2 逆転するなら盛大かつ鮮やかに。
その少女は、ごくふつうの女子高生のような顔をして――裏では平気で人を殺す、金で雇われただ殺す、そんな血も涙もない悪魔みたいな殺し屋だ。
わたしの兄は、彼女によって殺された。
世間一般ではそれは事故として処理され、わたしのもとには兄の生命保険が入ってきた。
しかしわたしは納得できず、そのお金をもとに兄の死の真相を探った。
だって、信じられなかった。不自然だった。考えれば考えるほどに、そんなことは現実にありえないと思えて仕方なかった。
爆発事故に巻き込まれ、死体も身元が判別できない状態となって発見、なんて――そんなの、信じろという方が無理な話だ。
まるで疑ってくださいと言わんばかりの死に方だったんだから。
それに――
あの日は、わたしの誕生日だった。毎年兄がケーキとプレゼントを買ってきてくれて、夜には二人で過ごしていた。
それなのにあの日の兄の行動は――たとえば、朝からどことなく様子がおかしかったり、兄の携帯のGPSも、兄がこれまで足を運んだことのない場所への移動を示していて――
わたしはその日の兄の足取りを追いかけ、聞き込みし、そしてとうとう兄に近づいていた不審な人物を――
一度その姿をとらえると、あとは芋づる式に彼女の目撃証言、通っている学校、名前、その住所までもを特定することが出来た。
そして、彼女の裏の顔についても。
蛇の道はヘビというべきか、そこまで特定できたのも、わたしが彼女と同じような、金さえ出せばなんでも請け負う人々とかかわりをもったためである。
そうして――裏の世界に足を踏み入れたわたしは、彼女への復讐を果たすために銃を手に入れた。
兄を殺した井上情緒を、この手で始末するために。
■
引き金を引く前に、一つ、わたしには確認しておくことがある。
「どうして――いいえ、誰がお前に依頼して、兄を殺したの」
彼女は所詮、道具に過ぎない。その道具を使って、誰かが兄を殺したのだ。
しかし、どんなに探しても、兄に恨みを持つような人間は見つからなかった。
井上情緒を見つけるまでに注いだ資金より、その人物を探す方に金をかけたにもかかわらず、だ。
「それは生憎と――お仕事ですので、答えることは出来ません」
銃を突きつけられ、逃げ場のない路地裏に追いつめられているというのに、この少女にはまるで動じた様子がなかった。
聞いていた通りだ。この少女には、他人の感情を解する能力が欠けている。根っからの殺人機械。弾丸をぶち込むのにこれで躊躇はなくなったが――殺されるかもしれないというのに、依頼主の名前を吐かないその面倒さに、わたしの苛立ちは募る一方だ。
……これではきっと、痛めつけても意味がない。わたしの欲求は満たされるだろうが、その先の黒幕を思うと、ただ空しいだけだ。
だから、彼女を殺してまた探す。
「一つ、質問です」
「…………」
井上情緒が口を開く。わたしは銃口を上げる。
「あなた、本気でこの私を殺すおつもりですか?」
「殺すわ。兄を殺したお前を――」
「それなら、私の背後をとった瞬間にぐさりと、いえ――バンっと、やればよかったじゃないですか」
「――――」
「〝本気〟が足りていませんね。何もかも中途半端です。殺意が鈍い。だから――ご近所さんたちも、うっかり見過ごしていたのでしょう」
「!?」
瞬間、わたしは背後に人の気配を感じた。
気配なんてものじゃない――ただえさえ暗い路地裏に影を落とすように、その入り口を――
「お嬢、ずいぶん追いつめられちゃってるじゃねえの」
「その呼び方、やめてくれませんか、
振り返ると、そこには――先ほどすれ違った、近隣住民たちの姿が。
彼らは一様に、包丁や鈍器を手にしていて――
「っ!?」
わたしは訳が分からず、ただ銃口を彼らに、そして背後の井上情緒にと、交互に向けて己の身を守る他なかった。
「それが、殺意ですよ。本気で殺すつもりなら、人目を避けてこんなところにまで追い込むべきではありません。まあ、依頼主を聞き出すためというなら、それも理にかなってはいるのですが――それなら、
私のように、と。
井上情緒は両手を上げながらも、可憐な笑顔を浮かべて続ける。
