第5話 VSシオンくん

 さて、ひとまず危機を脱したところで、いよいよ風呂の番が回ってきたため、俺とシオンくんは脱衣所へ。


 洗面所兼脱衣所には、タオルを置く棚と、手洗い場。脱いだ服を入れておくかごがある。シオンくん情報によると、洗濯は風呂場で各自が行うらしい。


「くす、さっきはごめんね、いぶき先生」


 黒いタイツを脱ぎながら、シオンくんが口を開く。


「……あ、ああ、ま、まあいいんだけどさ。なんであんなことを?」


「ええ~? だっていぶき先生、レオの服の中見てドキドキしてたでしょ?」


「い、いや別に、そんなことないって」


 と言いつつ、内心穏やかじゃない俺。それを誤魔化すように、さっさと服を脱ぐが。


「んっ、ん、んー……。ねえいぶき先生、ワンピ脱がせて」


 思わずシオンくんを振り向くと、黒いロングワンピースを脱ぎかけで諦め、頭からすっぽりかぶったまま両手を掲げている。


「えーっと……服が長すぎて脱げねえのか? ってそんなわけねえだろ、自分の服なんだからよ」


 すると、ワンピースの中から楽しそうな声が。


「え~、バレちゃったかあ。まあいいでしょ、ほら引っ張って」


 と、両手を上げたままぴょんぴょん跳ねるシオンくん。


 このままではらちが明かないと思い、観念してワンピースを真上に引っ張って脱がしてやるが、またも絶句する俺。


「⁉ し、シオンくん⁉ ぱ、ぱんつは?」


「へ? いや、ボク、タイツの下はノーパンだよ?」


「ま、マジか……。い、いいから入るぞ」


 俺はシオンくんの身体をあまり見ないようにして、彼のワンピースをさっさと畳んで浴室に入る。


 風呂は、一般的な人間界の家庭……よりほんのわずかに広いイメージだ。


 壁や床の材質は人間界のそれと変わらず、樹脂ってところか。ちょい曇り気味な縦張りの鏡とイス、桶型の洗面器。そしてボディソープ、シャンプー、コンディショナーがそれぞれ置いてある感じだった。


 そして、シオンくんに色々と教えてもらい、彼の頼みでまず身体を洗ってやる。


 これはただ洗ってあげるというより、毛づくろいに近いイメージだ。


 彼らにとって最高に気持ちいい感触だという薄黄金色のタオルで、全身を少し力を入れてくまなく洗う。これで病気の予防や血流、リンパの流れの調整などの効果があるとか。


 これは他人にやってもらうことでより効果があり、そのためにふたり以上で入浴するとのこと。


「よし、それじゃあ流すぞ」


「先生、は?」


 と言って、悪い顔で下腹部のその下を指し示す美少年。


「そこは自分で洗え」


「は~い。……ノエル先生なら洗ってくれるのになあ」


 ぼそっと言っても十分聞こえてるんだよな。


「ま、マジ?」


「うふふ、どっちだと思う? それじゃあ、先生も洗ってあげる」


 と言って見事にスルーし、俺の手からタオルを取って背後に回るシオンくん。


 そして、痛くはないが、けっこうな力で背中を洗ってくれる。確かにこれは気持ちいいな、くせになりそうだ。


 いや、それよりも。


「ちょ、シオンくん、重要なところを濁さないで。ノエル先生はどうなんだ?」


「ひ~み~つ。ねえねえ、それより先生」


「ちょ、なんだよ、そんなにくっつくなって」


 シオンくんは俺の背中を洗ったあと、おんぶと言わんばかりに背中に乗り、身体を密着させて両腕を回すと、耳もとでささやく。


「ボクのこと、どう思ってるの? かわいい? それとも、ヘンタイだと思う?」


 やばいってこれは。シオンくんは中性的で非常にかわいい顔をしているので、誇張なしに美人なんだよ。


 さらに、シオンくんの身体や、長く垂れ、俺にまとわりつく彼の髪から、ボディソープやシャンプー由来の甘い香りが放たれる。それと同時に背中の感覚神経を満たす、柔らかな肌の感触。


『俺は教員だ』と叱咤するように自分に言い聞かせ、何とか男の理性は抑えきったが、これ以上迫られたら危ない。


 というか、なんで俺さっきから男の子とか男の娘にドキドキしてんの⁉ 生前はそんなことなかっただろ!


