後編 アフェクトゥスと末法元

 蒼白の光が閉じた視界を焼く。雷鳴のような轟音が鼓膜を貫く。世界が雷の色に塗り替わっていくようで、少年はただ身体を縮めてうずくまった。青白く染まった世界の中に、少年の心臓の鼓動だけが奇妙な痛みを伴って疼く。それはかつて“娯楽”と呼ばれたものに触れた子供のようで。そう、例えばサーカスとか、ヒーローショーのような。


「……いい情動ビートだ。お前を選んで、正解だったぜ」

 汽笛のような声に、少年は大きな目をそっと開く。アスファルトが焦げたような匂いが鼻をついて、ぐっと目を細め……そこに立つ水色の姿に、大きく目を見開いた。

 あたりに立ち込める煙の中、水色の髪が淡く発光しているかのようになびく。燕尾服のようなベストの裾が屋上の風に揺れ、その後ろ姿はスポットライトが当たっているかのように眩しい。その後ろ姿に気を取られていると、キサラはふと振り返った。腰に手を当て、白金の瞳を瞬かせて笑う彼。白い腕がすっと伸び、少年の黒髪をわしゃわしゃと撫でる。

「やっぱりオレの目に狂いはなかったぜ……お前、やるじゃねーか」

「やるって……僕は何もしてないよ。っていうか、AI警察は……?」

「あぁ、あのロボット連中? なら、見てみろよ」

 キサラは片翼をくるくると回し、周囲に気流をつくると……ズアッ、と舞うように一回転した。同時に風船が割れるような衝撃がヘリポートに走り、灰色の煙が嘘のように晴れる。一気にクリアになった視界の中、円を描くように倒れているのは、球体と正四面体を組み合わせたような形のロボットたち。それらは壊れてもなお動こうとするように震え、死に抗うかのように白い銃をもたげようとする。しかし引鉄ひきがねがひかれる前に、力尽きたような音を立ててアスファルトに落ちた。

「……キサラ……君が、壊したの?」

「そーそー。雷落として、ぶっ壊した」

「そ、そんなことしたら、もっと上位の軍事ロボットが来ちゃうよ! 向こうは対電撃耐性とかも持ってるかもしれないし、来られる前に……!」


 そう叫んだ瞬間、先程とは比べ物にならないほどの大音量のサイレンが響いた。一帯が赤色灯の色に染まり、少年は思わず口元を押さえる。喉を引き裂きそうな悲鳴を噛み殺しながら、彼は怯えた小動物のようにキサラに視線を向けた。彼らの周囲を取り囲むのは、黒い蜂のような体躯のロボットたち。虫ならば目があるであろう部位には、赤いランプが毒々しく点灯している。そしてその胸元には、尉官クラスを示すエンブレム。金色の桜の花が一つ、その下に一本の横線。

『危険生物発見。駆除、ならびにJ-13-05 2120-1052の保護を開始する』

「き、き、来ちゃったよ……階級まではわかんないけど、まずい気がする……!」

「仕方ねぇな……」

 キサラは派手に舌打ちし、少年の国民服の胸倉を掴んで引き寄せた。そのまま彼に顔を突きつけ、言い放つ。

「おまえ、ちょっと身体貸せ!」

「え?」

「オレたちは感情を発する生命体と融合した方が強くなれるの! 人間とか。デメリットとかねえから、とりあえずオレと俺と手ぇ繋いで『ハートビート・テンペスト』って叫べ! せーの!」

 意味不明なことを叫ぶキサラに無理やり手を握られ、少年は観念したように息を吐いた。戸惑っているけれど、困り果てているけれど、それでも素直な心臓はクリスマスの子供のように高鳴って。黒い蜂のようなロボットが銃をもたげるのを睨み、キサラの手を握り返す。二人同時に息を吸い、狼煙を上げるように叫んだ。

「――ハートビート・テンペスト!!」


 繋いだ手から、眩い水色が溢れる。コンドルのような水色の翼が展開され、二人を包むように閉じると同時、一瞬の浮遊感。脳内に目の覚めるような水色の雷が奔り――それが晴れると同時に、少年はそっと目を開く。

(……身体が、軽い……)

 羽毛のように軽やかな爪先でアスファルトを叩くと、先程まで履いていた革靴とは違う硬い音。見下ろすと――先程まで纏っていた国民服は、水色と白を基調とした華やかな服に変わっていた。白いシャツと燕尾服のようなベスト、水色の蝶ネクタイ、銀色のカーゴパンツと黒いブーツ。呆然と自分の身体を見下ろす彼の脳裏に、直接キサラの声が響く。

