第3話

 夏休み。

 雪乃グループの男子7人、加代を含む女子5人は、雪乃の海の別荘に招待された。

 僕も誘われたが家庭の事情で参加できない。これでも一応神職として神祭じんさいの末席に連なるのだ。


 それに調べたいこともあった。


 加代から連絡があったのは15日の朝だ。

 宮田と中家の二人が海で溺れて死にかけたという。

「二人とも、今はもう大丈夫……でもないか。すっかりしょげちゃって、事故になったら雪乃ちゃんに申し訳なかったって言ってる」


「雪乃は? どうしてる?」

 何よりそれが気になった。


「それが法事があるとかで、昨日そちらに帰っちゃったの。用事が終わったら戻ってくるって言ってたけど」

「加代。帰ってこい。杉下にも声をかけて、みんなを説得して帰ってこい。もう海には近づくな」


 加代からの電話を切った僕は、御幣ごへいを仕込んだ結界を作る縄を身体に巻き付け、上から狩衣かりぎぬを着ると見返り坂に向かった。


 見返り坂の手前にはバス停が有り、以前その一部を姫原女子校のスクールバスが使っていた。そのバスはコースが変わり、今、坂道は歩行者だけの指定通学路だ。

 

 バス停を通り過ぎた辺りから、なにかがついてくる気配がした。


 見返り坂の上で立ち止まる。


 吐息のような風が耳許を通り抜けた。


 振り返ると雪乃がいた。

  

「鈴木雪乃さん。あなたはこの坂のバスの事故で死んだのではありませんか?」


「いいえ。私は生きています。死んだのは国木あられ。今、代わります」

 雪乃のあられが微笑んだ。

「貴方に逢いたかった」

「僕に? 本当は中家や宮田の魂魄こんぱく黄泉よみに連れて行こうとしていたのでは?」


「誤解をさせてしまったようね。私達は、ご両親が離婚をしようとしてるので悩んでいる宮田君を元気つけていただけなの。中家君とは、偶然足を閉じたら蚊を挟んだ事を言って足を見せたら、『幸せな蚊だ』と言ったので、だいぶ考えてその意味に気がつきました。あれは確かにまずかったけど」

「幽体なのに蚊に刺されるんだ」

「だって雪乃は実体だもの」

 

「それで、あなたが現れた訳はなんでしょう」


「貴方に伝えることがあるの」


 ――あのとき――

「下り坂で運転手がブレーキを踏み、私達は前のめりになった。そのとき足元で音がしてバスのブレーキが弱くなった。バスは加速が始まり、また何かがはじけ飛ぶ音がした。運転手の悲鳴がバスの中に響いた。次々に音がする度、バスは加速した。私達の恐怖を乗せて坂道を下っていき、とうとう下から上がってくるクレーン車にぶつかったの」


「覚えています」

 忘れるわけがない。


 僕は中学3年で、丁度自転車で通りかかったところだった。

 もの凄い音がしてバスが横倒しになった。僕はバスに飛び乗り、下から押し上げられてくる学生を次々に窓から引き上げた。最後に残った女子学生が一番重傷なのに人を押し上げていたせいで、自分は動くこともできなくなっていた。


「それが私。雪乃は最後の一人で私を立ち上がらせようとした。でも私は限界だったので、『私の肩に乗ってあなたが出て、誰かを呼んで来て』そう言って雪乃を外に出した」


「僕は窓から車内に入り、動けない彼女を背負い、非常扉からやっと出た」

 アスファルトに寝かせたその女子学生は、「血が出すぎたし、もう駄目ね。折れた骨が心臓かどこかを傷つけたみたい」と言い、「死にたくない」と、泣きながら「お願いがあるの」と僕の手を握った。


「朝出て来るときに両親と喧嘩をしたの。私を姫女の偏差値を上げるために利用しようとしていたから……。そのことも、先に死ぬことも謝っていたと伝えて。それから、パパとママの子供で幸せでしたと。もう一度パパとママの子で生まれてくるからって。私を産んでくださいって……」


「嫌だ。謝るのも、ありがとうも自分で言え」


 僕は始めて目の前で人の命が失われていく場面に出会った。

 突然現れた永遠の別れが切なくて涙が止まらなくなった。

「頑張れ。静かにしていれば出血も少なくなる。ほら救急車のサイレンが聞こえてきただろ。意識を途絶えさせるな。もうすぐだから」

「あなたの名前を聞かせて」

「僕は、かみのみや、なると」

「なると君。もしよかったら今からでも付き合ってくれないかな。彼もいないまま逝くのは淋しい」

「わかった。喜んで付き合うから頑張って。逝かないで」


 僕はあのとき、どこをどうすれば少女を助けることができたのだろう。

 あまりにも無力な僕は脱いだワイシャツで、圧迫止血とその少女の顔を拭くことしかできなかった。


 病院で少女の両親を見つけて彼女の言葉を伝えた。

それから、他の怪我人をバスから出すために、自分が動けなくなる最後まで車内に残っていたことも。


 泣き崩れる二人の大人を支えるだけの言葉を持たない僕は、彼女の血が付いたワイシャツを尊いもののように再び着て、フラフラと自転車を押して学校に行った。


「あの少女が君だったんだね。顔が違っていたからわからなかった。会えて嬉しいよ」

「伝えたいことがあるの」

 雪乃のあられが言う。

「あのバスのシャーシはね、国交改善のために外国で作ったものを輸入して日本のメーカーがボディを乗せたの。ブレーキが欠陥だった。今度、あなたの学校が買う遠征用のバスも、ビルダーは違うけど、こっそり同じシャーシを使うから、それをあなたに伝えたかった」

  

 僕は伯父から聞いた、松園の雪女の話しを思い出した。


 自分は雪中で死んで、魂になっても雪女に姿を変えて想う人を助ける、浄瑠璃の一場面の絵。

 

 雪乃の美しさは、あられの精神の美しさと共に存在していたからなのだと思う。


「あと一つ。あなたは私と約束したわ。私と付き合ってくれるって」

 確かにあの混乱の最中にそんな話をした。


「いいよ」

 これが取り憑かれるということであっても、僕は喜んでとつきあう。そして雪乃と共に、あられの冥福を祈ろうと思う。


―― 完 ――

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雪女 赤雪 妖 @0220

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