40.「愛は育つもの、開花するもの」

「あれ、起きてたんだ」


 ひょいと外から顔を覗かせ忠明と未来が居るテントの中へと入って来た詩音は、随分と驚いた様子だった。


 起き上がった状態のまま動かない忠明と、その横で気持ち良さそうに眠っている未来の事を交互に見る。

 幼馴染みの側へと腰を下ろした彼女は忠明に声を掛けた。


「まだぼーっとするでしょ」

「……おかげさまでな、思いっきりぶん殴りやがって」


 忠明は詩音が背負っている銀柄の片手棍に目をやりながら言った、不満たらたらな口振りとは裏腹に表情は苦笑いだ。

 強引な手段で医療テントに叩き込まれた理由を、一応理解はしているらしい。


 忠明の良くないところは悪い事を悪いと判ってやることだ、と詩音は常から思っている。


「だって私でも今なら殴れそうだなーってくらい状態悪かったんだもん、治させろって言っても聞かないだろうし。未来はついでだけど」

「ついでとか殴られ損だろ、可哀想に……」


 心底から痛ましそうな眼差しで眠る未来の事を見た忠明に、詩音は膨れて失礼なと怒った。


「未来はちゃんと眠らせたよ。忠明くんのことは殴った、どうせ私が治すから」

「詩音には感謝してるけどたまに怖い」


 ……ちゃんと言うことを聞かない方が悪いのに被害者みたいな顔をしてきてムカつく。

 詩音はもう一回くらいぶん殴ってやろうか考えたが止めた、何もかも不毛だと思ったから。


 詩音が自分を大切にして欲しいと懇願したって忠明の行動は止められないのだ。

 治しようがない体を抱えて、抗えない使命に残り少ない寿命の使い方まで決められている幼馴染みは、苦しいとも悲しいとも言わずにただ苦笑いを浮かべている。


 それは死ぬことを受け入れた者の笑みで、言うなれば生を諦めた末期患者の顔だった。 

 今死んでも後で死んでも大して変わらないと思っているから、自分の生存に頓着しない。

   

 ──忠明の体を治す方法は何処にもなく、救える術があるとするなら奇跡だけだと判ったのは、詩音が十二歳になったばかりの頃で、未来と出会うより前に彼は苦痛を受け入れて死に逝く覚悟を決めてしまっていた。


