第23話
ロレッタは、力なく歩く。
打ちひしがれて。
行先が決められず、自由気ままに歩くしかなかった。歌う気分にもなれず、心のしんどさを、生まれて初めて外に出さずに閉じ込めた。
親友は元気になっただろうか。お見舞いに行きたかった。夢が叶った事を、彼女に真っ先に報告したかったのに。
奮発して買ったけど自分には似合わなかったあの服、妹にあげたかった。
着ているところが見たかった。お姉ちゃんって、もう一度呼んで欲しかった。一緒に買い物に行ったりもしたかった。
こんな性格の私を、好きだと言ってくれた彼。もう次の彼女を見つけてしまっただろうか?もらった指輪には大きなダイヤがついていて、バイト先には付けていけなかった。だからあの日も持ってこれなかった。
周囲の反対を押し切って自分を推薦してくれたプロデューサーにも、すごく迷惑が掛かってるはず。ついたばかりのマネージャーも、明日から一緒に頑張りましょうって言ってくれてたのに。
違う世界に行って冒険してみたいと願う、そういう人を選んで、この世界に送ってくれたなら、誰も不幸にならないのに。ロレッタは元の世界で戦っていきたかった。違う世界でのリスタートなんて、欠片も望んでいなかったのだ。
諦めるしかないが、諦めきれず、気づけばまた図書室に来ていた。
ふと、日誌に書かれていた「広い視野を持つ」という言葉が気になった。今まで手に取っていなかった本を、読んでみるのもいいかもしれないと、古い本の並ぶ一画で、タイトルも読まずに適当に一冊抜き取った。
ロレッタはその中の一節に目を留めた。
そこには、”太古の封じられた魔獣は、清らかな乙女が封印を解いた時だけ、その報酬として願いを一つ、聞き届ける”と書かれていた。
ロレッタは、本棚のあちこちから太古の魔獣について書かれた書籍をかき集め、読みこんで行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二日かけて、三人は王都に戻ってきていた。
山賊のアジトを、短剣一本で壊滅させたという話は、すでにディルクの部下によって王都にもたらされており、遠巻きな尊敬の視線を受けて、コーヘイは気恥ずかしかった。
その活躍の一部始終の話を聞きたいと、宴の誘いはあったが旅の疲れもあったので、軽く再会の乾杯のあと、セリオンの部屋に泊めてもらっている。ベッドが二台あって良かったと笑い合った。
ユスティーナは魔導士団長の自室で眠る。一人で眠るのは久しぶりで、少し人肌が恋しい。だが旅の疲れで、やがてウトウトとし始める。
夢のような現のような、不思議な感覚だった。
突然、眼前に、あの日の光景が広がる。
だが今、目の前に広がっている光景は、完全な古代魔法の発動の姿だった。
燃える星の欠片が大地に落ちて刺さる。
地面は大きく陥没し、星の欠片を中心に、岩を砕きながら大地が円形にめくり上がって行く。
巻き上げられた粉塵が、高く高く空を覆い、太陽は消え去り、大地は炎に包まれ、空も地面も真っ赤に染まる。北の山脈も半分が消し飛んでいて、全てが熱で溶けていく恐ろしい光景だった。
セトルヴィードは感じた。これが本来のあの日の姿だったのだと。何も手を打たなければ、起こっていた実際の悲劇。おそらく一番最初に予言された光景。
映像はやがて暗闇に落ちて消えていく。
暗闇の中、男女の語り合いが聞こえてくる。
「鎖を切る方法を見つけてください」
「必ず、見つけ出してみせよう」
「すべては変えられない。でも、愛し子に選ぶチャンスが残せます」
「私たちの娘はきっと、良い選択をするだろう」
「それぞれの役割を、果たしましょうね」
「ああ、五十年の歳月も、きっと乗り越えてみせる」
声はやがて小さくなり、セトルヴィードは深い眠りに落ちていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アリステア王子は、ロレッタに会う事が許されず、城に戻ってからは軟禁状態になっていた。廃太子も決まってしまいそうだ。
権力を失っても、ロレッタは自分についてきてくれるだろうかと、彼はとても不安に思っていた。
彼は知っていた、美女の心が自分に無い事を。
あのトゲトゲしいまでの態度と美しい見た目に隠された、繊細な心を、自分なりに守ってあげたかった。不器用過ぎて、うまくいかなかったけれど。
自分がうまく守ってやれば、彼女はあの刺を自ら取り払って、素の心で向き合ってくれるのではないかと期待していた。そこに至る前に、二人は別れさせられる事になってしまったが。
王子は窓に寄り、外を見つめる。
もう深夜だ。
アリステアの部屋は、魔導士団の区画を見下ろすような位置にあり、こちらは裏口側。ぼんやりと眺めていた庭を、見覚えある茶色の長い髪をなびかせる影。