「あなたにとって復讐とはなんですか? それを遂行することを人生の目的とするなら、あなたはなりふり構わず私を刺し殺すべきでした。銃など使わず、計画など立てず、後先考えず見つけ次第ずぶりと。
銃を使うのは、直接手を下すことへの躊躇いでしょう。計画を立てたのは、あなたが復讐に全てを懸けきれていないからだ。それを果たせば自分はもうどうなっても構わない、それくらいの覚悟が足りなかったから。
それくらいの強さがあったなら、こんなことにはならなかったというのに。
中途半端なんですよ。だから――だから、愛想をつかされるのです」
「なに、を……」
「職業倫理に反しますが、今後狙われても困りますので――まあ、真実をお話しましょうか」
「しん、じつ……?」
「ええ、一度しか言わないのでしっかり聞いてくださいね。私はあなたの心理状態に配慮しませんから。では、言いますよ――私の依頼主は、あなたのお兄さんその人です」
「は……?」
何を言っているのか、すぐには呑み込めなかった。そんなわたしの心情などお構いなしに、井上情緒は早口に告げる。
「あなたのお兄さんは、引きこもりの妹に愛想をつかしたのです。妹を養う生活に疲れたのです。だから、私に殺してほしいと依頼したのです。私はてっきり妹さんを殺せばいいのだと思いました。しかし、彼の依頼はこうです。自分を事故に見せかけて殺してほしい、妹の手に保険金が渡るように、と」
ことん、と。何かの落ちる音がした。
それは、わたしの手から滑り落ちた拳銃だった。
「すべては、あなたを更生させるためでした。兄の死をきっかけに、あなたが自立することを彼は望んだのです。保険金はそのための軍資金――だった、のですが。その様子を見るに、どうやら使い切ってしまったようで」
がくん、と。視界が揺れる。
わたしはいつの間にか、その場に膝をついていた。
「本当に――私をここまで追い詰めるほどのその執念が、もっと早く、もっと他のことにも向けられていたのなら、お兄さんもあなたを見捨てなかったでしょうに。
でも、安心してください。今ならまだやり直せますよ。それこそ、私を見つけ出すほどの行動力があるのなら、あなたはきっと自立できます。中途半端な復讐計画だったのなら、中途半端に『その先』を考えていたのでしょう。全てを懸けきれなかったのだから、残った人生を懸命に生きてください」
そう言って、井上情緒はわたしに一歩近づいた。
その足元には拳銃があって、わたしはとっさに――
「……わたしを、殺して……」
兄に見捨てられ、無様に生きながらえるなんて嫌だ。
復讐のその先なんて考えていない。そもそも考えられない。兄を殺した人を、ただ殺せればいいと、盲目に、それだけを追い求め、それだけで頭がいっぱいで――
それを失った今のわたしには、もう何もない。
「生きてくださいと言ったばかりなのですが、聞いてませんでしたか? それから、人を殺すことそれ自体は簡単ですが、その処理には多くの人がかかわり、大変な労力を要するのです。幸い人手は足りていますけど――私はプロなので、タダの殺しはしないんです」
「お金なら、まだ少しあるから……だから――」
「はあ」
了解とも呆れともつかない吐息が漏れ、わたしの視界の先で井上情緒が身をかがめた。
拳銃を拾ったのだろう。わたしは目を閉じる。
「その
……もう死なせて。
――ぱちん、と。
額に、鋭い痛みがあった。
「朝の私は可憐で素敵な女子高生なので、でこぴんで勘弁してあげましょう。制服に硝煙のにおいを残したくありませんし。殺してほしければバイトでもしてお金を貯めて、正式に依頼してください。それでは、遅刻しますので」
あっさりと、彼女はわたしの横を抜けて行った。
路地裏を覆うようだった多数の人影がすっと晴れる。
軽やかな足音が、雑踏に溶け込んでいく。
わたしは一人、その場に取り残された。
「あ、そうそう。これは内緒なんですが――今後は、雲隠れしたお兄さんを探すのに一生を懸けてはどうでしょう?」
振り返ったとき、そこにもう井上情緒の姿はなかった。
井上情緒なアイに溢れている。 人生 @hitoiki
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