第25話
「座りっぱなしで、いい加減、腰を痛めそうだ」
セトルヴィードは書類を書きながら、目線を上げることなく言う。
「何を年寄りみたいな事を言ってるんですか」
「私は脆弱だからな」
「少し鍛えますか?訓練メニューを考えますよ」
「やめてくれ、お前の二つ名を知らないとでも思っているのか」
コーヘイの二つ名は、”爽やかな訓練バカ”である。
しばらく魔導士団長としての仕事をさぼった形になったため、今、セトルヴィードは溜まりに溜まった書類仕事の処理をしている。
「ふぅ」
書き終えて乱雑に積み上げていた紙を、束にしてトントンとまとめる。
「終わりましたか?」
「いや、まだだ。でも無理。もうしんどい」
「本当に年寄りみたいですよ」
「何とでも言ってくれ、子供にもなったし女にもなった、あとは年寄りで全部揃う。それだけだ」
椅子から立って、伸びをする。
「いいな、お前は暇そうで」
「騎士団も除籍されたままですからね、何もする事がありません」
肩でも揉んでもらおうかと銀髪の魔導士が思っていたところ、ふいにノックの音がする。下働きの少女の声だ。
「陛下がお二人をお呼びです、お嬢様もご一緒に、とのことです」
黒髪の騎士と、銀髪の魔導士は一瞬顔を見合わせたが、行かないという選択肢はなかった。ユスティーナは人形のように戻っていたが、手を引けば歩くので、コーヘイがその役目を担った。
国王は地下倉庫の前で、侍従を従えて待っていた。
二人は跪いて王に挨拶をするが、王は立つように促した。
そして侍従には席を外させる。
「陛下、いかがなされましたか」
「ガイナフォリックスの引継ぎの手記は、余が預かっていた」
セトルヴィードは驚きの表情を見せた。陛下は、前魔導士団長が失踪するという事を知っていたという事になってしまう。
王は、ユスティーナの手をそっと引いた。少女の掌に、自身の手を重ね、軽い詠唱を行う。
ユスティーナはふんわりとした黄金色の光に包まれ、新たな魔力をもって再構成が行われ、その姿を、小麦畑で見た水色の瞳の少女の姿に変えた。彼女は驚く二人に向き直ると、自己紹介をした。
『わたくしは ゲルトラウト。フレイアの母です』
その微笑みは、フレイアによく似ている。いや、フレイアがこの微笑みを受け継いでいたというのが正しいだろうか。優しく、包み込むような春の笑顔。
国王と ゲルトラウトの後について、二人は倉庫の奥に歩を進める。
彼女は、自分が最初に知った未来を語った。
自分の元に悲しい宿命を背負った少女が託される事。
彼女は完全に心を破壊され、古代魔法の触媒にされるという役目だけを担って、この世界で人生を終える悲しい未来を持っていた。魂は穢され、永遠の苦しみを抱える恐ろしい結末。
更に世界は、古代魔法により壊滅的な被害を負って、創始の世界に巻き戻る、という内容だ。
『未来をすべて変える事はできません。ですが内容を変えていく事はできるのです。精霊は未来を語りますが、次の日には別の結果を告げてきます。世界は生きて動き続けているからです』
国王は倉庫の奥のカーテンを引いた。
豪奢な装飾の大きな鏡が現れ、ここにいる全員を映し出している。
「ガイナフォリックスも未来を変えたがっていた。魔法に縛られた人生を送る若者が、いなくなる未来を思い描いていたのだ。魔法は異世界人の技術と同じで、扱うべき道具であるべきだ、それが彼の信念だった」
しかし、世界をいきなり変えるのは難しい。また、急激な変化はひずみを生む。だから彼は、一歩一歩、長い年月をかけて変えていく方法を選んだ。
ゲルトラウトの愛娘を恐ろしい未来から助けたい気持ちと、ガイナフォリックスの未来への夢が合致した。
「前団長は、まずはセトルヴィード、おまえを救う事からはじめようと考えた。どれだけの思いを抱えて、この重責を継ぐ事になるのか、ガイナフォリックスは良く知っていたからな」
「私を、ですか」
「この王都と、おまえを繋ぎ合わせる鎖を切ろう」
国王は鏡に触れながら、現在の魔導士団長の姿を見やる。
「古代魔法は対価を欲する。だが王都を守るために、その古代魔法は今はまだ必要なのだ。国にとって失うわけにはいかない力だ。いつか異世界人の技術や魔法の進歩で、対価を要しなくとも、国を護る手段ができるかもしれない。世界が平和な状態で安定して、必要なくなるかもしれない。だが、その日まではどうしても、人の命を対価とする恐ろしい古代魔法が必要なのだ」
