後編

「ここからが本題です。あなたは白石真美しらいしまみさんをご存じですね?」


 なにか反応があるかと思いましたが、女の子はあっけらかんと尋ね返してきました。


「最近自殺しちゃった子のこと? アイドルグループのひとりだったよね?」

「そうです。その白石真美さんです」


 白石さんは人気アイドルグルーブの主要メンバーとして活躍されていましたが、一ヶ月ほど前に二十三歳という若さでお亡くなりになられました。ご実家の自室で首吊り自殺を図られたのです。


 冷たくなっている白石さんを見つけたのは彼女の母親でした。白石さんのご家庭は母子家庭です。女手おんなでひとつで大切に育てたきたひとり娘が突然の自死。お母さまはどれほどのショックを受けたことでしょうか。そのお気持ちを想像すると言葉を失います。


 自殺の動機はネットリンチでした。白石さんは三十代前半の俳優さんと不倫をしていたのです。それをある週刊誌にすっぱ抜かれたのを機に、異常としか言いようがない苛烈なバッシングの的になりました。


 不倫は確かに褒められたことではないでしょう。しかし、本来は当事者同士で解決するものであり、他人がとやかくいうものではありません。バッシングを歪んだ正義と表現することもありますが、おそらくは単なるねたそねみでしかないはずです。芸能界という華やかな世界にいる人間を、どうにかして失落させたいだけに過ぎません。


 そんなつまらない嫉妬心のせいで、白石さんは亡くなってしまいました。本当にむごいことです。心よりお悔やみ申しあげます。


「でもさ、あの子も死ななくてもいいのにねえ……」

「ええ、残されたお母さまはお辛いでしょうね」


 僕はそう応じたあと、「ふんっ」と気合を入れました。


「うわッ」


 女の子は目を丸くして一歩後ずさりました。


「お兄さんがふたりになった! もしかして分身の術?」

「ええ、僕は分身の術もたしなんでいるのです」

「すげえ。幽霊、マジすげえ。ていうか、なんで分身?」

「僕は幽霊ではないのですよ。まあ、見ていてください。もっともっと増えますから。ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ」


 僕はどんどん分身していきました。ふたりが四人、四人が八人、どんどん、どんどん。五十人になって、百人になって――小石の多い畦道に僕が溢れ返ります。


「待って、待って、お兄さん増えすぎ! 何人になるつもり⁉」


 困惑する女の子を無視して僕は増えていきます。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ」

「いやいやいや、お兄さん、ほんとにヤバいって! どれだけ増えるのよ! お兄さんが凄いのはわかったけど、これはいくらなんでもやりすぎだって!」

「ふんっ、ふんっ、ふんっ」


 目的の数まで分身した僕は「ふうー」と呼吸を整えて、完全に引いた顔をしている女の子に告げました。


「僕の後ろにいる分身は五百人です。それから――」


 僕が指を差したので、女の子は自分の背後を振り返りました。


「げっ、こっちにもいる……」

「ええ、そちらにも五百人います。こちらの分身と合わせて千人です」

「千人イミフ……分身イミフ……」

「いえ、意味はあります。こうするための分身です」


 僕の背後にいる五百人の僕――そのうちのひとりが、畦道の小石を拾いあげて、女の子に投げつけました。それは女の子のひたいにコツンとあたりました。


「いてッ。なんで? 今、石投げたよね?」


 女の子は意味がわからないといった顔で額を押さえています。その女の子にまた五百人のうちのひとりが小石を投げつけました。


「ちょっと、痛いって。なにすんのよ!」

「僕は小石の怖さを知ってもらうためにここにやってきたのですよ」


 すると、たくさんの僕が次々と女の子に畦道の小石を投げつけはじめました。小石はひとり一個です。十人くらいの僕がいっせいに小石を投げて、次の十人に交代してまた小石を投げる。また次の十人交代して――その繰り返しです。


「いたッ、いたッ、ほんとに痛いって! マジ、やめて。痛い!」


 女の子は頭を抱えて座りこみました。その姿を見おろして僕は告げます。


「白石さんは誹謗中傷を苦にして自殺されました。あなたも白石さんのSNSにひどい書きこみをされていますね。その内容を資料で確認させてもらいましたが、中学二年生の女の子とは思えないような、下品で卑劣な言葉をたくさん使っていました。どこであんな言葉を覚えたのか、驚くばかりです」


