49. おめでとうって


 途中の花屋で仏花を買った。


 菊と向日葵ひまわりと、名前も知らない赤い花。


 駅前でタクシーを拾っていく。彼女の家の墓がある場所は、駅から少し遠い場所にある。


 走り始めて間もなくして、ミイは身を乗り出して声をあげた。


「あの、ここ右に曲がってください」


「あれ。道、違わないか」


「良いの」


 目的地から徐々に離れていく。

 なんでだ、と聞こうとしたが、思い詰めたようなミイの表情を見て、何も言えなくなった。


 その場所が見えてくるまで、彼女も何も言わなかった。


「停めて。停めてください」


 ミイは再び声をあげた。

 そこには懐かしい建物があった。ここもやはり、そう変わってはいなかった。


「そっか。もう閉店したのか」


 彼女たちの店は、ポツンとたたずんでいた。

 日焼けした看板。シャッターは何年も開いていないみたいに錆び付いている。


 ミイはしばらく、窓の外の建物を見つめていた。この春で閉めて、人の姿はない。


「行こっか」


 停まっていたのは、そんな長い時間では無かった。再び車が走り始める。

 ミイはまっすぐ前を見ながら、ぽつりと言った。


「あそこで良く泣いてた」


「店で?」


「うん。お父さんが死んでた場所で」


 辛くて、しばらく学校に行けない日もあった。


「お姉ちゃんは私のこと、ずっと見てたんだと思う。だから、私が泣ける場所を残しておいてくれたの」


「そうだな。あいつは、そう言う奴だ」


「優し過ぎるよ。本当に」


 ミイはポツリとこぼして、少し笑った。


 彼女たちの父親の墓に行くのは初めてだった。

 本当はもっと早く行くべきだったのかもしれない。踏ん切りがつかず、結局今日の今日まで引き伸ばしてしまった。


 到着した霊園には、もう遅い時間ともあって、ほとんど人はいなかった。夕日の中でただ墓石だけが、整然と照らされていた。お盆はまだ少し先だった。


 彼女たちの父親の墓は、奥の方の区画にあった。水の入った桶と花束、線香を持って歩いていく。


「ただいま」 


 そう言って、彼女は花を新しいものに移し替えた。新しいとは言えない墓石を水で洗った。足元ではねた水は生温かった。


「サキ兄」


 ミイがこっちを振り向いた。


「お先にどうぞ」


 ミイが俺を手招きした。

 墓の前で手を合わせた。


 線香の煙が胸の奥にたまっていく。胃の中でよどんで広がっていく。


 振り返ると、花瓶から取り出した、れた花束を持ちながらミイが立っていた。


「お父さんになんて言ったの?」


「ミイのこと、預かりますって」


「そしたらなんて?」 


 彼女の手元からポトンと枯れた花びらが落ちた。れて腐ったリンゴみたいな色をしていた。


「お願いしますってさ」


「本当に?」


「勝手にそう思った」


「そうかな。お父さん、喜ぶと思うけど」


 花束を地面に置くと、ミイは墓石の前に座った。

 彼女は黙って手を合わせていた。ピクリとも動かなかった。夏の風が彼女の髪を揺らした。毛先の色は向日葵ひまわりみたいに黄色かった。バニラが染めた金髪は、ミイのお気に入りだった。