『だからわたくしは、小麦を植えたのです』
植えられた小麦の精霊たちは、重い運命を背負った少女を受け止めるクッションの役目をした。その重さで十分に押しつぶされた小麦は、より強く育った。その種子が、人の命と同等の価値を持つほどに。
ゲルトラウトの掌には、十数粒の黄金の小麦の粒がある。
『この種たちが、対価の役目を果たしていられる間に、世界がこの古代魔法を要しない、より良い方向に向かう事を願っています』
「王都の防衛魔方陣による束縛がなくなれば、おまえは自由に、世界の知見を得るために飛び出していくことができる。書物だけでは学べない知識で、次世代を育てるがいい。次世代がまたきっと、次の未来をより良きものにするため努力するだろう」
少女は鏡の前に立つと、そっとその中に滑り込んでいく。
『わたくしは、ここで変わって行く未来を見守っています。娘もそうする事を選びました。ただ、ごめんなさい、あなたが魔方陣に預けている魔力は、発動のために必要なので、譲ってくださいまし』
ゲルトラウトの笑顔に、フレイアの笑顔が重なって見えた気がした。彼女もそこにいるというのが感じられた。
セトルヴィードは、王に促され、鏡に体を寄せる。冷たい感触が体に伝わる。
バツンッという音と衝撃と共に、銀髪の魔導士は後ろに弾かれ、思わずふらついてしまった。コーヘイが慌てて支える。
鏡を見ると、セトルヴィードの胸に刻まれていた、太古の魔法陣だけが鏡に映し取られていた。 ゲルトラウトの姿はもう写っていない。王はそっと、カーテンを引いて、封印の魔法陣をしたためた。
「鎖は切れた。これでおまえは、王都の魔法陣と分かたれた」
銀髪の魔導士は、左手を自分の胸に当てる。あの忌まわしい呪いのような魔方陣の気配が無くなっている。
「これからも、最高位の地位である魔導士団長であり続けるが、鳥籠は開いたのだ。いつでも必要があれば飛び出すがいい。鳥籠の外は危険だが……」
国王は黒髪の騎士に目線を送る。
「おまえには、素晴らしい守護騎士がいるから、大丈夫だろう。魔導士団長としての新しい仕事に、期待しているぞ」
王の御前を退出して、二人は夕暮れの城壁にあった。
心地よい風が、セトルヴィードの銀の髪を撫でるように吹き抜ける。
「外に出るなら、体を鍛えないといけないな」
「とりあえず、雨に濡れた程度で、熱は出さないようにしないとですね」
お互い、目線を交わして微笑み合う。
剣と魔法のこの世界で。
異世界生まれの騎士と、この世界生まれの魔導士はお互いの右手を合わせ合う。
誰よりも深い絆で結びついた未来のための一対。
この世界をよりよくするために、共に戦っていく約束をした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アリステア王子は重症だった。
直接的な傷と、瘴気によるダメージ。ただ、命には別条はないという。
しかし、職務への復帰には長い時間が必要であろうと思われる。
献身的に、ロレッタがその看病をしている。彼女の王子を見つめる目線も、日々に変化しつつあった。王子はそれを心から嬉しく思っている。
王子は彼女の支えで、いつか過去の心の傷も癒すだろう。
覚悟を決めた彼女は、素直にこの世界の人の心を受け入れて行った。
相変わらず自由気ままだが、自己中心的な行動は、全くなくなった。
声を失って、苦労も多いが、彼女がまっすぐ前だけを向いて生きる事を忘れる事はなかった。
新しい夢を持ち、今は楽器を嗜んでいる。音楽への想いだけは、今も昔も変わる事はないようだ。
元の世界への扉が開くチャンスが来た時。
彼女はどうするだろうか。
苦しんで苦しんで、どちらかを選び取るのだろうか?
その日が来るまで、答えは出ない。
出せないのだ。
彼女はすでに、この世界を愛してるから。
(第二部 完)
異世界人はこの世界を愛してるⅡ MACK @cyocorune
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