 僕がそんな話をしているあいだも、女の子にどんどん石が飛んでいきます。女の子は逃げだす素ぶりを見せましたが、まわりには千人の僕がいます。それが壁のように立ちはだかって逃走を許しません。結局は頭を抱えてうずくまり、「やめて、やめて!」と叫んでいます。


 もちろん、女の子が嫌がっても投石をやめるつもりはありません。僕は女の子に教訓と制裁を与えるために、小石の多いこの道を選んで現れたのですから。


「白石さんも誹謗中傷をやめてほしかったでしょうね。でも、いっこうにやまなかった。今みたいな状態ですよ。おわかりですか?」


 僕の問いに女の子は答えませんでした。やはり「やめて、やめて!」と叫ぶばかりです。見れば、頭を抱えている女の子の細い腕に、血の滲んだ生傷が大量にできています。


「あなたは軽い気持ちで白石さんのSNSに誹謗中傷を書きこんだのではないですか? みんなも書きこんでいるから、私もちょっぴり悪口を言っちゃえ的な。実際にその書きこみで白石さんに与えた傷は、ほんのちょっぴりにすぎなかったはずです。小石を投げるつける程度の小さな傷だったでしょう。ですが――」


 千人の僕はなおも小石を投げ続けています。うずくまった女の子に次から次へとぶつけていきます。


「ひとつの小石で負う傷はごく小さなものだとしても、それがたくさん投げつけられるといかがなものでしょうね。堪え難い苦痛になるとは思いませんか?」


 女の子の腕はいつしか傷だらけになっています。スカートから覗く足も無残な状態です。セーラー服はあちこちが破れてボロボロになってきました。しかし、これはまだ序盤です。


 白石さんへの誹謗中傷の書きこみは全部で八〇六三件でした。端数はすうはおまけするとしても、僕はその書きこみと同等の八千人に分身して小石を投げるつもりです。女の子が泣こうが喚こうが無視です。小石の怖さを知ってもらうためには必要なことです。


 そうこうしているうちに、千人の分身が小石を投げ終えました。僕はまた「ふんっ、ふんっ、ふんっ」と分身を千人追加しました。しかし、今度は趣向を変えて石をぶつけてみようと思います。


 ひとりの僕が女の子を立たせて羽交はがい締めにしました。そして、無防備になった顔を狙い撃ちして次から次へと小石を投げつけます。女の子の顔はみるみる崩れていきました。瞼が赤黒くなって腫れあがり、裂けた唇から血が流れだしています。やがて、顔全体がボコボコになって、ひどくいびつな形になりました。


「いあ……え……で……えあぁ……」

「すみません。言ってることがイミフです」


 顔が腫れあがっているせいでしょう。発話も困難のようです。


「それにしても、暮らしにくい世の中になったものですねえ。以前はこんな制裁も部下にやらせて、僕はふんぞり返って命令するだけでよかったのです。でも、このご時世にそれをしてしまうとパワハラだとクレームが入り兼ねません。地獄の王の僕ですら時代にそぐわないとやっていけないなんて、なんともまあ世知せちがらい世の中です。あ、そういえば――」


 僕は今更になって気づきました。


「まだ自己紹介をしていませんね。申し遅れました。僕は閻魔大王えんまだいおうという者です。出張さばきと制裁のためにここまで出向いてまいりました。まあ、気を失ったあなたに自己紹介してみ意味ないでしょうけれど」


 女の子はもう小石をぶつけてもピクリとも動きませんでした。ぐったりとしていて、たくさんの僕にされるがままです。かなりの出血がありますから気を失ったのでしょう。小石の威力は絶大です。


 ややあって千人の分身が小石を投げ終えました。でも、八千人にはまだまだ到達していません。僕はさらに千人の分身を追加しました。しばらくしてその千人も小石を投げ終えましたので、もう千人増やします。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ」


 小石を投げつけられる気持ちがわからない方には、小石を投げてつけて知らしめるのが一番です。もちろん、女の子だけではありません。白石さんを死に追いやったその他の方たちにも、小石の威力を存分に味わっていただくつもりです。


 世の中は刻々と変わっていきます。時代にそぐうというのは大切なことです。しかし、いつの世であっても罪人は報いを受けるものなのです。


 さあ、もう千人。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふんっ」





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八千個の小石 烏目浩輔 @WATERES

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