 どうしようもない事だと知っている、それでも詩音は悔しくて悲しくて、当の忠明が自分が死ぬことを何とも思っていないのも嫌だった。


「ねえ、事情はぜんぶ理解してるつもりだけど……もう一回探そうよ。

 体を治す術がなくても、寿命を伸ばす方法なら見つかるかもしれないでしょ」


「詩音は優しいよな、そうやっていつも俺を諦めないでいてくれる」 


 詩音は人をたくさん救ってきた、騎士をたくさん治してきた。

 医療王候補が言葉を尽くすくらいしか手の施しようがない中で、彼は笑っている。

 今だって意識を保つのもやっとな程の苦痛を薬で誤魔化しているだけの状態なのに。


「自分の終わりなら、里が滅んだ日に

 ……代償を伴う詩音の力を結末が決定された命の為には使えない」


 忠明はそう言って自分の左胸に手を当てた。

 脈打ちやがて止まる心臓の音を慈しんでいる、そんな動作。

 そして今にも自分の命を鷲掴みにして放り投げてしまいそうな危うさ。 


「俺は今、凄く幸せなんだ。

 生まれた時に死ぬことを望まれていたのに、二十年も生きる命を貰えた。 

 家族をみんな不幸にして、故郷が滅びる要因を作って妹も置き去りにしたのに……みんなに出会って、仕える王すらいる」  


 いつの間にか聞き分けがない子どもなのは詩音の方になっていて、彼女は意地でも認めてやるもんかと首を横に振った。

 死んでも良い理由なんか認めないし、絶対に納得なんかしない、だって忠明には──。


「それに、俺には未来がいる」


 忠明は今まで見てきた中で一番、優しい微笑みを浮かべてそう言った。

 それは父性を土台にした上に複雑な情動が重なった末に生まれた表情かおだ。

 未来の事を考えるときだけ、忠明は真っ直ぐに自分の心を認識していた。

 痛みや悲しみは幾らでも誤魔化してなかったことにする癖に、そこだけはブレた事がない。


 できる限り体に負担を掛けないために、激しい感情表現をしない忠明の満面の笑みが、穏やかに眠り続ける少女に向けられている。


「俺に憧れてくれたこの子がいたから、消費するだけの命に使い道が出来た。

 最後まで未来の憧れで在り続けることが、俺という存在の証明だ」


 ──希望に溢れた眩しい笑顔で、なんて悲しいことを言うのだろうか。

 詩音は何とか涙を堪えて医療騎士としての規範を守る、患者より先に泣いてはいけない。

 救ってくれと縋って貰えた方がいっそ楽だ、こんなに壮絶なことを笑顔で言い切られたら言葉さえ掛けられなくなる。


 何かを壊せば幼馴染みを救えるというのなら、詩音は何でも壊しただろう。

 でもきっと、忠明を救うために壊さなければならないのは運命で世界全部。

 詩音は人類を守護する騎士だから、忠明を救うことは出来なかった。


「君は未来のことが大好きね、それ以外のことなんかどうでもいいんでしょ」

「いや、そこまでは言わねぇけど。

 他にも結構大切にしてることはあるんだぜ、我が王のこととか、お前らのことも……」


 分かった分かったと詩音は唐突に大きな声を出して忠明の言葉を遮る。

 見るからに慌てた様子の彼は眠る未来の顔を伺った。


「おい、起きるだろ。

 未来に聞かれたらどうすんだよ」

「私的には何もかもぜーんぶバレちゃえば良いと思ってるよ、どうせ隠し通せないんだし」

「本気でやめてくれ、どんな反応されるか分からなすぎて怖いんだよ」  


 ひよってる~面白~い。

 詩音に繊細な気持ちを突き回され、くらくらしてきたのか忠明は頭を抱えてしまう。 


 散々彼で遊んで憂さ晴らしをした後、詩音は深々と溜め息を吐いた。 

 普通に会話している今だって息をするように我慢して苦痛を隠している彼に、どんな些細なことでもいいから何かしてあげたかった。


「私の声を聞いて気持ちが左右されないひとなんて忠明くんくらいだよ、意思強すぎ。

 ちょっと揺れてくれたっていいじゃない、もっと迷惑かけてよ私たち家族でしょ!」

「家族だから嫌なんだよ」


 わぁーと感情をぶちまけた分だけ、変に冷静な言葉が返って来るからムカつく。

 詩音はまたしてもぶん殴ってやろうか考えた、考える度に不毛なんだと思い出す。

 家族や友達はもちろん、目に入る全ての命が健康でないと気が済まない詩音にとって、常に死にかけている忠明の存在は情緒不安定になる最大の要因だ。


「お前だって自己犠牲的だろ、俺と同じくらい詩花おとはに怒られてるくせに」

「私の話は今してないもん!

 お姉ちゃんの名前出すなんて意地悪、ばーか!」


 忠明の余計な一言で怒った詩音は勢い良く立ち上がって彼に背を向けた。

 ばーかばーかと、悪口を言いなれていない口で小さく繰り返す。


「ばーか、ぅえぇん……うぅ……」


 背後で女の子を泣かせてしまった男の子が狼狽している気配がする。

 詩音は涙が溢れる勢いのまま、泣き声すらも譜面にのせてうたを唄う。


 ──響き渡るその声は水ように空間を流れる光の塊を招き寄せ、癒しの詩となって満ちた。


 この詩が届く範囲にいるものは、全ての苦痛から解放され、傷が癒え心を救われる。

 『水の精霊』がもつ癒しの側面を強化することが出来る、詩音の扱う特別な神技。


 「詩唄い」と呼ばれるこの万能でも忠明の体を根本から治療することは出来ない。

 せめて痛みが和らぐようにとだけ考えて詩音は唄った、空色の瞳から流れた涙にも、発光する水色の髪も触媒となって精霊を集める。


 物心つくより前に知っていた深層から響く詩を唄う、彼女の体は淡い水色に輝いていた。 



「別に良かったのに、このくらい」 


 浮遊する精霊に集られながら詩を締め括った詩音に、忠明は心配そうな顔を向けた。


「良くない、私の目があるところで我慢するの禁止、許さないから」

   