 いや、この件に関しては、レオくんやシオンくんがなんかえろいから。俺は勝手にそう決める。


「――だああ、わかった、かわいい! キミはかわいいよ! だからとりあえず1回離れろ」


 たまらず叫ぶと、シオンくんはすっと黙りこみ、俺から離れた。


「? シオンくん?」


「ホントに? ホントにそう思ってる? ……男なのにこんなんで、気持ち悪いって思わなかったの?」


 その視線は、これまでの彼とは違う、どこか真剣なものに見えたので、俺は偽りなく答える。


「あ、ああ。嘘ついてどうする。確かにキミが男の娘と聞いて驚いたけど、でも、それだけだ。世の中にはいろんな奴がいる。俺は、それを当然だと思っているんだ」


「――え」


「俺たちは一人ひとり、生まれも違えば両親も育った環境も、信念も考え方も違うんだ。そりゃ個性豊かにもなるだろう。オンリーワンで、自分にしか出せない個性という色。そしてそれらが集まり、色彩に富んだ世界を創る。俺はそれを綺麗で素晴らしいものと思った」


「…………」


「だからいいんだよ、そんな細かいこと気にしなくてよ。少なくとも、俺はそう考えてる」


 17年の人生で、いよいよ誰にも告げなかった俺の考え。シオンくんは、少し驚いた様子で俺の話を聞いている。


「そういうわけで、俺は性別や容姿で他人にどうこう言う気はねえ。てか、そこは他者が首突っ込んでいいとこじゃないだろ? 当然、シオンくんが可愛い男の子てのも、俺にとっちゃそれだけだ。今のキミがそう在りたいと思うキミなら、それを貫くキミを、気持ち悪いともヘンタイとも思わねえよ」


「……そう、そうなんだ。ふふ、先生はノエル先生とおんなじ。良い先生だね」


 どこかとても嬉しそうにそう言うシオンくんだったが、神妙な彼の雰囲気はそこで収束することに。


 スッと立ち上がると、滑らかに俺の正面に回って膝に座り、背中に両手を回し抱きついてくる。


 ついでに両足を俺の腰に回し、がっちりとロックされてしまった。


「ちょ、ちょちょちょっと! シオンくん⁉」


「ふふ、なあにいぶき先生? もっと喜んでいいんだよ」


 うん、ホントにだめ。正面同士はマジでよろしくない。人肌より少し温かい体温と、程よい重み。


 そして、隙間なく密着されている。具体的に何とは言わんが、そう、色々なところも含めてだ。


 俺はたまらず叫んで彼を引き離しかけたが、その直前にシオンくんの口から流れた感情溢れる声色。それが、俺から余計な煩悩を一蹴した。


「――っ、ありがとう、いぶき先生。ボクを、ただのボクとして扱ってくれて。否定も、お世辞の肯定も、気遣いもなく、ただ普通にシオンと接してくれて……」


「シオンくん、キミは……」「――――っ」


 俺は、少し震えているかもしれない美少年の背中にそっと右手を置き、残る左手で彼の小さな頭を撫でてやる。


 少しして、シオンくんは俺の背中から手を離し、そっと目元をこすってから、涙の残る薄紅色の顔で、ふっとかわいらしい笑みを浮かべると。


「……先生、ボクの髪、洗ってくれる?」


「あ、ああ、任せとけ……初めてだから、時間かかるかもだけどな」


 俺はシオンくんと静かに笑みを交わし、美しい彼の超ロングストレートヘアを、二十分以上かけて洗うのだった。


 ――こうして俺とシオンくんは、なんだかんだ一時間半かかって風呂を出たが、それでも浴槽には入っていない。


 シオンくんの髪を洗い終わる頃には、2人そろってのぼせ上ってしまい、涼を求めて風呂を飛び出したのだ。


 その後シオンくんはミルクで、俺はキンキンの冷水で喉をうるおわせ、今は全員総出で彼の髪を乾かしている。

 

