第11話 そうだな、と笑って、彼は生きる決心をした

「わたし……はじめに、なにを願ったか、思い出しました。さみしくて、どうしても、あなたに会いたいというか、連れてきたいって……思っちゃったのかもしれません。ごめんなさい」

 願う? エリは小首をかしげて、「番号のほかに、なにか希望できることがあるの?」と聞いた。

 405号が3103号からそっと離れて、エリに教えた。

「面接のときに、これから先、どうしたいかって、決められるの。わたしは、3103号とずーっといっしょがいいですって、言ったの」

「サトは……なにを……願ったの?」

 絞り出すようなシンヤの声に、3103号はただただ微笑む。

「約束通り、大きく、偉くなるあなたを見ていたいって。いつか、あなたの名前がゼロさまの書類に載ったとき、わたしがお迎えに行きたいって」

「でもまだ書類に名前はなかったの」

「だから……ごめんなさい」

「俺こそ、ごめん……」

「え……」

「いつの間にか、ちょっと、気持ち、折れてたなあ。サトと約束したこと、絶対守るって、思ってたのにな」

 それを聞いた3103号は、思わず、シンヤに抱き着いた。透けているはずのシンヤの身体に、ふわっとあたたかな毛の感触が、少し戻っていた。

 ああ、サト。このあたたかさは、サトのと同じだ。シンヤは思った。

「シンヤ……!」

「ごめんな。ごめんな、サト。やっぱり、俺、まだ、行けないや」

 エリが心底ほっとした顔で、シンヤを見ていた。

「おにーちゃん」

「それでいいんだよね。もうちょっと待たなきゃね、3103号」

 405号の言葉に、3103号はすこしこぼれた涙をぬぐった。

「もちろん。今度こそ、ちゃんと待ちますから……」

「待っててな。どんなにじいちゃんになっても、ちゃんと、俺、見つけてくれよ」

「はい。どんなにおじいちゃんになってても、シンヤはシンヤです。手をつないで、のぼっていきましょうね」

「うん、もちろんだ。もちろんだよ……」

 あふれる涙もぬぐわず、シンヤは泣きながら3103号を抱きしめていた。

 405号が、空を指さす。

「3103号。ゼロさまが呼んでるよー」

 きっと大行列をさばくのに大変なのだろう。交通整理を手伝わなくてはならない。

 シンヤと3103号は、名残惜しそうに、身体を離した。

「じゃ、【また】な。サト」

「はい。【また】」

 微笑みあって、柔らかに手を握る。涙はすっかり、乾いていた。

 3103号の身体と、405号の身体が、すうと薄くなる。最後の最後まで、シンヤの手を握ったまま、彼女は、ふたりの前から姿を消した。とびっきりの、笑顔を残して。

「あ……」

「帰っちゃったんだ……」

「たぶんな……」

 エリも名残惜しそうな顔で、遠くを見た。

「また会えるかな?」

「いや、次はもうアレだろ、俺がほんとうにいなくなるときだろ。もうすこし時間がたってから、そうだよな、サト」

 太陽の方向を見て、その名を呼ぶ。返事があるわけではないけれど、シンヤは、ありがとう――と、つぶやいた。

「まだまだ。おにーちゃんにはわたしの花嫁姿も見てもらわなきゃ!」

「え⁉ まさか予定あんのかお前!」

「ないわよ。ないから、頑張ってもらわなきゃね。おにーちゃん、偉くもならなきゃいけないし!」

「……そっか。そうだな」

 納得して、シンヤは笑った。そうだ。まだ果たせていない約束は、たくさんある。だから俺はここに残った。

「さ、おにーちゃん。とにかくその身体、元に戻さなきゃ!」

「あ、そっか、でもこれどうしたらいいのかなあ?」

「405号ちゃんが言ってたでしょ、その気になれば戻れるって!」

「だからその気ってどの気だよ!」

「もしものときは大家さんに頼もう!」

「大家さんそんなこともできるのかあ⁉」

「大丈夫、若いときに通信教育でいろいろと勉強したって先週言ってた!」

「ウワア不安だよ‼」

 ふたりは明るく会話しながら――まだ、戻れるかどうかという不安こそあったけれど――大家の待つアパートへ、帰っていくのだった。



 川岸のベンチでは、そんなふたりの姿を、3103号が見送っていた。405号を隣に座らせて、頭をなでながら、その表情はとても優しい微笑みだった。

 3103号は、シンヤの背中に手を振ろうとしたが、やめた。

 また。いつかの、約束の日まで。



――了――

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さよなら、手を振るその前に 担倉 刻 @Toki_Ninakura

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