 確かに精霊は触媒とされたものを塵になるまで食い付くす習性があって、詩音自身を用いて発動する詩には代償が伴う。 

 忠明が常に耐えている苦痛に比べればないにも等しいものだと、詩音は大したことないと笑ってみせた。


 ……詩音の言葉が忠明に響かないわけである、自己犠牲的な彼女がいくら自分を大切にしろと説教しても何の冗談だと思われて当然だ。


「出来る範囲のことは全部して、忠明くんのこと生きさせてみせるから。

 私に無理して欲しくないなら安静にね」


 結局こう言って聞かせるのが一番効くのである、良くないやり方だけれど詩音は忠明を黙らせてからご機嫌に笑った。


 口の減らない彼がまた何か言い出す前に──今の今まで眠っていた未来がもぞもぞ動き始めたので、兄姉は目を見合わせて笑みを交わす。

 今日のところはここまで。喧嘩はまた今度に持ち越しだ、かわいい妹のお目覚めである。



 ◇ ◇ ◇



 歌が聞こえてきた気がして、懐かしいような聞いたことないような音のなかでふわふわしていたら、これが歌じゃなく詩だと気付いた。


 その辺りでやっと目を開いた未来は、自分が何処で寝ているのか分からないまま天井を見上げていた。

 みどりのてんと……医療用テントだ、何故わたしがこんなところに。

 もぞもぞ動いたら体の上に見慣れた外套が掛かっているのに気付く、赤色の──。


「忠明さん」

「おはよう、どうした?」


 持ち主は案外近くにいたらしく、傍らから聞こえた声に未来は満面の笑みを返した。

 やっと意識が覚醒してきて、寝ぼけた頭を揺すりながら起き上がる。

 テントの中には忠明と詩音がいた、未来は起き抜け早々、にこにこしてご満悦だ。


「思い出しました、詩音さんが急に忠明さんに一撃いれて、吃驚してたら眠らされたんでした」

「だってあなたたち、言うこと聞かないじゃない?」


 未来は詩音の行動を、医療騎士として最善な行動で治療活動に専念した結果なのだろうと解釈した。


「ライアン様はどちらに?」

「今は竜王騎士団長とお話してるところ、だから未来は呼ばれるまで待機、いい?」


 主人の居場所を聞いたら詩音が教えてくれた、それならばライアンの安否を殊更案じる必要はなさそうだと未来は判断する。

 

 兵器としての性能で考えれば第一階級の右に出る騎士はいないだろうが、戦闘経験なら未来より上手だろう騎士はたくさんいる。

 騎士団長とは騎士王継承者が現れるまでの間、騎士たちを統率する実力者を示す言葉。

 ……ライアンにもしものことがあっても守ってくれる、はずだ。


「何か異常があれば報せるようにイカヅチにも指示してある、今の竜霊山は安全だ」 

 

 忠明の言葉があまりにも今掛けて欲しいものすぎて、未来は驚いて顔を上げた。

 真紫の瞳と見つめ合う、いつ見ても綺麗な色彩。

 すぐに逸らされてしまうその色を追いたくて仕方ない、未来の好奇心を上手く躱して忠明は詩音に呼び掛けた。


「俺はある程度見えたから聞かなかったけど、未来にも今の状況を教えてやってくれ」

「うん、いいけど。

 未来~、こっち見れるかな~?」


 忠明に夢中になっている未来の意識を呼び寄せる詩音。

 はっと体が跳ねた勢いで金髪が揺れた、未来は詩音の方に体ごと向き直る。


「早速今の戦況だけど、聖王騎士団がライオス王都に撤退すると共に私兵軍も撤退中で未だ新たな動きは無し、すっかり停滞しちゃって今後どうなるかはお互いの王様次第だね」


「あれ、聖王騎士団の撤退から二時間も経ってませんよね?

 それにしては正確な……まるで見てきたみたいな情報ですけど、それはどこから?」


 疑問に思ったことをそのまま口に出した未来に、詩音はよくぞ聞いてくれましたと声を上げた。


「それはこの子のおかげ~!

