50. 落日


 帰り道を歩いていくと、くすんだ銀色の大きなかたまりが暗闇の中に浮かび上がった。ミイが「あ」とそれを指さした。


「ねえ、見て。自転車」


「誰か捨てたのかな。ボロボロだな」


「サキ兄が昔乗ってたやつに似ている」


「確かに」


 後輪についたがれかけのステッカーが目に入った。


「いや、て言うか」


 ボディはへこんで、ハンドルは歪んでいるが、見間違えようがなかった。


「これ、俺の自転車だ」


 5年前に駅で捨てたはずの自転車だった。

 誰かに盗まれたか、撤去されてしまったのか、あの日以来見つかることがなかった。赤いステッカーは、高校で支給されたものだ。


「どうしてこんなところに」 


「誰かが盗んで捨ててったんだね」


「どうりで見つからなかったわけだよ。お前、こんなところにいたのか」


「まだ乗れそう?」


「どうだろ」


 草むらから自転車を取り出すと、サドルからポロポロと固まった泥が落ちていった。ペダルに手を置くと、チェーンが乾いた音を立てた。


「まだ動く」


「動くね」


「ちょっと汚いけど、チェーンも切れてないし。タイヤもまだいけると思う」


「荷台もあるしね。ウェットティッシュいる?」


「うん」


 サドルと荷台周りをふくと、ちょっとはマシな姿になった。ブレーキもちゃんと効く。ミイが嬉しそうに言った。


「二人乗りで帰れそうだね」


「よし、これ使うか」


「わーい」


 ミイを後ろの荷台に乗せて走り始める。チチチと音が鳴ると、ライトが点灯した。暗闇にわずかな光がともった。


 順調に自転車は走り出した。ミイが俺の背中に頬を置いた。


「サキ兄」


「ん」


「今日はありがとう」


 夜の風はさっきよりも少し冷たかった。


「一緒に来てくれて」


「お礼の方を言うのは、こっちだよ」


 ペダルに力を込める。なだらかな坂道をスピードを上げて下っていく。


「ありがとう」


「何に?」


「ミイが一緒にいてくれなかったら、ダメになっていたことがいろいろあるから」


 だからありがとうと、俺の身体に手を回した彼女に言う。


「あのさ」


 ミイが何かを言いかけた。


 その時、タイヤからパスンと音がした。バランスが崩れた車体を脚で支える。ミイが「わ」と驚いたような声を上げた。


「どうしたの?」


「パンクした。やっぱりもうダメだったな」


「そっか」


「歩いて帰ろう」


「うん」


 自転車から降りて、再び家を目指す。自転車をどうするか悩んだが、押していくことにした。


「持って帰るんだ」 


「直せば使えそうな気がする。せっかく見つけたんだから、置いていくのは忍びない」


「それもそうだね」


 さっきよりもゆっくりなペースで家に帰っていく。車輪と共に動く自転車のライトが、かすかに道を照らしていた。


「なあ。さっき何言いかけたんだ」


 ミイは遠く向こうの明かりに目を向けていた。


「別にいいや。大したことじゃない」


「何だよ。気になる」


「えーと。ね。本当に大したことじゃないんだけど」


 照れ臭そうに彼女は言った。


「さっきの私たち、すごく恋人みたいだなって思った」


 ミイはコクンとうなずいた。


「それだけ」


 それからサッと視線をそらした。


「ね。大したことじゃないでしょ」


「恋人だからな。別に照れる必要もないだろ」


「そういえばサキ兄、お姉ちゃんとも良く2人乗りしてたね」


「ああ、したよ」


 ミイの言葉にうなずく。

 ちょうどこんな感じの坂道だった。


「夏の、夕暮れ」


 どこにも行けるような感じ。あの時の太陽の熱さは、まだ手のひらに残っているような気がした。


「そんなこともあった」


 ミイが「思い出しちゃった?」と聞いてきたので「そうだな」と言葉を返した。


「そっか、思い出しちゃったか」


 ミイは残念そうに言った。

 そうして、また少し進んだところで、彼女は唐突に俺の腕を引っ張った。


「サキ兄」


 静かな声だった。


「こっち来て」


 途端、彼女の唇が触れている。


 じんわりと濡れた夜の匂い。 

 呼吸をすると、み切った空気が胸の奥に広がっていく。


 夏の夕暮れよりも、冷たくて苦くて、優しい。薄ぼんやりした闇の中で、目を開けなくても、彼女の唇の形は想像することができた。


「上書きしてやった」


 笑顔で言った彼女の身体が離れていく。


「もう、日は落ちたよ」


 自転車のハンドルから手が離れている。ガシャンと音を立てて、地面に転がった。


「ミイ」


 彼女を抱き寄せる。


 キスをする。


 新しい匂いが、胸の奥にやってくる。











 〜おしまい〜

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幼なじみの妹と、身体の関係になってしまった。 スタジオ.T @toto_nko

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