「ロレッタ……?なぜこの時間にあんなところに」
美女は周囲を窺いながら、裏口から魔導士団の区画に入っていった。
魔導士団の区画には危険なものも多い。ロレッタはまだ、この世界の事に詳しくない。もし触れてはいけない物に触れたりしたら。
何か、言いようもない不安がアリステアの胸中に広がって行く。
「行かねば……」
王子の部屋の見張りの兵士は、ウトウトと居眠りをしていた。
そっと音を立てないように部屋から滑り出し、人目が無くなった所で、走りだす。必死に、彼女の姿を追い求める。
姿を見かけてから随分時間が経っている気がする。不安感が心を突き動かす。急がないといけないと、そう心が叫んでいるのだ。
ロレッタには何か叶えたい望みがあったようだ。
魔導士団のこの区画……もしかして。
王子は最悪のシナリオを脳裏に描き出した。もしそれが、的中してしまったら大変な事になってしまう。
ロレッタは、どんどん地下に向かって下りていたが、道は急に登りに転じる。
まるで導かれるように、美女は歩み続けていた。
厳重な扉や、鎖でとざれたドア。物々しい風景の中、ただひたすらまっすぐに向かう。巡回の見張りも上手に避けて、先へ、先へ。
最後の階段を登ると、中庭のような場所に出た。
中央に、何か墓碑のような物が見える。
ロレッタは本の記述通りの風景が見つかってほっとした。
これを試して、ダメだったら、今度こそ絶対に諦めようと決めていた。
この世界でも、歌で身を立てる事は出来なくもないだろうと。
魔獣の中庭。
この場所がそう呼ばれていると記述があった。
中央の墓碑の中に、古い魔獣が封じられているという。どういう物か、何故封印されているかという細かい記述は、彼女は見つけられていない。
ただどの本にも、乙女が封印を解いた時、魔獣はその報酬に、願い事を一つだけ叶えてくれるとあった。彼女はもちろん、あの願いを叶えてもらうつもりだった。
ロレッタは条件に合致する。コーヘイがかつて見抜いたように、彼女の色香はすべて上っ面な演技だ。醸し出せるような経験はない。
彼女は封印の解き方がわからず、扉をぺたぺた触っていたところ、何処かから、封印の解き方を囁く言葉が聞こえてきた。
扉の奥の奥から、小さな小さな声が聞こえる。
彼女はまるで操られるように、その声に従った。言われた手順でやってみる。
やがて、扉の模様が輝き出し、ゆっくりとその光が消えると、入れ替わるように大きな扉が開き始める。
『封印は解けた。喜ばしい。報酬を与えよう。願い事は一つ』
ロレッタは吹き付けて来る邪悪な気配と、なんとも言えない臭気に一瞬怯んだ。だがきっとこれが、最後のチャンスだ。
「あたしを元の世界に帰して!!!」
扉からのっそりと、巨大な熊のような黒い影が這いずるように出て来た。人間の背丈で言うと、三倍の高さがある。
燃えるような赤い瞳、逆立つ毛は陽炎のように揺らめく。実体がないようで、ある、悪意の黒い塊に見えた。
ロレッタは全身が総毛だった。潜在的に沸き上がる、今まで感じたこともない恐怖。自分がまた、失敗した事を知った。足が縛られたように一歩も動かない。
『叶えよう。魂は帰るだろう』
「ロレッターーーー!!!!」
美女に振り下ろされた巨大な鍵爪を、走り寄った男が庇ってその身に受けた。背中から血が噴き上がる。そのままの勢いで、五メートル向こうの地面に叩きつけられた。
「王子さま!!!」
ロレッタは這いずるように、王子の元に向かった。ああ、自分は何て事をしてしまったのだろう。そして、どうしたらいいのだろう!
封印が解かれた気配を察知して、魔導士たちが飛び出して来た。
しかし下位の魔導士では太刀打ちできない、巨大な魔獣がそこにいた。
「王子さま、しっかりして」
一生懸命にゆする。王子は残された力で、必死に美女の手を振り払う。
「……逃げろ……」
封印の専門家マクシミリアンが、高位魔導士としては真っ先に駆けつけてきた。この世界の人間なら当たり前のように知っている、古の魔獣の恐ろしさ。現代に、その辺りに存在する魔獣など、野犬のようなものである。
三歳の子供ですら知っていて、この庭を恐れて近づかない。それぐらい有名で、凶悪な魔獣だ。長らく町や村を荒らしまわり、三百年前に呪術師の協力の元やっと、封印に成功した。
今はそのころより高位魔導士は人数を減らしている。しかも今、エステリア王国には国に従う呪術師はいない。
もう一度、封印しなおすのはおろか、動きを止める事すら難しいと思われた。
「何という事だ……」
魔獣は久々の自由に、歓喜の咆哮をあげた。
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