 おいでっ、リィリィ」 


 詩音が手を叩いて名を呼ぶと、彼女の影から漆黒の鷹が飛び出した。

 突如現れた猛禽類の大きな体に未来は目を丸くする、影を纏う鷹は詩音の腕を止まり木にして胸を逸らした。


「恵一さんの使い魔だ!」

「大正解、私に一体付けてくれたんだ~。

 この子のおかげで冥王騎士団のみんなと即座に情報共有出来るんだよね」

 

 えらいねぇと詩音が撫でると、影の鷹リィリィはそうでしょう偉いでしょうと満足げ。

 ……恵一の神技により使役されている使い魔は多種多様だが、詩音の側にはこの鷹が良く付いている印象だ。


 本当に総力戦なんだと未来は実感して頷いた、幼馴染みの皆が何処かしらで関わって色んな国が協力して、アルメリアを防衛しようとしている。


 誉め称えられて満足したか、リィリィは勝手に詩音の影へと戻っていった。

 忠明が何かしらに納得して頷く。


「医療騎士団が丁度良く竜霊山に到着したのも、恵一の先導があったからか。

 影の操作に移動、使い魔……訳のわかんねえ神技だなぁあれ」

「そんなこと言っちゃだめですよ。

 忠明さんのだって訳分かんないんだから」

「いやそれはお前の方だろ、誰が言ってんだ」


 忠明の発言を未来は珍しく非難する、じゃれあいみたいな言い合いに発展してちょっと楽しい。

 そんな言動を見て、詩音が驚いているのには気付かなかったけど。


「そういえば、なんでわたしまで医療用テントに入れられたんですか。

 怪我なんかしてたっけ?」

「……してたよ、背中に大きいの。

 殆ど治ってたけどね」


 詩音に呆れた調子で言われて、未来はやっと思い至ってあれかー!と声を出す。

 そういえば雄大に剣で思いっきり叩き落とされたんだった、痛くないしすっかり忘れていた。

 

 未来のあんまりにも自分の外傷に無頓着な様子に、詩音が眉根を寄せる。


「ねえ、それ本当にどうにかならない?」

「……今度考える予定ではあります」


 流石の未来もこうも叱られっぱなしだと、真面目に良くないことなのかと思い始める。

 そうこう考えていたら己の内がシンと静まっていることに気付いて、あれと思う。


 (オクティナ、寝てる?)


 呼び掛けに答えはない、未来が首を傾げていると傍らで忠明が立ち上がる気配がした。


「さて、次の命令が来るまで出来る限り準備をしておくか。

 部下の様子も見ておきたいし」

「……ちょっと、忠明くん」


 詩音は忠明にゆっくりしていて欲しいみたいだけど、苦笑いしながら大丈夫だよと言われてしまうと止めきれないらしい。

 未来は分かるなぁと姉の気持ちに共感した、忠明の苦笑いはずるい。


 ぼんやりふたりのことを眺めていたら、忠明が困った顔で未来の方を見てくる。

 どうしたんだろうと不思議に思っていると、彼は右手を未来に差し出した。


「勝手に貸しといて悪いけど、外套返して」

「……あ」


 そういえばずっと体に掛かっていた、無意識に抱き締めていたから温まった外套を未来は見下ろす。

 騎士団の徽章が付いた外套を羽織らなければ騎士服は完成しない、これを返さないと忠明は第一階級に戻れない。


 返すとなると、つまり。


「行っちゃうの?」


 反射的に口から出た言葉に、忠明よりも未来の方が呆気に取られていた。 


 胸の奥がバクバクする、わたしはなんて言ったんだろう。

 確かに忠明のことは好きだけど、それはこんな爆発的に大きくなるものじゃないはず、もっと静かで冷静で制御できて、こんな不明瞭で曖昧じゃないはずで──。


 (なにこれ、なんなのこれ)


 体が爆心地になったみたい、問いかけても未来の神様は応えてくれない。

 とにかく、未来は忠明に外套を返した、今の自分はどんな顔しているのか。


 (わかんない、わかんない。

 怖い、じゃない違う、辛い──違う)