『どうだ、オレと融合した気分は? 悪くないだろ?』

「……悪くはないけど……これどうやって戦うの?」

『マシン系は普通に雷ぶっぱで大体どうにかなるぜ。おまえの思考に合わせて動くから、好きに動け、戦え、そして叫べ!』

「そんなアバウトな……! あーもう、どうにでもなれっ!!」

 ある種投げやりともとれる叫びと同時に、少年の身体が動いた。新幹線に乗っているかのように景色が高速で動いていた。心臓の鼓動がバスドラムのように深く拍動する中、握りしめた拳が青白い雷を纏い、まず黒い蜂の一体に拳を浴びせる。蒼白の槍のような一撃を受け、黒い蜂は黒い流星のように吹き飛んで行った。曇天に吸い込まれるように消えていくそれを呆然と眺め、少年は硬い音を立ててアスファルトに降り立つ。

「……すごい……!」

『ぼさっとすんな!』

「っ!?」

 銃声のような声が脳を貫く。反射的に曇天へと飛び退ると、彼が先程までいた場所に銃弾の集中砲火が浴びせられた。虚空に浮かびながらそれを眺め、少年は思わず声を漏らす。

「……危なかった……ごめん、キサラ……」

『いんだよ、んなこと。っていうかさっさと決着つけようぜ。融合してられる時間、そんな長くねーんだから』

「え、どうやって!?」

 上空にいる敵に銃弾は届かない。そうこうしているうちにも黒い蜂は高度を上げ、再び少年を取り囲んだ。黒い銃がレーザーガンのような形に変形するのを見て、少年は拳を握りしめる。

「――やるしかないッ!」

『その意気だぜ!』

 バチッ、と脳裏に雷が走るような感覚。キサラから送られてきた信号が、ダムに降る豪雨のように脳を満たしていく。少年はさらに高度を上げ、天空を舞う大鷲のように空を翔けた。白いYシャツに包まれた両腕を伸ばし、蒼白の雷を纏わせる。黒い蜂たちが彼を取り囲むように追いすがるのを見つめ、彼は脳を満たす信号に、衝動に、そして全身を貫くような心拍に突き動かされるままに、喉も裂けよと絶叫した。

「蒼白の雷となって砕け散れ! ハートビート・ライトニングフォール!!」


 シンバルを叩き壊すような高い音とともに、両腕から蒼白の奔流が溢れ出す。それは蜘蛛の巣のような軌道を描き、黒い蜂たちを貫いた。コードを引き抜いたかのようにサイレンの音が途切れ、巨大な黒い蜂は次々と地に墜ちてゆく。それはまるで、隕石が地面に吸い込まれていくかのように。全ての軍事ロボットを撃墜したのを見届けて、少年はゆっくりとヘリポートに降り立った。ブーツが立てる硬い音をトリガーとして、霧のように二人は分離する。先程までの同化した感覚が嘘のように重くなった体に、たまらず少年は膝を突いた。そんな彼に寄り添うようにしゃがみ、キサラは神託を告げる天使のように口を開く。

「……やっぱりオレの見立ては正しかったぜ。お前は強力な情動ビートを……感情が生み出すエネルギーを持ってる。感情を封じられて、ただのロボットになり果てても、やっぱり感情っていうのはそう簡単に奪えるものじゃないよな……」

 疲労で虚ろに染まった瞳を、キサラの白金の瞳が覗き込んだ。彼はYシャツに包まれた腕をそっと伸ばし、口を開く。黄金色の扉を開けるように、それでいて、どこか縋るように。

「〈感情を司る者アフェクトゥス〉は今、情動ビート不足に喘いでる。オレたちは情動ビートの塊だから、それがなければ生きていけないんだ……そしてオレたちが死んでしまったら、人間も共倒れだ。日本支部の〈感情を司る者アフェクトゥス〉が全滅すれば、日本も共倒れなんだよ……」

 そんな声を、少年は静かに息を整えながら聞いていた。にわかには信じがたいような話だけれど、今朝はすべてが信じられないような話の連続だ。キサラとの出会い、もたらされた真実、軍事ロボットとの戦い。永遠のような一瞬を思い返す少年に、キサラは救いに手を伸ばす愚か者のように口を開く。

「――お前の力が必要なんだ。どうか、力を貸してくれないか?」

「……」

 少年は顔を上げる。キサラの白金の瞳をじっと見据え、ふっと目を閉じた。心臓の叫びに、そっと耳を傾ける。空を翔ける感覚、眩しい雷の色、そして真実を知った時の雷に打たれたような衝撃。心臓が告げる自身の欲求を、受け取り、全身を巡る血液に溶かす。ニッ、と初夏の日差しのような笑顔を浮かべ、少年はキサラの手を強く握った。

「――勿論。これからよろしく、キサラ」

「ああ。……お前は今日から、俺の相棒。末法すえのりげんだ」


 名前のない少年には名前が与えられ、空を翔ける少年は無二の仲間を得て。

 ――感情を取り戻す戦いは、こうして始まったのだった。

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