 リビングの中央に、ノエル先生とほぼお揃いのネグリジェを着たシオンくんが立ち。


 頭を俺が、首から背中までをノエル先生が、その下はアリアちゃんたち四人が手分けしてドライヤーやタオルを使い、一気に乾かしていく。


「ノエル先生、これ、毎日やってるんですか?」


「はい、むしろこれをやることで、みんな眠気スイッチが入るみたいで、もう欠かせない日課です」


「へえ~、それじゃ一種のルーティーンってわけですね」


「ええ、もうそろそろいい感じです。――シオン、どう?」


 ドライヤーを止めてノエル先生が確認する。


「うん、大丈夫。みんな、今日もありがとう」


 笑顔で応じるシオンくんは、さりげなく俺に視線を向け、愛らしいウインクを放つ。それは不意打ちと言うべき一撃で、一瞬、思わず目を逸らしてしまう。


「……あれ? シオン、いぶき先生となにかあったの? すっごく距離が縮んだ感じ」


 俺とシオンくんのやり取りを見ていたアリアちゃんが、不思議そうに首をひねると。


「ふふ、別になにもなかったよ。ねー、いぶき先生」

「え~、絶対仲良くなってる」「私もそう思うわ、何があったのよ」


 アリアちゃん、ローズちゃんがそう言ってシオンくんに詰め寄るも、青藤の輝きを宿す髪を持つ美少年は、先生とボクだけの秘密と言って追撃を交わしきった。


 そして、かけ時計が22時を指すころ、子どもたちはリビングのソファ、和室の二段ベッド、その横に敷かれた布団にそれぞれ分かれ、眠りにつこうとしている。


 その様子をダイニングテーブルから見守るノエル先生が、穏やかな笑顔で俺に視線を向けた。


「いぶき先生、やっぱりすごいです」


「――え、何がですか?」


 はっとした俺が目のやり場に困る美女を見返すと、彼女は本を読んだり、就寝準備に勤しむ子どもたちを軽く見わたし、最後に二段ベッドの上に陣取ったシオンくんを見て答える。


「シオンのことです。詳しくはアレですけど、あの子もけっこう苦労しているんです。まあ、ここに住んでいる子たちはみんなそうですけど」


 まるで、シオンくんと出会った日を思い出すように語るノエル先生。


「この部屋の5人は、特に大変な過去があって、初対面の相手に対して、早々に心を許すことはまずないんです。それなのに、出会って数時間で、シオンはいぶき先生に対する最後の警戒も解きかけています。きっと、相手の気持ちを考えるのがお得意なんですね」


 すごくうちの学園に向いてますよ、と、彼女は小声で言ってくれた。柔らかな微笑みとともに。


 ……かわいい。


「……そこまで言って頂けると、俺も少しは自信が持てます。教員としては、まだまだ伸びしろしかないですが……」


「そんなに謙遜なさらなくても、先生は大切なところをしっかりと理解されてるからこそ、シオンもすぐに心許したんです。だから――」


 と、先生はなにかに気づいて言葉を切った。彼女の視線が行くところを見ると、二段ベッドの上から、シオンくんがなにかを訴えるようにこちらを見ている。


「くす、いぶき先生、そろそろ私たちも寝ましょうか」


「は、はい……」


 ところで、俺はどこで寝れば、と問う前に、その答えをノエル先生が示してくれた。


「いぶき先生、シオンに付き合ってあげてくれますか? いぶき先生に来て欲しいと言ってるので」


「は、はい、別に良いんですが。どうしてわかったんですか?」


 俺が率直に尋ねると、ノエル先生は俺が天使の使い……という設定を思い出したようで、


「私たちは猫ですから、相手の表情や仕草、雰囲気から、だいたい伝えたいことが分かるんです」


「へえ~、すごいですね」


 なるほど。そういや猫は、優秀なレーダーの役割を持つひげで、色々敏感にキャッチしたっけか。


 こっちの世界の彼らには、猫みみやしっぽはあっても、長いひげは見当たらないが、それに近い機能を持っているのかもしれない。


 俺はノエル先生と静かに挨拶を交わし、彼女はリビングのソファに寝転ぶレオくんのもとへ、俺はお望み通り、二段ベッドの上段にいるシオンくんのもとへと向かった。


「あ、いぶき先生、一緒に寝てくれるんだね。ありがとう」


「……ま、まあ。俺も今日からキミたちの先生だからな。これも俺のすべきことなら、いや、キミたちが望むことなら、ここまで来たんだ。やり通すさ」


 それを聞いたシオンくんは、


「先生って思ったより大人なんだね」


 と微笑し、横になると、毛布を引っ張って俺と自分にかぶせた。


「……それじゃおやすみなさい、いぶき先生」


「ああ、おやすみ」


 俺は、自分の胸にそっと寄り添うかわいい美少年とともに、異世界転生後、初の眠りにつくのだった。

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猫嫌いの俺に猫の世話係が務まるわけがない! 佐江木 糸歌(さえぎ いとか) @enju1111

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