 頭の中を今まで得てきた知識の全てが駆け抜ける。

 寂しいなら分かる、恥ずかしいでも分かる、だけど今はどれも違う気がする。

 自分の経験はあやふやだからあてにならない、小説とか誰かから聞いた話とかそういうのから該当するものを探すけど見付からない。


 忠明が外套を受け取った状態で立ち尽くしている、困らせてる、何か言わなきゃと思うのに体がガタガタして駄目だ。

 彼の目が見たいけど見たくない。


 そもそも言語化して名前をつける必要があるものなのかも判断が付かなかった。

 こんな気持ちは何年ぶりだろうか、衝動みたいな……欲求みたいな、強い何か──。


「分かるよ、俺だってもっと話していたい」


 大混乱を起こした未来の思考を鎮めたのは、耳馴染みの良い低い声だった。

 忠明の声だけは聞き間違えたりなんかしない、膝を抱えて小さくなった未来の頭に彼の右手が乗った。


 膝を付いて目を合わせて頭を撫でて……そうだ、出会った時からこうやって妹みたいに扱ってくれて。


 ──顔を上げれてみれば彼の真紫に、わたしの翡翠色が映っていた。

 それだけで未来は満足できた、凪いだ海みたいに落ち着いて、心が澄んだ。

 

 自分がすべき最善が見える、優先順位が整って全ての考えが順番に並んで行く。


 忠明がくれる言葉はいつも不思議で、いつも正しくて、欲しい時に欲しいものを貰える。

 たまに良く分からない事もあるけど、いつか絶対に理解出来る言葉たち、未来の宝物。


「ちゃんと待ってる……自分のことちゃんとして、いっぱい救って、待ってる」

「そうだな、俺も同じようにするよ。

 また皆で飯が食えるように、救ってみせる。

 そんな心配しなくても大丈夫だ」


 未来が落ち着くまで頭を撫でた後、忠明はぽんと細い肩に手を置いた。

 人類圏防衛の要、幾度となく命を救い殺めてきた手に彼女は誰より守られている。

 

 笑ってる、と未来は思った。

 忠明が笑っているなら、きっと全部良いことだ。

 未来は良い子だから知ってる、この笑顔が向けられるのは、いつも──。


 彼に、わたしが尊重されているときだ。




 ◇ ◇ ◇



「後悔してるでしょ?」

「吐きそう」


 未来を残して医療用テントから出た瞬間、踞った忠明に詩音は呆れ顔を向けた。

 ……そんな辛くなるならいっそ触れなければ良いし優しくなんてしなければ良いのに、自己矛盾でいつも忠明は首を絞められている。


 夜営用テントとは違い医療用テントには精霊術が掛けられていて、患者が急変した時知れるように中の音は漏れるが、外の音はある程度遮断される設計だ。


 いくら聴力の良い騎士でもテントの外での音ははっきりと聞こえない。

 それを良いことに忠明は地面を見たまま内心をぶちまけた。


「あんな目で見られたら逃げられねえよ、ふざけんな、また俺の最低が更新される……」

「忠明くんってさ、手遅れだよね。

 頭も心も未来を前にすると壊れちゃうから、理性を情動が振り切っちゃうんでしょ」


 詩音の同情的な眼差しを受け、居た堪れない気持ちになったらしく忠明は立ち上がった。

 兵器として完璧な精神構造をしていても、好きな女の子の前では彼もただの男の子だ。


「今日に限ってオクティナが静かだった……どんな怪我より今の状況の方がキツい」

「それなんだけど、聞いてもいいかな?」


 何を、と首を傾げる忠明に詩音は言葉を探しながらも問い掛けた。


「何だか今日の未来、喋り方が自然じゃなかった?

 いつもが不自然ってことじゃないけど、ふざけるときもわざとらしかったり、もっとズレた答えしたりするでしょう」

「あぁ、それは……端的に言ってしまえば、相方が寝てるんだろ」


 寝てる、と言われて詩音は瞬きした。

 彼女の脳裏に浮かんでいるのは、未来の体に宿る金色の神様のことだ。


「寝てるなんてことがあるの?」

「昔は無かったけど、最近はある。

 未来の意識が前に出て奥にならない日」


 なんて言ったらいいか、と忠明も言葉を探りながらの説明だ。

 詩音は考え込んでしまった。


 五年間共に暮らしてきて知っているのは、未来はいつも硝子越しに物事を見ていて、その場で最適だと解釈した言葉を発しているということ。

 嬉しいや楽しいは比較的に真っ直ぐ受け取ることが多いが、何か強い不満や心が壊れてしまうような苦しさ、辛さは全て、他者の物のように扱って首を傾げ思考を放棄してしまうこと。

 

