3

 足音は僕の後ろから聞こえて来た。少しずつ大きくなっている。どうやら誰かがこちらに向かって走ってきているようだった。

 そういえば、朝、夕になると住宅街ではランニングをしている大人がいたりする。この足音もその人のものかもしれない。

 いやだな、と思った。この姿を誰かに見られるのは。きっと笑われるに違いない。

 でも、どこかに隠れようにも、隠れられる場所なんてのはない。結局、僕は走り続けることしか出来なかった。

 走る僕の後を追いかけてくるように、その足音も続く。しばらくそうやって走り続けて、ふとそのおかしさに気がついた。


 一向に、抜かされる気配がない。


 相手は大の大人なのだ。子供の僕の走りを抜かせないだなんて、そんなことあり得るだろうか。

 でも、足音は少しずつであるが、確かに僕の方へと近づいてきている。


 タッタッタッタッタッ、タッタッタッタッタッ。軽快な足音だ。


 そこで、僕はふと気づいた。

 聞こえてくる足音と僕の足が動くタイミングが一緒なのだ。

 試しに少しゆっくりめに走ってみた。タッ、タッ、タッ、タッ――。すると、後ろの足音の音も変わる。タッ、タッ、タッ、タッ。


 後ろを振り返る。誰もいない空間がそこにはあった。

 足元を見てみた。冷たい汗を背筋に伝わせながら。


 地面に影が二つ。

 同じ形をした影が、地面を走っていた。


 瞬間、僕は走る速度をあげた。


 けれど、僕が足を速めれば速めるほど、後ろの足音も速まる。

 ソイツに関するウワサが僕の頭の中を巡った。ソイツに捕まったら最後、交換される。僕がソイツになる。


 いやだ、いやだ、いやだ。そんなのいやだ。

 追いつかれてたまるものか。


 けど、次第に僕の足は遅くなる。元々体力も足の速さもないというのが理由だが、さらに体にまとわりつくドブのせいだった。ランドセルも服も靴も、僕自身の髪も、いつもよりも重たい。走るほどに、僕の長い前髪から垂れてきた泥が僕の目に入り、思わず痛みに目をつむりかける。

 僕の足に合わせて、後ろの足音の速さも変わる。けれど、足音は先ほどよりも大きくなっている。着実に僕に近づいてきていた。どうしようもなかった。


 ――ああ、僕は、なにをしているんだろう。


 足がもつれそうになり、体がよろける。あがりすぎた息が、酸素を求めてヒューヒューと喉を鳴らし始める。

 どうして僕は走っているのだろう。なんで僕はコイツから逃げているんだろう。だって、逃げた先になにがあるって言うんだ。

 どうせ逃げたって、明日も僕はイジメられる。汚いとお父さんとお母さんに罵られる。あるのは、嫌なことばかりだ。逃げたって、今逃げ切れたって、どこにも僕が行ける場所はない。


 ――もう、いいんじゃないか。


 だってここまで頑張ったんだ。

 頑張って逃げてきたんだ。

 頑張って頑張って、ずっと走ってきたんだ。

 もうやめたってバチは当たらないだろう。

 あぁ、もう。


「つかれたなぁ」


 ぽろりと、一際、大きな滴が僕の頬をつたった。

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