最終章 この世界にあって

第24話

 異様な気配は、城全体に伝わった。

 騒ぎが広がり、次々と人が集まりつつある。


 眠っていたセリオン、コーヘイも飛び起きた。

 着衣を数分で整えると武器を手に、即飛び出す。


 セトルヴィードも目を覚ます。ユスティーナの体ではなく、本来の体で。


「帰ったのか!」


 紺色の髪の魔導士が、小部屋から駆け出してきた銀髪の魔導士に驚きつつ、叫ぶ。

 カイルも騒ぎの場所に向かおうと、出るところだった。


「何だ?何が起きてる」

「わからない、だがこの気配は」


 先にレオンの引き連れた警備隊が到着したが、この中庭は狭く、それほど人数が入れる訳ではない。とにかく、倒れている王子を救出する事を優先する判断を下した。

 数名の騎士と魔導士が、魔獣を引き付けるために前に出ていくが、簡単に、なでられるようになぎ倒されていく。魔法の足止めも殆ど効いておらず、このままでは無為に人を死なせるだけになってしまう。


「何故、封印が解かれたんだ!」


 方々でそのような叫びが聞かれる。

 続けて、セリオンとコーヘイも到着した。灰色の瞳が王子のそばで震えているロレッタを見つけて、誰が何をしたのか理解した。

 ディルクも遅れて駆けつけて来た。


「王子の救助を急げ!!」


 レオンの叫びが聞こえる。

 

 息の合った二人が、お互い目線を交わし合うと、魔獣の動きを牽制するために、同時に駆けだした。

 セリオンが踏みつぶされそうになっていた騎士を掴んで引きずり出し、同時にコーヘイがその足に斬撃を加える。

 そのコーヘイに振り下ろされる鍵爪を、セリオンがいなす。


 混戦続く中、なんとか魔獣による続けざまの被害を抑えた。

 二人の騎士が魔獣の注意を引きつけ、この隙にロレッタと王子を、ディルクと数人の騎士によって中庭から連れ出す事に成功したのだが。


「こいつはやばそうだぞ、相棒」

「これ、どうしたらいいんでしょうね」


 とてもじゃないか、倒せる気がしない。固く、素早く、怪力である。体力も無尽蔵そうで、疲れさせてどうこうという前に、こっちがやられそうだ。一瞬も気が抜けない。とにかく細かい攻撃と防御で牽制し、時間を稼ぐのが精いっぱいだ。


 セトルヴィードとカイルも現場に到着した。続けて、副団長の一人、ロードリックも姿を見せる。魔法使いらしい白い髭をたくわえた風貌のこの老人が、攻撃魔法の専門家だ。

 騎士二人がなんとかその場に魔獣を押しとどめているのを見て、ロードリックが部下に命じて魔獣への魔法による攻撃を指示した。自身も長い詠唱が必要な高位魔法発動にかかる。

 次々と放たれる魔法の爆風に、多少は魔獣は体を揺らしたが。


「効いてるように見えないぞ」

「蚊に刺された感じにもなってませんね」


 二人の騎士も、じりじりと圧されてきている。会話をする余裕がなくなってきた。次々と繰り出される攻撃に、防戦一方だ。


 セトルヴィードの詠唱が終わり、強固な退魔の陣が騎士達の足元に敷かれたが、魔獣は多少の怯みを見せただけだ。力でその陣をねじ伏せて来る。


「カイル、サポートしてくれ」


 続けて新しい陣を展開するが、弾かれ、すぐにかき消される。

 攻撃魔法も牽制になっているか、怪しい効き具合だ。


「魔導士団長の高位魔法すら効かないなんて」


 下位の魔導士の中から恐怖の声が上がる。


「魔導士は高位のみ残し、他は退避せよ!」


 守る対象が増えてしまうと、騎士団が疲弊する。騎士には精鋭だけを守らせるべきだと魔導士団長は判断した。

 だがその要の騎士団も、まともに戦力として機能しているのは、コーヘイとセリオンのコンビだけである。他の騎士は戦略を持って、辛うじて対応できているレベルで、レオンからの指揮命令も飛んでいるが、それを魔獣の動きが上回る。