 ……未来も自覚していないことだろうが、あの子の話し方は独特だ。

 相手に合わせているようで自分軸な話し方、気を付けていないと話題がどんどんずれていく。

 未来の認識はいつも彼女にとって都合の良い方が優先される。

 

「確定じゃないけど、最近になってやっと未来の情緒が年齢に追い付いてきたんだ。

 感情が複雑になって未来もオクティナも混乱している」


「子ども同然の認識と感情で表現されていたものが、成熟し始めて厚みが出たんだよ。

 恋愛が小説のなかだけじゃないことに気付いて、命に対する現実味が増して……」


 忠明の言葉が途切れたと同時に、詩音はなるほどねと納得した。

 心は喜びと辛さで二分されることはない。

 善悪でも分かれたりしないし、感情の要る要らないもはっきりとなんて決められない。


 ……好きだけど嫌い、嬉しいけど悔しい、憎いけど愛している、全部良くある感情だ。


「そりゃ、いつまでも子どもじゃないよ。

 少女はいつしか女性になるし、体に伴って心も変わる、当たり前のことだよ」


 さらっと、詩音は未来の現状を受け止めて理解した。

 同性だからこその共感もあったし、忠明よりも詩音は未来に対する認識が歪んでいない。

 変なこだわりを持って接していたり、嘘を付いたり誤魔化したりしているのが悪い。


 ちらと見やれば忠明は虚空を睨み付けている、怒ってるなーと詩音は思った。

 未来の変化に対してではなく、自分自身に。


「そんなに葛藤することかな、これ」

「……俺はする、結構。

 ずっと甘えて逃げてきた部分だから」


 血反吐を吐きながらでも戦い続ける最優が、弱りきった顔で視線を落とした。

 逃げてきたという忠明の発言を、詩音は否定しない、そうだねとだけ言って。


「じゃあ、今からが恋の本番だね」


 発破をかけるように、幼馴染みの背中を詩音は言葉で押した。

 驚いて息をするのも忘れた忠明に、詩音は微笑みかける。


「だって諦められないでしょ、未来のこと」

「……幼馴染みだったら諦めろって言うとこだろ、俺はあいつに傷しかつけないのに」

「好きになってしまったものは仕方がない。

 沢山話して、遊んで、思い出作って後悔しないようにした方がきっと良いよ」


 忠明はいつも先回りして未来が傷付かないようにするが、彼女の為になっているようでなっていない、独り善がりだと詩音は思う。

 あくまで詩音の意見だから、未来はまた違う受け取り方をするだろうし、今はそれを考えられるほど心が育っていないだろうけど。


「愛は本能だから、制御なんて出来ない。

 このままじゃお互いに傷付いて終わっちゃう、せっかく出会えたのにそんなの悲しい」


 終末を迎えつつある時代に、運命みたいに出会ったふたりの幸せを願っている。

 お節介だったな~と思って、詩音はこれ以上深くは口にしなかった。


 忠明も未来も抱えたものが多すぎて、きっと手が回らないのだ。

 互いに好きだと想ってるのに、幸せになってほしいと願っているのに。

 

「生きさせるって私は言った。

 たとえ余命が変わらなくとも何処までやれるのか、試してみたら良い」

「そんなこと始めて言われたよ」


 はは、と本当に久しぶりに聞こえた忠明の笑い声に詩音は目を丸くする。

 そっか、と彼は呟いた、複雑な感情がいくつも込められた言葉だった。


「ちょっと、あんまり笑うと裂けるよ?

 何処かしらが」

「十八年もこの体に付き合ってると、体が破裂する瀬戸際攻められるようになるんだよ」


 赤い外套が風に揺れる、彼を頼りにする騎士も縋る人も沢山いる。

 その全てを贖罪のように背負って忠明は歩いていく、果てに何が待つか知っていても戦って最後まで最優であり続けて。


「ありがとう、またな」


 そんな彼の足取りが少しだけ軽くなった気がして、詩音は安堵した。

 歩き出した背中が離れていく、血塗れで歯を食い縛りながら、竜を駆り民を守る。


 そんな忠明の本心を知っている者は、箱庭のなかで結構いるものだ。

 彼がそうだと判っているかは知らないが。


「雄大くんが帰ってきてくれたら、あとはぜんぶ丸く収まるんだけど、どうかな」


 詩音は独りで冬の風に吹かれた、春がもうすぐだよと精霊が唄っていた。

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