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 追いかけてきた地面の影が僕の影とかぶさりかける。来るだろうと思った時を待って僕は、足を止め、目を強くつむった。


 ……が、少ししても何も変わったような感覚がなかった。


 あれ、と思って目を開ける。

 日の落ちた、住宅街が目に入った。周囲に人はいない。家々の明かりが、その存在を主張する様に明るくつき始める。

 自分の体を確かめてみた。変化はない。先刻となんら変わりない泥だらけの自分の体がそこには確かにあった。


 ――……こうして、僕とソイツの邂逅は突然終わった。


 突然始まり、突然終わった出来事。けれど、僕がソイツの正体に気づいたのは、なんとそれから十年もの歳月が流れた時の事だったりする。


 ソイツの正体は、物体や人物によって直進性の光が遮られた結果生まれるもの――つまりは、本当にただの『影』だった。


 夕暮れ時の日の光と、薄っすらとだがつき始めた街灯たちの光。この二つ同時に違う方向から当たったせいで、地面に二つ影が出来てしまった、という間抜けなオチがソイツの正体だった。自分が地面の追いかけられているように見えたのは、それが違う角度の光から生まれた自分の影だからということだ。

 自分の影が自分のあとを追ってくるのは当たり前だ。どこぞの童話の主人公じゃあるまいし、影が自分から逃げ出すだなんて、そんなこと物理的にあり得るはずがない。


 つまり、僕は僕から逃げていたという話だ。

 ほんとうに間の抜けたオチだ。


 そもそも、気がつくのに十年もの歳月がかかったという時点で間抜けだ。十年後、現在、大学生。僕の隣で一緒に家への帰路につく恋人の足元を見た時、伸びている影が二つあったことに気づき、あっ、と思い出したのだ。

 それまで忘れていたというのもよっぽどだが、この出来事がなければ一生気づかなかったかもしれない頭のトロさには、我ながら苦笑ものである。


 けれど、それでも一つ、謎は残っている。


 僕が聞いたあの足音。あれはなんだったのか。

 確かにあのとき、僕は足音を聞いた。影が光のせいで生まれたものだというのならば、聞こえてきた足音は一体なんだったのか。

 わからない。あの頃よりも大きくなった今も、世の中にはまだ、わからない事がいくつもある。

 

 けれど、それでも確かな事実はある。

 

 僕はあそこで『ソイツ』から逃げ切れた。


 たとえば、こんな嫌な事ばかりの世の中でも、僕の隣を歩く愛しい人が出来たように、

 何万人、何十万人という人間がいる中で僕を愛しいと思ってくれる相手が存在してくれたように、

 僕がその手を握り取る事を選んだように、

 今、影を二つに伸ばし、共に歩ける存在が、帰れる場所が、確かな事実としてこの手の中にある事――それは、僕がたとえどんなにダメ人間であったとしても、今ある現実だ。


 だから『ソイツ』がなんであれ、僕が『ソイツ』から逃げ切った事もまた、確かな事実だ。


 あの後、見渡した辺りの見覚えある風景に、自分がいつの間にか家の前をずいぶんと通り過ぎたところにまで来ていた事に気がついた。

 時間もずいぶんと経っていたらしく、顔を上げれば、眩しい街灯の光が視界いっぱいに飛び込んでくる。その上の空は藍色で埋められ、小さな星々がきらめいていた。

 きっともう、母は家に帰ってきてるのだろうと思った。怒られることは目に見えていた。


 でも、なんとなく帰ろうと思った。だって、ソイツから逃げ切れたのだ。


 僕はまだ、僕のままだった。


 なら、家に帰ろう。もう少し、僕のまま頑張って歩いてみるのも悪くないかもしれない。

 足元を見てみた。影は一つしかなかった。僕の足から伸びている黒い、惨めなほどに小さな影。


 街灯に照らされた僕の影だった。


――END

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夕暮れ時のソイツ 勝哉 道花 @1354chika

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