 しばらくは押されて、押し返えすを繰り返していたが、戦況が動いた。


 悪い方へ。


 魔獣の攻撃を剣で受けたコーヘイだったが、治っていない腕の傷の痛みに、つい耐えきれず、その剣を取り落とし、セリオンとの連携が途切れてしまったのだ。


 彼は反射神経だけを頼りに体を投げ出して、繰り出された一撃を避け、剣を拾い、第二撃は刀身で受けたが、魔獣相手に力比べで叶うはずがない。したたかに弾き飛ばされ体勢を崩した。セリオンが即サポートに入り、第三撃は彼が引き受け、第四撃はディルクの投げた短剣が魔獣の気を削ぎ、なんとか立て直す事ができたが、今のはかなり危なかった。


 息が上がって、傷も痛む。利き腕に、力が入らなくなってきているように思う。

 彼は左手で、右腕の傷の上をぎゅっと握り、痛みをなんとか抑えようとした。


「おまえ、怪我してるのか」

「山賊との戦いの傷を、治療し忘れてました」

「忘れてたっておまえ」


「コーヘイ……!」


 セトルヴィードは真っ蒼だ。


――しまった、城についたらすぐ、カイルに頼んで怪我を治しておくべきだった!

――迂闊だった、あいつ何も言わないから!


 魔獣が有利を見て、煩わしい騎士二人の始末にかかってきた。


「来るぞ!」


 二人は剣を構え直す。


 銀髪の魔導士は走り出した。魔法は距離が近い方が強固になる、なるべく近づく判断をした。とても危険な事だがこのままでは、二人の騎士がやられてしまう。マクシミリアンも後に続いた。


 騎士のほぼ真後ろに立って、魔法を発動させる。

 魔獣は弾かれたように後ろに下がった。


「効いた!!!」


 続けてマクシミリアンが防御系の魔法陣を展開する。

 魔獣は怒ったようだ、より殺気が膨らむ。

 騎士二人は後ろにいる魔導士達を守るように立ち、魔獣に剣による物理的な圧力をか続ける。その時間稼ぎの間に、セトルヴィードはより強い魔方陣を敷くため、長めの詠唱を開始していた。


 魔獣は魔力に惹かれる。

 目の前に、この国の最高位、もっとも魔力量が多い男がいる。

 当然のように、目をつけた。


 魔獣の目線に、次に誰が狙われているのかを理解した騎士は、攻撃が来る前に、先制で敵に向かう。しかし連続的な攻撃のすべては防ぎきれず、二人とも左右にそれぞれ吹き飛ばされる形になってしまった。受け身は取ったがダメージがあり、すぐに体勢を戻せない。

 直後、陽炎のような体が一気に膨張し、魔導士団長の体を包み込むように取り込んでいった。


 全員が息を飲む。


「団長!!!」


 マクシミリアンが叫びながら、無詠唱で魔法を放つが、完全にセトルヴィードは魔獣に取り込まれてしまった。


「閣下!!!」


 コーヘイとセリオンが同時に叫ぶ。


 魔獣はいったん獣の形を捨て、一時は黒い炎の塊のようになったが、再び獣の形を取り戻す。魔導士団長の魔力を吸収するつもりかもしれない。


「何という事だ」


 ロードリックが絞り出すように言う。こうなると、魔法で攻撃をするわけにもいかない。


「この魔獣、もはや古代魔法しか効果がないのでは」

「古代魔法が扱えるのは、今の世代ではもうセトルヴィードだけだ。だが、流石の魔導士団長も、古代魔法をそらんじる事はできないぞ」


 カイルが絶望のうめき声を上げる。


 弾き飛ばされていた主力騎士の二人が、距離を取り、なんとか戦況を立て直そうとしているが、ダメージは深刻だ。

 他の騎士が交代で牽制に入っているが、どうにもならない状態になっている。


「あたし、古代魔法の詠唱文、持ってる……」


 突然、カイルの後ろから女の声がした。


 ロレッタの手には、かつて王子からもらったペンダントに入っていた羊皮紙が握られていた。


「詠唱文があっても、どうやって伝えるというのだ、団長に」


 ロレッタは恐怖で固まった体を、深呼吸で緩める。


 目を閉じ二度目の深呼吸。


 深く三度目の深呼吸。


 再び目を見開いた時には、琥珀色の瞳から迷いと恐れが消えた。


 美しい歌姫は前に進み出ると、まるでステージに立つように堂々と魔獣の前に向かい合う。


「危ないぞ、何やってるんだ!」


 レオンが叫ぶ。

 ロレッタは構わず、羊皮紙を右手に持って前に掲げ、全力で魔獣に向けて歌いはじめたのだ。


 ロレッタが持っていた詠唱文は、まるで楽譜のようだった。音の上下や強さはきっと、旋律にしても伝わる。あとは古代の、ロレッタには意味の分からない言葉にどのような思いを乗せるかだ。


 体全体で詠唱文を歌として紡いでいく。


「何て声だ」


 この場にいる全員が驚いた。声量もさることながら、美しい天上の歌声。耳を澄まさなくても、勝手に耳が魅了されて聞きたがる。魂の奥底から引き寄せられる、セイレーンの歌。


 届け!

