類の魂──あの記録さえあれば人類は死ぬことがない。

 死がなくなれば人は永遠の中にいられる、妻が描いた夢物語をカインズは実行する。

 

 ……人類圏が消え失せて、全ての土地が命の芽吹かぬ領域になったとしても、魂だけの人類ならば存在できる。

 唯一終わりが来るとすれば惑星が滅びるときだろうが、そうなっても人類に痛みと恐怖は伴わずただ静かに無へと還れる。


「神々と騎士の戦争は終わらない、万能同士の喰い合いは続く。

 戦争が終わるより先にやってくるのは王石柱レムナントの寿命、そして惑星の滅びだ、度重なる万能の負荷に耐えかねて箱庭は自らの意思で滅びる」


「最後の平穏を享受している今、この終末の時代に、痛みと苦しみから解放された新たな存在へと人類を変換する。

 そうなれば滅亡は恐怖の対象ではない」


「箱庭の全てが消え失せるその時ですら、私たちに痛みはない」


 ライオス王は白光を放つ杖を掲げ、王権レガリアを発動した。


『──正義の剣よ、人類を守れ。

 居住棟シェルターに近付く全ての脅威を排除せよ』


 聖王は人の願いに応え、権能を行使する。死に掛けの魂が放つ光に聖王騎士たちは統制され、絶望を忘れた彼らは惑星が滅びるまでこの命令に従うだろう、正しい兵器の在り方だ。


「我々は、いったいどうなるのですか」


 私兵のうち、一人が恐る恐る口を開いた。

 恐怖に震えながら立つ彼らに、ライオス王は振り返り答える。


記録装置シェルターは既に起動した、死を迎えると同時に人の魂は回収され存在し続ける。

 ……神に殺される苦しみからも、天使に食われる恐怖からも解放された場所に向かう」


「皆そうなりたいから、リナリアを裏切り私に付き従ったのだろう?」


 呆けた顔で立ち竦む軍人がカインズの目の前にいた。

 彼は王が何を言っているのか理解できないという顔をしている。

 そのこめかみに──。


「全ては我が王の望みを叶える為に」


 無数の発砲音が響いて、私兵たちは頭から血を吹き出して次々に倒れた。

 十五年の時の中で、この日を迎えることを心待ちにしていた老兵たちが笑いながら銃を向け合う。

 弾け飛ぶ脳漿と鮮血の中で、カインズは表情を変えることもなかった。



 ◇ ◇ ◇



 ──深層介入 実施

 起動可能 応答待機──


 ──応答確認 適合開始

 意識修復 再展開──



 そういえば、川で溺れたことがある。

 灰に淀んだ水底から光の漏れる水面を見つめて、彼はひとり考えていた。


 あの日は、すぐに師匠が助けてくれた。

 ……川沿いの木の上で降りれなくなった子猫を助けたは良いが、足を滑らせて真っ逆さまに落ちたのだ。

 気付いた時には水中で、ちらちらと輝く綺麗な光を眺めて息が出来なくなって。

 自力でどうにかしようとすれば出来たのに、体が動かなかった。


 師匠は迷わず川に飛び込み、鈍臭い弟子を助けてくれた。 

 そうして、頭からずぶ濡れになってもあのひとは。


 ──やっぱり、自分の子どもは形振り構わず助けてしまうものね。

 そう言って笑っていたのを、思い出す。

 

 あの日、自分も師匠と同じように誰かを助けるんだと直感した。

 なりたいとかじゃない、なるんだと。


「──────」 


 灰色の水底で息を吐く、重たい右腕を持ち上げて光の方へ手を伸ばす。

 ここは彼の水底、唯一無二の深層だ。

 

