第9話 家具たちとの生活
失うのは、いつも突然だ
と言う人もいる。けれどそこにはどんなに小さくても、確かに前触れとなる動きがある筈だ。
彼女の場合、それがいささか大きすぎて、逆に気づけなかったのかもしれない。
ある日、パソコンは遂に動かなくなった。
前々からフリーズしやすくなっていた。重いデータを扱うと動きが遅くなる。起動までの時間も長くなり、本体自体が熱をよく持つようになっていた。
不具合に気が付いていても、心のどこかではそれを認めたくない、まだ動いて欲しいという気持ちがある。
それは惰性と、使い慣れた「もの」への愛着。
そして今、電源ボタンを何度押しても、もうその画面が点くことは無かった。充電コードを繋いでも、バッテリーランプさえ点かない。真っ暗な画面に映るのは、自分の顔だけ。その焦点の向かう先に、光はない。
自分でスマホで調べて、可能な限り解決策を行ってみても、改善は見られない。ダメ元で修理にも出してはみたけれど、これはもう古い型だから直すことは出来ない、とのことだった。それに、直すよりも買い直した方が安く上がるから、とも。
ノートパソコンに入っていたデータは、全て事前にバックアップをとってある。
このパソコンを、もう動かすことはない。
買い替えることに、問題はない筈だった。
そういえば、俺がこのパソコンを買いに来たとき、どうやってこの白のノートパソコンに決めたんだろう。
値段、容量、メーカー、スペック…
比べて見る所は沢山あったはずだ。
俺は何を見て、このパソコンを選んだんだろう。もう何年も前のことだからよく覚えてはいない。
…それとも、一目惚れだったのだろうか。
どちらかともなく、惹かれていたのかもしれない。
売り場に置かれていたモデルを見て、その姿を見て、自分はこれを使いたいと、これしかないという気持ちが芽生えてしまって。
それから他のパソコンを見ても、店員にお勧めのパソコンを紹介されても、あの白のノートパソコンの姿が頭から離れなかった。
それでも、そこにある「もの」である以上、この世界にある以上、いつかは寿命が来るものだ。
それは、何であっても例外ではない。
このUSBに移したデータだって、いつ消えてもおかしくはない。元々のデータではなく、写し取ったものであるから、ずっとあるように見えているだけだ。
パソコンの画面を閉じる。
もう、使うことはない。そう頭で思いながらそっと手に取る。ずっしりとその感触が、重みが伝わってくる。こんなに、重かったっけ。
人の姿の時にこんなこと言ってたら、きっと怒ったんだろうな。
「…ありがとう。」
俺は、忘れないよ。
パソコン、お前がこれまで俺のためにしてくれたことを。
沢山のレポート、データ。
手に汗握った検索履歴
そして、擬人化した家具たちとの生活も。
俺が生きていくために、また新しい「もの」を使わないといけないけれど、それはお前たち前の「もの」たちが要らなくなったと言うことじゃない。
今は、まだ捨てられないよな。
そういえば、実家にも捨てられないデスクトップパソコンが置きっぱだったな。あれは父さんがよく使ってたやつだったけな。
あのデスクトップパソコンに入ってたミニゲーム、面白かったよなぁ。
俺も、このパソコンをいつかは捨てるときが来るのだろうか。
けれど、パソコンのことは忘れられない。
パソコンたちと過ごしたのは1ヶ月にも満たない、短い時間だった。
その記憶は少しずつ薄れていく。
けれど、この気持ちは、思い出すほどに濃くなっていく。
別れるからといって、もう使わなくなるからといって、忘れることは必要ない。
その思い出と共に、一緒に生きていくことも出来る。
少なくとも、俺個人の考え方だけれど。
月日は流れ、今日は引っ越しの日。
つまり、この部屋を出ていくということ。
荷物を全て運び出した部屋は、ずいぶん広く見えた。
段ボールの中には、洋服類と、本と、小物類と、これまで使っていたポットや寝具たち。
そこに入りきらない冷蔵庫や本棚、電子レンジや机は別に運び出してある。
忙しい時の中で、彼女達と過ごしていた生活はまるで夢のように思えた。
長いようであっという間だった就職活動を経て、地元ともこの町とも離れたとある企業に就職が決まった。大学を卒業し、新しいマンションも決まった。
あ、ちなみにヒロカズは、地元の方で就職が決まったらしい。これからは中々会えなくなる。
卒業式の日、ヒロカズはいつもと変わらない、ひょうひょうとした笑顔だった。
「けれど、無事卒業と就職できて良かったよなあ。」
「あぁ、お互いな。」
「まぁでも、またこれから色々あるんだろうけどな。」
桜の花びらが、空へとその枝と共に揺れている。
一度実家に寄ってから新居、といっても賃貸マンションだけれど。またそこに荷物を運ぶ予定だ。
数年間過ごした白の外壁のアパートを振り返る。…こいつが擬人化していたら、どうなっていたんだろうな。
色々なことがあったけれど、彼女たちとの生活は何だかんだで楽しかったのだと思う。
ユウトの口元には、笑みが浮かんでいた。
これまでの思い出と、これから始まる新生活への期待を胸に込めて、次の目的地へと向かう。
周りの景色が葉桜に変わる頃。
夜、オレンジ色に照らされた道を進む人影が1つ。マンションの階段を上がるコンクリートと革靴が鳴る音は新鮮だ。
今日は入社初日。頭の中を無数の情報と思考が飛び回っている。
ユウトが今にも閉じそうな瞼で玄関扉を開けると、独り暮らしのワンルームから、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「まさか…」
『お帰りなさい、ユウト!!』
見知った顔が、勢ぞろい。
そして、胸元にキャラクターシールが揺れる、白髪の少女がそこに居た。
「疲れてるのかな…俺。」
その口元は、緩んでいる。
思いの数だけ、彼女たちは現れる。
物を大切に、思う心が
彼女達を生み出している。
「とりあえず、家の中限定でお願いします…」
あなたの側にいる家具たちは、
どんな姿で、
どんな物語を、
家庭的ハーレム 藤井杠 @KouFujii
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