 伝われ!

 聞こえて!


――こんな声の出し方をしたら、喉がもうダメになるってわかってる。すでに自分の限界を超えている。でも自分のやらかした事だ、少しでも力を尽くしたい。あたしのせいで、この世界の人が傷ついていっている、この罪を少しでも償いたい。


――黒髪の彼の言う通りだった。どっちの世界とか、そんな区別をしてはいけなかった。今、目の前の一人一人が大切なのだ。後ろ髪を引かれて苦しんでもいいじゃないか、それがこの世界を愛した証だ。別れの苦しみは愛の深さだ。


 この世界を好きになってもいい。自分はもう、この世界を構成する分子の一つ。帰るとか、帰れないとかじゃない。

 もし元の世界への扉が開いたとしても、それは帰るのではない。その世界を選んで ”行く” 事になるのだ。



――認める、もう迷わない。この世界のために力を尽くして見せる!



 声に、より力と魂を込めた。魔獣の咆哮にも負けない。

 しかもロレッタには魔力がある。魔方陣の形では発動しないが、古代の強力な退魔の効果は多少は出ていて、魔獣はそれ以上彼女に近づいて来られない。


 この歌声は、魔獣に取り込まれた魔導士の耳にもちゃんと届いていた。


 聞こえてくる音を頼りに、魔法の記述を、全力でイメージする。音の上下、言葉が指し示す方向に、魔力を誘うように構築する。全身の細胞ひとつひとつから、魔力が吸い取られるような感触がある。きついが耐える。耐えるしかない。耐えながら、魔力の流れをその頂点まで積み上げた!


 その瞬間、魔獣の足元に、旋律から描き出される魔法陣が出現をはじめ、暴れていた魔獣の動きが古代の魔法陣によって縛られていく。


「発動したぞ!!!聞こえたんだ!!!」


 マクシミリアンが叫ぶ!


 コーヘイは、相棒に目線を送る。セリオンはそれだけでコーヘイが何をしようとしているか理解し、率先して走り出した。


 魔獣の直前で片膝を折りしゃがみ込み、そのセリオンの背中をコーヘイが駆け、肩を蹴って跳躍する。魔獣の眉間を狙って、両手を使って全身全霊で剣を突き通す!




 魔獣は絶命の咆哮を上げて、剣を額に留めたまま、崩壊を開始した。

 黒い灰のような破片が周囲に散り始める。




 コーヘイはそのまま受け身を取って地面を転がり、セリオンは間髪入れずに立ち上がり、消えゆく魔獣から解放され、宙に取り残され、落ち始めた魔導士に向かって走り寄り、ギリギリだったが、受け止める。


「閣下、大丈夫ですか」

「うむ」


 石畳に銀髪の魔導士をそっと横たえ、セリオンは魔導士の体に怪我がないかを確かめる。


「くっ……」


 魔力を使い切って、かなり辛そうだ。

 コーヘイも走り寄って来た。

 セトルヴィードの様子を見て、何かを思い出す。

 ポケットから小さな包み紙。

 がさがさと開くと、棒付きの飴。

 何も言わずにしゃがみこむと、それをセトルヴィードの口に突っ込んだ。


「おまえ、そんなものを持ち歩いてるのか」


 セリオンがびっくりして言う。


「この人のそばにいると、必須なんですよ」


 いつもの夏の青空のような笑顔。

 魔導士も、飴を含んだまま思わず笑ってしまった。



 ロレッタは激しく咳き込んでいた。カイルが傍に駆け寄り、治癒を試みるが、割けた喉からは血があふれ出す。



 古代魔法は発動に対価を欲する。

 対価として、彼女は声を失った。


 もう歌で涙を流せない。


 彼女の頬を、たくさんの涙がつたって落ちる。

 心の刺も鎧も、すべてが涙に溶けて失われ。


 夜が明け、最初の閃光がそれを輝かせていった。

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