 沈んで沈んで底を識り、けれども彼には浮上するための術がなかった。

 ……鎚で鋼を打つ音がする。

 泥沼が体を捕らえて離さない、ここに留まっているわけにはいかない。


 自分が聖王にならなければ、師匠の予言が嘘になる。

 自分が聖剣に選ばれたのは多くの人を守り、救済するため。

 皆が求める正義であるため、なんだから。


 鋼を打つ音が、する──。


 「君の正義を教えてほしい」 


 はっきりと聞こえた彼女の声に、彼は目を見開いた。

 ずっとこの声を聞いていた気がする。

 手を伸ばした先で光を背負った純白が浮いていた、銀色に輝く瞳が彼を見る。


 ──だれだろう、なんて思うと共に答えは出た。

 見たことも会ったこともないはずなのに、彼女が誰なのか彼は識っていた。

 あれは、あの存在の名は。


「私の個体名称は『原初の聖王』

 ──桐谷雄大、君を選んだ正義の使者だ」


 純白の万能が、伸ばされた手を取る。

 こうして彼は自分の名前を思い出した。


 ばちりと視界が暗転する。

 次の瞬間、目映い光が視界の全てを支配した。




 ──我に返ったとき、雄大は目の前に広がる光景を認識しきれなかった。



 あまりに眩しかったのと、今まで生きてきたなかで一度も見たことのない光景だったからだ。

 ……さっきまで己の深層で溺れていたのに、今はまた別の場所にいる。

 全身に絡み付くような夢を見ている、ここが現実でないことだけは理解できた。


 目の前に広がっているのは草原だ。

 広大で穏やかな自然の風景、どこまでも続く緑、人類圏全域を飲み込んだって余るだろう平穏な世界。


 遠くには海も見える、頭上には澄んだ空。

 この世のものではないと雄大は思った、箱庭はこんなに綺麗じゃない。


 目に入る全てに圧倒されている雄大に、彼女は声をかける。


「ここは私の深層だ、時間は限られているけれど君の意識を引き込んだ」


 振り返った先に彼女はいた。

 全身から白光の粒子を溢し少女とも女性ともつかない声をしている存在は、銀色に光る瞳で目映い世界を見ている。


 一番目の原初の騎士王──かつて人を救済し導き伝承となった騎士の祖は、物を知らない少女のように平穏を眺めていた。


 聖王はそれきり黙る、いつまでも。


「どうして、俺を?」

「そうだ、会話ってこうするんだったね」


 無限に続くのかと思われるような沈黙を破り雄大が問い掛けると、笑みが返ってきた。

 ──笑顔という機能を試行している、といった具合で。


「本当はもっと待つつもりで、君を選んだ。

 彼女が君の存在を見つけてくれて、だから私は君に聖剣を与えた」

「彼女?」

「君の師匠だよ、五代目の聖王。

 あれ、間違ってる?」


 聖王の発言を理解するために問いを投げたのに、聖王の方が首を傾げる。

 このズレ方、まるで未来みたいだと雄大は思った。


 そんな思考を、聖王は読み取る。


と私たちを同じにしちゃ駄目だ。

 ──宇宙を■■する存在、万能の更に上をいく」


 核心を語られているだろうと分かっても、言葉の意味が分からないから把握できない。

 雄大は聖王とまともに対話することを諦めた。


 また、読まれる。


「うん? 私そんなに変かな。

 ずっと機構として動いてきたから、情動を基盤にした対話能力に異常が出ているのかもしれない、■■■が箱庭に存在するせいで理に負荷が掛かっているのかも……」


「俺に何の用があって呼んだんだ」


 雄大は自分が苛立っていることに気付いて驚く。

 ……普段の彼なら絶対にないことだ、この場所は理性による感情の制御を許さない。


「君を聖王にするために」


 善悪を見定める銀の瞳は雄大を見る。

 彼は首を左右に振って、崩れ落ちそうになる体を何とか保った。

 言葉にしきれない複雑な感情の波に足をとられそうだ、問いも尽きることがない。


「そんなことが出来るなら、さっさとやれば良かったじゃないか。

 俺が聖剣に選ばれた時から何年経ってると思ってる」


「聖剣を抜けなかったから、俺が聖王になれなかったから何人もの人が死んだ。

 助けられなかった友達だって沢山いる、いつも手が届かなくて、危険に晒して……」


 最後まで言い切れずに黙り込む。

 自分の両手が血だらけに見えて、それが誰の血かも判らなくて、雄大は頭がおかしくなりそうだった。


 王権レガリアに叩き折られた正義……いつだって誰かの為に振るってきたそれは、二度と持ち上げられない灰の底まで沈んでしまった。

 

 雄大の心境を全て読んでいる癖に、聖王は言葉を紡ぐことをやめない。


「けれど、君は絶望しなかった。

 だから今も生きている」


 揺れない銀色を睨み、雄大は言った。


「生きていたってもう意味がない。

 民を救うことも出来ず、役割を果たせず、約束を守れず誇りも尊厳も地に落ちた……今の俺は化け物だ」


「それでも諦めていない。

 君の正義は皆を救う」


 だったら、と雄大は堪えきれず怒鳴る。

 こんなに声を荒げたのは生まれて初めてだ、感情任せに怒ることなんて誰も雄大に望まなかったから。


「今すぐ俺を聖王にして全部救ってくれ、ライオスの民も聖王騎士団も人類圏のことも全部、全部どうにかしてくれよ」


 八つ当たりだろうがなんだろうが、言わずにはいられない。

 ……ずっと自己の制御を取り戻そうと抗っては、灰に沈むを繰り返して。

 守りたいと思っていたものが自分の手で壊されるかもしれないと思うと怖くて。

 光は見えているのに、触れない。


「俺に家族を殺させるな。

 ……笑って暮らせるだけでいいんだ、あの子達の幸せを害する全てを取り除いて。

 俺じゃ手の届かない範囲まで、あなたは救えるんだろう」


 雄大は肩で息をしながら言い切った。

 怯えと怒りと悔しさ……彼の本音を聖王は眉一つ動かさずに聞いていた。


 何もかもの元凶──正義なんて曖昧なものを箱庭に齎して、善悪という天秤に狂いなく従った存在。

 雄大を次の継承者に選び、絶対王令権の発動を許可し聖王騎士団の自由を奪った王。


 けれども雄大は、彼女を悪だとは言いきれなかった。

 純白で清廉な聖王の姿が暴力的なまでの善性を感じさせるからなのか。

 己に悪を裁く機能が備わっていないからなのか。


「君は、今までずっと誰かの剣だった。

 私も同じ、人類の為に剣を振って人類の為に愛したひとを殺した」


 歪に獲得した情動で、聖王は物を語る。


「私の正義は人類の為に……人類が苦しみの中で滅びることを回避する為に、ライオス王の望みを受け入れたけれど」


「──君だけが裁ける善悪がある。

 誰かの為じゃなくて、自分の為の正義を掴める君ならば、きっと」


 紡がれる言葉は全て答えじゃない、応えていない、話したいことを話しているだけだ。

 震える体で雄大は聖王に詰め寄る。


「さっきからずっと、何を、」

「君には声が聞こえるはずだ、己の正義を問う声が。彼女はそう、教えてくれた」


 至近距離で見た顔は、石灰で出来ているかのように今にも崩れそうだった。

 壊れかけの右腕が雄大の胸を押す、未だしぶとく脈打つ心臓を、鋼を打つその深層を。


「君の正義を、聖剣に教えて。

 私が消えて失くなる前に」


 平穏が遠くなる。

 放たれた声を最後に視界は暗転した。


 ──灰色の濁流に呑まれて、また自分が判らなくなる。

 必死に伸ばした右手が何かの柄に触れた気がした。


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