 その背中をしばらく見つめていた。

 ミイがどんな表情をしているか、こっちから見ることはできなかった。


 彼女は静かに立ち上がった。

 何と言葉をかけて良いのか分からず黙っていると、ミイは不思議そうに口を開いた。


「なんて言ったか聞かないの」


「良いよ。だいたい分かるから」


「なんて言ったと思うの?」


「元気だよ、とか。そんな風に言った気がする」


「当たりだけど、ちょっと足りない」


 彼女はいたずらっぽく笑った。


「わたし預かられます、って言った」


「そしたら、なんて」


「おめでとうって」


 ミイは自分で言って「なんてね」と口に手を当てて笑った。


 墓石の周りはほとんど掃除する必要がなかった。たぶん、彼女の母親が定期的に掃除をしているのだろう。雑草も丁寧に刈られていた。


 夕日が落ちていく。霊園の入り口はすっかりシンとしていた。セミの声だけがうるさかった。


「しまった。タクシー行っちゃったね」


 車通りもほとんどなかった。見通しの良い畑の向こうに、雑木林が見える。あそこを越えていけば、県道に出られる。外灯の明かりがチラチラと目をかすった。


「待っておいてもらうの言うの忘れちゃったな」


「そうだね、どうしよう」


「タクシーもう一回、呼ぶか」


「もったいない。引っ越しで貯金ほとんどないし、節約しなきゃ。バス停まで歩こう。そんなに遠くないよ」


 霊園から出て、バス停までの道を歩いていく。日は落ちたがまだ十分すぎるほど暑かった。昔は歩くことなんて何ともなかったはずなのに、シャツの下を流れる汗が嫌に気持ち悪い。


 几帳面に舗装ほそうされた道路に、俺たちは2人だけだった。東京の雑踏と比べると現実感の薄い、湿気の多い空気の中を歩いていく。ミイは今どんな気持ちで歩いているんだろうか。横を見ると、普段とそんなに変わらない顔をしていた。


 駅まで向かうバス停は、伸びた夏草に覆われていた。ボロボロのトタン屋根の下で、大きながひらひらと舞っていた。


 ベンチに座ると、屋根の隙間から夕暮れの赤い光が入ってきていた。


「サキにい


 ペットボトルの水を飲んでから、ミイはおもむろに口を開いた。


「本当は後悔している?」


「後悔って?」


「お姉ちゃんのこと。もしも二人で逃げてたらって思うことはある?」


「あったよ」


「今も?」


 問いかける彼女は真剣だった。嘘をついたらすぐに分かるよ、とそんな顔をしていた。


「今も、あるよ」


「どんなふうに」


「ある。夢で見たりする。二人で暮らしている夢」


「幸せな夢?」


「幸せだなと思う」


「今よりも?」


「そんなことはない」


 足元にはゴミが散らばっていた。あめの包み紙の横を小さなアリがっていた。


「比べるものじゃないから」


 バスはまだ来なかった。予定時刻はとっくに過ぎていた。ミイは「そっか」と脚を伸ばして、道路の向こうに目を向けた。


「遅いね」


「良く遅れるからな」


 一時間たっても来る様子はなかった。日はとっぷりと落ちて、夜になってしまっていた。夜空に月と星が浮かんでいた。やることもなかったので、雑木林の中でホラー映画ごっこをしたり、適当に星座の名前をつけて遊ぶことにした。ミイがつけた「かにパン座」と言うのが一番それっぽかった。


 バスが来る様子はなかった。


「さすがに遅いなあ」


「もしかして、もう行っちゃったとかなあ」


「そもそも何時が終バスだったっけ」


 色あせた時刻表を再びミイがのぞきにいった。一時間に一本しか出ていないバスは、次の時間を逃したらもう帰れない。


「あ」


「どうした」


「もうバス終わってる」


「そんなばかな」


「ほら見て」


 ミイが時刻表の空欄を指差す。


「そっか今日、祝日だったよ。やっちゃったね」


「どうりで来ないわけだ」


「どうしよっか。もう遅いし」


「タクシー呼ぶか」


「そうしよう。お母さんにも連絡しなきゃ」


「ミイ、スマホは?」


「充電切れちゃった」


 ポケットから真っ暗な画面のスマホを取り出した。


「俺も切れてる」


「あーもー。ホラー映画ごっことかするからだよ」


「どうしようもないな。歩いて帰るしかないか」


「そうだね」


「きついなあ」


「良いよ。たまには歩こう。運動運動」


 ミイが先立って歩き始めた。仕方なく立ち上がると、彼女が俺の腕に飛び込んできて、楽しそうに笑った。


 上機嫌に鼻唄を歌いながら、街灯の少ない歩道もない道を進んで行った。雑木林が風に揺れた。緑の葉っぱから、チラチラと何匹もの虫が飛び立っていった。


















※次回、最終話になります。

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