井上情緒なアイに溢れている。

人生

1 ピンチになってもあせらずに。




 私の名前は井上いのうえ情緒じょうちょ、どこにでもいない女子高生。

 だって、人より可愛いから。

 恨まれても仕方ありませんよね。


 あ、これはみなさんには内緒なんですが、実は殺し屋バイトやってます。




                  ■




 それはいつもと変わらない朝のこと。

 登校するため家を出た私は、しばらく歩いたところで背後に人の気配を感じました。


「……振り返るな」


 声は女のものです。振り返ろうとした私の身動きを封じようとするように、なんでしょう、背中に何かが押し当てられます。それは硬質なもので、もしも相手が男性だったら私は変質者だと声を上げていたでしょう。


 ……銃、でしょうか。

 こんな平和な朝の住宅街のど真ん中で、まさかそんな物騒なものを取り出す輩がいるなんて。まったくもって非常識です。暗黙のルールというやつを知らないのでしょうか。今は平和な朝の時間、私はただの――おっと、素敵で可愛い女子高生だというのに。

 そうたとえば、新聞を取りに出てきたお隣の山中やまなかさんと目が合ったら、「おはようございます」と可憐に頭を下げるのです。決して振り返って背後の女を斬りつけたりは致しません。武器もないですし。


「……歩け。変な真似はするな」


 暗に撃つぞと脅しながら、女は私を突っつき前進を促します。

 彼女は非常識ですが、とても肝が据わっていますね。私は言われるままに足を動かしながら、


「何もしませんよ。ただ、私の様子がいつもと違っていたら、ご近所さんたちが不審に思いますよ」


 こっそり彼女に忠告し、「おはよう、今日も可愛いね~」とひとの状況も知らず今日もおじさんくさい、呑気な山中さんに笑みを返します。平然を装いつつ、強いられるままに歩き出します。


 私は遅刻したくないのでそのまま学校に行きたいのですが――さて。


 この人は、どこへ行こうというのでしょう。そしてこの私に何をする気でしょう。

 そもそもこの人はどこのどなたで、どうして私がこんな目に遭っているのでしょうか。


 ――ええ、白々しいですね。


 まあ要するに、この人は私を殺すつもりなのでしょう。きっと私が殺した誰かの関係者で、その復讐をするつもりなのです。仕事だから仕方なかったとはいえ、恨まれるのは心外なのですが。


 それにしても、驚きです。こんな事態は初めてなのです。


「…………」


 私は一見冷静であるように見えますが、実は内心とても困惑しています。

 山中さんは私を見ましたし、ちらりと背後の女にも目を向けました。しかし、いつも通りの反応を返します。まさか、買収されたのでしょうか。そうは思いたくありませんし、実際それは非効率です。

 なぜなら、


「おはよう情緒ちゃん」


「はいおはようございます、堀田ほったのおばさん」


 この近隣の住民全てを買収しなければ、証拠はもみ消せません。


 そうなると、疑問が残ります。

 どうしてみなさん、背後の女を不審に思わないのでしょうか。多少気にはなっていたようでしたが、特に声をかけるでもなければ、私にたずねることもしません。

 銃こそうまく隠せていても、見知らぬ女がご近所の可愛い女子高生の後をついて回っているのは明らかに不審です。私なら「後ろの方は?」とたずねたり、あるいは笑顔で挨拶してからこっそり警察に通報するでしょう。みなさんはしてくれるでしょうか。分かりません。


 女性だから、でしょうか。

 しかし、復讐を目的として私に近づいてきたからには、一見平然を装っていても、何かしら物々しい雰囲気というものを身にまとっているはずです。それに気づかないご近所さんでもないでしょう。


 ……うーん、やっぱり朝だからでしょうか?


 そんな私の疑問は、曲がり角を折れたところで不意に氷解します。


 カーブミラーです。そこに女の姿が映り込み、私は全てを悟りました。


 彼女は、私と同じ制服を着ていたのです。


 なるほど、考えましたね。身にまとっていたのは制服でしたか。同じ制服を着ている=クラスメイト・友人。それなら朝から私の後ろにいても不審には思われません。


 それに――私は可憐で素敵な女子高生なので、同じ制服を着ている女性はどうしても見劣りしてしまいます。カモフラージュには最適ですね。私の存在感を利用することで見事、自身の怪しさをごまかしているのです。


 さて――疑問は一つ解決しましたが、彼女はいったいどうやって私の存在を突き止めたのでしょう?


 もしも自力で突き止めたというなら、それは賞賛ものです。なぜなら私の仕事は完璧でしたので、よっぽどのことがなければアシがつくはずがないからです。

 よっぽどのことといえば、仕事の斡旋者である私のボスに何かがあったか、です。まさかボスが私を売るとは思えませんし――問題の仕事の依頼主から情報が漏れた可能性もありますが、今回の件でいえばそれはほとんどありえないのではないかと私は考えます。


 それでもこうして、背後をとられている――それはつまり、彼女の調査能力が、私の状況把握能力の上を行くということです。


 よっぽどの執念があったのでしょう。そうでなければ、警察組織のような数の力を活かすしか私を見つけ出す手段はあり得ません。

 私は完璧ですが、そのために生憎と、とっても可愛い容姿をもっています。私を一目見れば、その可憐な笑みを忘れられる人はごく稀です。それはつまり、目撃証言を得ることは容易いということです。

 たとえばどこかの監視カメラや車載カメラ、誰かが私に見惚れて撮った写真――世界中が私を見ていると言っても過言ではないので、警察のような地道で泥臭い調査を続ければ、あるいは、私の影を捉えることも出来るでしょう。


 ええ、まったく恐れ入りました。私の美貌もさることながら、彼女のその復讐心――裏を返せば、私が殺した人への愛情に。


 それは、どれほど深い愛なのでしょう。そして、どれだけの喪失と、それを補って余りある執念――私への憎しみを抱いたのか。


 ぜひそのお話をお聞かせ願いたいのですが――


 しかし、残念。


「そこに入れ」


 私は人通りのない路地の、さらにその裏へと追いやられます。

 その先は行き止まりで、振り返った私の前には拳銃を手にした制服姿の女。


 絶体絶命です。


 再三言うようですが、朝の私は普通の……いえいえ可憐で高貴な女子高生。

 武器もなければ、反撃する手段も特に持ちません。

 撃たれたら死にます。どうしましょう。



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